第7話


  「狂気の沙汰も金次第」という、エグい?随筆集のタイトルにもあるように、よく筒井氏は、エスプリやらブラックユーモアが多い自らの作風を、「演技」、「韜晦」と、表現する。

 「残像に口紅を」では、「笑いしかなかった」とも書いている。


 が、ボクには、それこそが「世を忍ぶ仮の姿」に思えるのだ。

 社会的に成功を収めているので、根っこにある「anti-social 」な面は巧妙複雑に”昇華”されているようにも見える。


 ヘミングウェイとか、ビートたけし氏とか、或いはハマコー?氏のようにどこか社会とか良識に葛藤があり、そこのところが人物の個性というか中心の「核」になっている人は多いと思う。

 

 が、筒井氏の「残虐趣味」みたいな狂気の沙汰、は、折に触れて作品にも散見されるのは周知のとおりである。

 「虚構船団」の中で、ある架空の「世界史」を捏造しているというくだりがあるが、やはりというか氏の”世界観の投影”であるその「歴史」は、「残虐さ」というものが中心的なテーマとなっている。


 ボクや、例えば川上宗薫とか谷崎潤一郎が同じことをすれば、たぶんテーマは「エロティシズム」になるだろうかw


 よくエロスとタナトス、と、フロイトの思想では欲動を二分類して、そういう二項対立はわりと普遍的にさまざまな概念に敷衍しうる…自分なりの思想の萌芽として、例えば男女、SM、愛と戦い、家庭と社会、自我とエス、etc…etc


 「二元論の家」という、SSは、ツツイらしさがよく出ている佳編ですが、そういうボクたちが?しかつめらしく考える”二元論”を、軽やかに脱構築して、やはりエグいほど?ポピュラーきわまりないエンタメができあがっている。

 

 こういう風に、人物の個性というものすら相対的に考えるという、そういう発想はいかにも精神分析的で、そういう”超越的な視点”は芥川龍之介氏の作風のそれに似ている。


 繊細さとエリート意識を併せ持っている…芥川氏のような、(あるいは「泣き虫生意気な」石川啄木とかもたぶん?)そういう昔風の”文士”と同じエートスは、小説家・筒井氏の強みであり、実生活上では弱みだったかもしれない。


 で、運命的な社会との軋轢や葛藤、その対立状況の中でなんとか折り合いをつけつつ、人格形成をなしてきた結果、星新一氏の解説しているように「持てる狂気を作品の中に封じ込める」そういう創作動機と願望充足のアウフヘーベンをなす方便を、持続的に執筆をつづけて行ったあげくに筒井氏は獲得した。


 で、一つの社会的な成功をも勝ち得たので、結果的に「持てる狂気」=攻撃性、残虐性は、巧妙に隠蔽されているだけで、マグマのように精神の内部ではふつふつと煮えたぎっていて、それは変わることもなかったのであろう。


 それだから、あれほどエネルギッシュに創作やその他の文学的(にかぎらない多彩な?)活動を、生涯続けられたのだ、それは間違いない。


 フロイトはエロスのほうをいろいろな活動の原動力に考えたがる感じですが、筒井氏などはタナトスをそういう原動力にしている感じであり、まあ、そういうことは単なる個人差でないかという気もします。 

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