第6話


 筒井康隆や、星新一、眉村卓、小松左京らが、日本SF草創期の、第一世代トップバッターとして活躍しだしたころの空気は、ボク自身が幼年期から学童期に差し掛かる年齢の、高度成長期直前くらいだから、なんとなく記憶にあって、懐かしいような”ベルエポック”そのもののふわふわした素朴な希望に満ちている、そういう漠然とした印象です。


 新幹線、アポロ計画、力道山、ベトナム戦争、ゴジラ…自分の物心がつく頃のいろんな出来事はだれでも最も郷愁を覚えるのか?


 ツツイがプロデビューしたのはだいたいボクが草深い田舎で「オギャー!」と生まれたころで、後年にいろいろと運命の因縁が絡まりあうとか、双方とも?夢にも思っていなかったことだろう。


 たぶん、人間は、無意味や不条理を嫌う。歴史でも、自分の人生、存在としてのそのあり方?そういうものが、ちゃんと裏付けと意味があって、確固としてあるべくしてある…そう思わせてくれるもの以外を、人生の要素からは排除しようとする。


 戦後、虚無主義というのか、不条理を説く「実存主義」の流行したのは、World War Ⅱのあとで、原子爆弾の惨禍とかがあった後で、(「アウシュビッツのあと、抒情詩は罪悪だ!(アルビノ)」)人類とかそういうものについて、自家撞着のように人類自身の中で、不信感が募り始めて、その反動で、「夢も希望もあるものか」的なニヒリズムが流行したのだろう。


 が、その一方で、科学の進歩が人間の愚かしさをだんだんに是正、脱構築して、コンピュートピアがやがて訪れる…そういう「意識高い系」の人々が目指しているバラ色の未来?そういうヴィジョンも確かに皆の理想としてあるはずです。


 世論調査でも、だいたい「一般」と、「良識派」が、区別されていたりしますが、まあ、個人的な主観だけでも、昔とは月とすっぽんみたいに、様々なことがintelligent になっている。だから貧困とかで、未だイノヴェーションの恩恵を受けられないような下層社会はともかく、「第三の波」、情報革命で社会全体が質的に変容してきていることが、本当の”福音”となって、だんだんにいろいろな障碍が克服されて、その昔に皆が夢想していた、星新一や小松左京が抱いていた、”進歩と調和”が完成した人類社会…そういう無有何郷ユートピア、そこにたどりつくための障碍、人類の愚かさの陰画、


 要するに、それがツツイヤスタカ、一貫して、彼の描いている人類のある一面の端的な素描デッサンなのでは、となるのではないか?


 <この項続く>



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