第9話 遅れてきた夏休み!!

3ヶ月後。港町シエナロッソ――。


晩秋を迎えた宿の一室。



「ボ……、ボロ儲けじゃあぁぁぁぁ!!!!!」



リアとふたり、ささやかな雄叫びをあげた。


お母様が天国から見守ってくださったのか、今年のミカンの出来は非常によかった。


ビットの持つ商会の支配人は、ひとつ食べてみて即座に、約束以上の金額で買い取ってくれた。


帆船カーニャ号の支払いをビットに済ませても、充分な利益がのこるほどだ。


なにより胸が弾んだのは、黒髪の支配人のシビアな表情が、ひと口食べただけで緩んだことだ。



――うーっま!



と、顔に書いてあった。


もちろん儲かったことは嬉しい。


だけど、それ以上にお母様の遺したミカンが、人を笑顔にしてくれたことはもっと嬉しかった。


これも全部、ビットをはじめ協力してくれた皆さんのおかげ。


そして、この夏。おカネには替えがたい、最高の思い出も一緒につくってくれたのだ――。



   Ψ



学園を卒業して最初の夏は、とにかく熱かった!


まず辺境のロッサマーレには、船員のみなさん全員を上陸させてあげられる宿舎がない。


桟橋づくりの職人さんが、



「まあ、3ヶ月ほどの滞在になるなら、作りますか~」



と、のん気な声をあげてからが速かった。


小麦色の肌が夏の日差しに映える船長ルチアさんの号令一下、女船員さんたちが働く働く。



「今年の夏は、陸の上でのんびりバカンスだ――っ!!」


「イエ――!!」



とばかりに、ガテン系女子高状態。


職人さんの指導を仰ぎながら、あっという間に立派な宿舎を建ててしまった。


実のところを言うと、ミカンをいつごろの時期に出荷するのがベストなのか、わたしが話を詰めずにロッサマーレを飛び出していた。


確認の馬車を走らせたら、往復で3ヶ月。それはそれで時期を逃す恐れがあった。


それに海運経験が皆無のフェルスタイン王国で描かれた地図だけが頼り。


行ってみないと、ほんとうに着岸出来るかも分からない。引き返すしかなくなる可能性もない訳ではなかった。


だから、食料は余分に積み込み、3ヶ月ほど丸っと船員さんたちを雇い入れていた。


結果、ロッサマーレに無事に着いたら、彼女たちに頼みたい仕事もない。


まさにバカンス。


辺境のさびれた田舎町は、たちまち若い女子の黄色い声であふれる。


老漁師も老農夫も、活発で溌剌とした彼女たちを孫のように可愛がる。


わたしは私で、



――はぁん。青春っ!!



と、彼女たちに混じって遊んでしまう。


いや、遊ぶだけじゃない。


パワーに満ち溢れた彼女たちは、ミカン畑の手入れまでしてくれる。


ひとりになって、手が回り切らなくなっていた老農夫ヤンも大感謝で、ポロポロ涙をこぼす。



「いいってことよ、爺さん! 感謝するなら、ウチらを遊ばせてくれてる船主様にしてくれよな!」



と、夏の日差しにピカピカ光る汗をぬぐった、まばゆい笑顔のガテン系女子。


ヤンがせめてものお礼にと出したお酒で、満天の星空の下、キャンプファイヤー。


貴族の令息令嬢がつどう王立学園では考えられなかった若き血潮。あふれる青春。


遅れてきた、わたしの夏休み!!


