第5話



 なぜ、ツツイにハマったか、いろいろと要因はあろうが、一貫してボクの生涯に瀰漫する「対社会的な違和感」というのが、メイン、と、それは以前から考えていました。


 疎外感、違和感、ここは自分の居場所でない、という認識。

 帰属意識の欠如。

 …それはどこから来るものなのだろうか?


 「引き裂かれた自己」という、精神科医のRDレインの著書は、スキゾフレニア患者の自意識にempathy して、とことん、傍から見ると理解しづらい彼らの病の因って来たる所以や、特徴を臨床体験をもとに活写したドキュメンタリーです。


 同著の、冒頭の一文は、分裂病患者を、「この世でくつろげない人々」と、定義している。

 居心地が悪い。

 それにはいろいろと、TPOや内外の状況…「状況関数」?そういうものはあって、人格のバイアスもあり、どうしても uncomfotable な時はある。


 カフカの「変身」のような悪夢のごとき奇天烈なシチュエーションというのもimaginable ではある。そこまでいかずとも、For example、HSP(過敏性人格)な人はそもそも「場」にそぐわない。太宰治のような「気弱なエゴイスト」(山田風太郎)、「自己愛性人格障害」(ウィキペディア)とか評される人格にとっては、生きていることが一種の地獄のような極限状況ですらあって、アルコールに溺れたり、睡眠薬ホリックになったり、文学に淫したりするw

 いろいろと、精神や肉体の健康を損なう阻害マイナス要因で、健全なホメオスタシスが、保てなくなると「ビョーキ」、「メンヘラ」で、無数にそうなる可能性はあるんだろうが、「文学」になりやすいのがこういう比較的軽度の精神的ないびつさだろうか。

 

 それかあらぬか、思春期に、ツツイ中毒?に近い症状を呈し始めたのと、自らが世の中や一般的な集団?生存という現象全般?そういうものに違和感を覚えて、ニキビだらけの醜い化け物になり、直情径行な女に「いつも、そういういびつな存在なの?」とか言われたり、人生がそういう嫌な記憶だらけになってきたのとは軌を一にしている。


 もちろん、「ただのアホ、バカ」で、「生きるの向いとらん」と、切り捨てるほうが容易やが、上を見るときりがない、下を見るときりがない、そうして、いつも今ここからがスタート、今日は人生の一番新しい日、唯一無二で二度とこない貴重な一日、それも紛れのない現実で、この自分以外に、一回性の”投企アンガジュ”にしか、実存も、可能性もしょせんあり得ない。


 「見る前に跳べ」「厳粛な綱渡り」と、こういう生きることの構造を端的に表現した大江健三郎氏は、筒井康隆と親交があったが、互いに「稀代の天才」と、リスペクトしあっていたようです。


 筒井氏も「なんとはなしの居心地の悪さ」は若いころから、よく口にしていて、世間との様々な角逐、齟齬、蹉跌、軋轢、そういうことの述懐や嗟嘆、たびたびそうした苦い嫌な記憶を、わりと文学的な営為に意識的に利用活用していたという感じもあったです。気がする。


 そういうダザイやツツイの”いかにも”な主観の普段の意識が、人類全部に普遍共通ではなくても、ボクにせよ誰にせよ、日々は山あり谷あり、生老病死で四苦八苦…それがゆえに、そのことを、トーマスマンは「滑稽と悲惨、滑稽と悲惨」と、自伝のはしがきに記したのだろう。


 自分ミクロコスモス世界マクロコスモスが、なぜ、こういう構造のもとにこうしたあり方をなしているのか? その謎に到達するには未だ基本的に絶対的に”情報”が不足しているのかもしれない。 「暗黒魔王」(中島梓)・ツツイの影というか”暗い過去”の十字架を背負っているのは どうしようもないdestiny であって、しかし尚且つ、そこの葛藤を通じて、さらに止揚アウフヘーベンしていく、雄々しい決意が肝腎だ。


 だからとりあえずは、干からびた過去の死の亡霊、怨霊?の声にからめとられないということだけを注意していようと思う…






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