悪役令嬢もヒロインも、モブだっていない。みんなで笑い、みんなではしゃぐ。


ふだんはクールなリアも、お酒で顔を真っ赤に大口開けて笑ってる。


こんなに楽しく賑やかに過ごした経験はほかにない。


騒ぎ疲れた女子たちが、外でそのまま眠りに落ちていくなか――、



「きっと、カーニャのお母様が繋いでくださったご縁だねぇ~」



と、月明かりに照らされたミカン畑を見上げて、ビットがつぶやいた。



「そうね……」


「僕もお母様が繋いでくださったようなもんだしね?」


「そういうことは、言葉にしない方が価値があるんじゃないかしら?」



眉を寄せて笑うわたしに、ビットが混じり気のない笑顔をむけた。


キャンプファイヤーの火も消えて、月光だけが撫でるビットの顔は、ゾクッとするほどキレイだった……。



「どうして? 言葉にしないと伝わらないよ?」


「ふふっ。……ビットに言われたら、そうなのかなぁって思っちゃう」


「そうだよ……。言葉にしても伝わらないことがあるのに、言葉にしなかったら、もっと伝わらない」


「そうかもね……」



静かな田舎町の夜。


ぐっすり眠る女子たちの寝息にまじって、


フライング気味の秋の虫が、チラホラと鳴き声を聞かせてくれる。



「はやく伝わるといいなぁ~」


「なにがよ?」


「僕がカーニャに本気だってこと」


「もう、そんなことばっかり言って」


「ふふっ。……月明かりに照らされたカーニャの銀色の髪は透き通るみたいにキレイで、どんな大海原より輝くマリンブルーの瞳は宝石みたいだ」


「……ありがと」


「カーニャのお母様の遺されたミカンも色づき始めて宝石みたい。……こんな遠くに、いっぱいの宝物があったんだなぁ~」



見上げる星空に、お母様のやさしい微笑みが浮かんで見えて、



――カーニャはわたしの宝物!



と、やわらかくて温かい声が、耳によみがえる。


ビットとの出会いも、ほんとうにお母様が導いてくれたのかもしれないと、


すこし気恥ずかしい思いがこみ上げる。



「もう、ビット。酔ってるの?」


「ほんの少し」


「じゃあ、もう宿にもどったら? そろそろ皆んなも起こすわ。こんなところで朝まで寝たら風邪ひいちゃう」


「すごいよね……」



片膝を抱いたビットが、ミカン畑を見上げてる。



「なにが?」


「フェルスタイン王国だよ。公爵令嬢領にまで、こんなに自治が認められてて、なのに王国としてまとまってる」


「う~ん……、その代り貴族の子女は成人するまで、みっちり王立学園で王家への忠誠を叩き込まれるわ」


「へぇ~」


「伯爵以上の高位貴族の令息令嬢は、王都から出ることさえ許されないのよ?」


「そうなんだぁ~」


「王家の権威はたしかだけど、家門の力が強いから、わたしたち令嬢や令息の間でも権勢比べみたいなことになるし」


「そうか~。それは大変そうだけど、……ラヴェンナーノ帝国の〈理想〉を実現させちゃってる国があるんだな~。」


「自治?」


「そう。諸侯国連合って言っていい体制なのに、国としてひとつにまとまってる。ふつうは分裂しちゃうよ?」


「そんなもの?」


「そんなもの」



わたしの方を見ずに笑ったビットは、寂しげにも見えたし、なにか野心を燃やしているようにも見えた――。



やがて、秋が訪れ、ミカンが黄金色に染まり、みんながキャイキャイ言いながら収穫してくれた。


そうして、最高の夏休みは終わりを告げ、


帆船カーニャ号はふたたびラヴェンナーノ帝国の港町シエナロッソを目指して出港した――。



   Ψ



シエナロッソの高台にある、街いちばんのレストランを予約した。


お世話になったビットへのお礼のためだ。


わたしはリアを連れて行き、ビットは商会の黒髪支配人を連れてくるものだとばかり思っていたら、


ビットのとなりに立っていたのは、女船長のルチアさんだった。


いつもの海賊のような船長服ではなくて、


金糸の刺繍が入った真紅のドレスが、小麦色の肌によく似合っているルチアさん。


瞳がパッチリおおきくて、目鼻立ちのしっかりした顔立ちにお化粧がよく映えている。


いつもの少年みたいな雰囲気がウソのように、優美な淑女姿でビットに寄り添い立っていた。


とってもおキレイ。



――なーんだ。結局、ふたりはそういう関係なのか。



と、あきれたけど、今晩は航海のお礼のために設けた席だ。


むしろ船長をつとめてくれたルチアさんも一緒なら、わたしは喜ぶべきだと、王立学園で習った最高の笑顔で出迎えた。


年代物の葡萄酒で乾杯し、感謝の言葉を述べる。


だけどビットはそんなわたしの挨拶には興味を示さず、



「カーニャ、儲かったでしょ?」



と、情緒もへったくれもない。



「ええ、男爵様のおかげで……」


「公式の場だからってやめてよ~。ビットでいいよ、ビットで」


「お招きしましたのはこちらですし、そういう訳にも参りませんわ」


「う~ん。……交易は楽しいよね? みんなが笑顔になる」


「そうですわね。ロッサマーレのミカンが好きだと言ってくれていた食堂のご夫人にも、たいそう喜んでいただきましたわ」



わたしはルチアさんに憚って、社交の礼節に則って話しているのに、


ビットがやりにくそうな顔をするのは失礼じゃない?


ルチアさんにも、わたしにも。



「ところで、カーニャは船をどうするの?」


「え……? それは、また来年……」


「もったいなくない?」



と、ビットがわたしの機嫌をうかがうような顔をした。



「……もったいない?」


「そう。1年も港に繋ぎっぱなしで遊ばせとくの?」


「それは……」


「たしかに、そうですわね!」



と、リアが前のめりに応える。


そして、わたしに顔を向けて、力強くうなずく。目の輝きが、すこし怖い。


ビットもわたしをみて、かるく微笑んだ。



「交易やってみない?」


「……交易」


「そう、海上交易。このままロッサマーレへの帰りの船に、うちの商品を積む。それをフェルスタイン王国で売ってもらって、また今度は東方の品を船に積んで僕に売る」


「交易ね、それ」


「そう! ルチアはこのまま船長をつとめてもいいって言ってくれてるんだ!」



ビットのとなりに座るルチアさんに顔を向けると、ワクワクとした目でわたしを見てくる。



――やりたい! やりたい! やりたーっい!!



と、顔どころか全身に書いてある感じ。



「え? ……それで、ルチアさんを連れて来てくれたの?」


「そうだよ! その方が話がはやいと思ってね~。ルチアは、もうすっかりやる気だしね」


「カロリーナ様がよろしければ、ぜひ私に任せていただけませんでしょうか!」



ルチアさんは両こぶしをテーブルにグッと置いて、身を乗り出してくる。



――あ、あまりドレスを着込んだ淑女が見せる所作ではありませんね……。



けど、とてもルチアさんらしい。


わたしがクスッと笑うと、ビットがますます畳みかけてくる。



「もしカーニャが、ロッサマーレとの航路を開いてくれるなら、シエナロッソとしては1年間、関税を免除させてもらうよ? どう? お得じゃない?」


「え? 待って……」


「なに?」


「どうして、ビットがそんなこと決められるの? シエナロッソの総督の権限でしょ? あ、もう話をつけてくれてるってこと?」



眉間にしわを寄せるわたしに、ビットとルチアさんが顔を見合わせた。



「え? え? え? なに、どういうこと?」



と、状況が分からないわたしに、ビットがしょげた顔を見せた。



「……ごめん、カーニャ。僕はまたやってしまったよ」


「え? なにが?」


「言葉にしないと伝わらないって、偉そうなこと言っちゃってたのになぁ……」


「ん……?」


「僕……、シエナロッソの総督なんだ」


「は? ……ビットって男爵よね? ラヴェンナーノ帝国では男爵でも総督を務められるの?」


「……う~ん。フェルスタイン王国でも高位貴族は、複数の爵位を所有してるのがふつうだよね?」


「え、ええ……、そうね。あまり意識することはないけど……」



かくいうわたし自身、母から受け継いだピッツガウル伯爵夫人などの称号を保持している。


別に誰かの夫人という訳ではない。


女性が爵位を保持するとき、閣下ではなく夫人の尊称で呼ばれるのが慣習なだけだ。


ほんとうに奥さんな〈夫人〉と呼び方ではおなじなのがややこしいけど、


ともかく、名目上にだけ残る称号で、誰かに売っても差し支えはない。


もちろん、シュタール公爵令嬢の称号の方が遥かに価値が高いので、ほんとうにただ保持しているだけで使うことは、まずない訳だけど――。



ビットが情けない顔をしてルチアさんを見た。



「ルチア~」


「もう、なんですか?」


「自分で言うのすこし恥ずかしいから、ルチアから紹介してくれる?」


「……わたし、平民ですよ?」


「でもさあ……」


「もう……」



おおきく息を吸い込んだルチアさんは、背筋を伸ばして、わたしを真っ直ぐに見詰めた。


ビットは首を肩より前に出して、下唇まで前に出てる。


言ってはなんだけど、美形が台無しだ。


無表情になったルチアさんが、口をひらく。



「こちらの御方は、ヴィットリオ・ラヴェンナーノ殿下」


「で、殿下……?」


「ラヴェンナーノ帝国の皇太子でいらっしゃいます」



時が止まるとは、このことだろう。


リアとふたり、息も止まった。というか吸った息を吐き出せない。



「ラヴェンナーノ帝国において皇太子になられるということは、同時に帝国自由都市シエナロッソ総督、モンテヴェルデ大公などの地位に就かれることを意味します。……ブリュンドワール男爵もそういった殿下がお持ちの数ある爵位のおひとつです」


「え、えへへ……。ごめんね、カーニャ。シエナロッソでは偉そうにすると嫌われるからさ。僕のもつ爵位のなかでいちばん低いのを選んでて……」



と、自分の頭をポンポン叩くビット……、


いや、ヴィットリオ殿下……。



――ご、ごめんね、じゃねーわっ!!



いまだ受け止め方が、まったく解らないわたしは、場にそぐわぬ所作だけど、


思いっきり頭を抱えた。


そりゃ、身なりいいはずだよ……。

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