豊かさの影


          1


程なくして、ようやく森を抜け出した。

タオは安心するのと同時に帰りもまたあの危険な場所を通るのかと思うと気が沈んだ。

 でも、ナーナが居てくれれば大丈夫。

ボディーガードのつもりだったのにちっとも役に立って無い事にまた気持ちが落ち込む。

せめてもの思いでタオは森を抜けた後は先頭を歩く。森で手に入れた丈夫で振りやすそうな枝を右手に携え、今度こそ僕が守るんだという思いと、ここから先は何事もありません様にと願いながら歩いた。


しばらく歩いた丘陵の先に、大きな町が見えた。

美しい自然にかこまれたその町は栄えている様だが、周りとのくっきりした色合いの違いに違和感を感じる。まるで緑の大地にスデンと町を乗せたような、そんな感じだとタオは思った。

 

「こんなに大きな町だと、困ってる人もあまり多くないかもね」

思った事を口にしたタオに

「どんな場所でも、困ってる人とそうでない人は居るものですよ」とナーナが諭した。

確かに。富豪が住む町に足を怪我したお婆さんを連れて行ったのをタオは思いだした。

あの町も今ではみんなが平穏に暮らせているだろうとタオは願った。


美味しそうな匂いが漂ってくる。町に入ってすぐの所に食事が出来そうなお店があった。

「ぼく先に行って、困ってる人が居ないか話を聞いてみる!」

腹ペコの少年が一目散に駆けていくのを、ナーナは楽しそうに微笑んで見送った。


ナーナが遅れて店に入ると、タオが窓辺の席で大きく手を振っていた。ナーナは頷いて彼の元へ向かう。

既に注文した料理が並べられて、タオは餌を前にした仔犬の様にウズウズしていた。

ナーナは途中のテーブル席で「…今度は…が居なくなったらしい…」と二人の男性がヒソヒソと話しているのが耳に入った。


テーブルに着くとタオは待ってましたとばかりに食事に手を付けた。焼き立てのパンを頬張りながら

「ナーナの分は訊いてから注文しようと思って、まだ頼んでないよ」とモグモグ話した。

「ありがとう」腹ペコの少年が満たされていくのをナーナは嬉しそうに眺めた。

「お店の人に聞いたんだけど、この町はすごく栄えてて困ってる人は居ないと思う、だってさ」

タオは残念そうな口ぶりだったが本音は少しホッとしていた。

「そう」

ナーナは静かな目で廻りを見渡す。どの人も満足そうにお腹を満たしている。確かに栄えていて不自由はなさそうだ。この店に来れるような人々は。


食事にあまりに手を付けないナーナに具合でも悪いの?とタオが尋ねたが、元々あまり食べないのと答えた。じゃあ、勿体無いから…、と言って遠慮がちにタオが引き受けた。小皿のものはメニューに無かったのだ。

「ありがとう」とナーナが言うと

「こちらこそ。僕のお腹は底なしなんだ」と笑わせた。


店を出て、午後の町を散策し始める。

人通りは多く確かに栄えてる様だ。レンガ造りの家、飾り付けられたたくさんの店。だがその少し奥に目をやると、路地の向こうの空き地で焚き火を囲む人達が見える。服装からして裕福ではなさそうだった。

華やかな街並みを一歩奥へ入ると違った暮らしがある。そのコントラストが、緑の大地にそこだけ別世界の様に構えるこの石造りの町と重なった。


広場へ出ると陽気なおじさんが「風船はいかがですか、美しいお嬢さん」と声を掛けてきた。

「ありがとう」

ナーナが受け取ると「観光客かね?王様の像はもう見に行ったかい?」とおじさんが尋ねる。

「ううん。僕らさっき町に着いたばかりで何も見てないんだ」とタオも風船をもらって話した。

「そうかい。この町がこんなに栄えてるのは王様のおかげさ。像の他に宮殿の外も見物出来るから、是非寄っていきなよ」と教えてくれた。

「ありがとう」

ナーナは町の地図をもらって宮殿の方へ歩き始めた。


「ねぇ、ナーナ」

歩きながらタオが話しかけてくる。

「なあに?」

「この町の王様は本当にすごい人みたいだね。道行く人達はみんな王様のおかげ、王様に感謝って口々に言ってるもん」

「そうね。どんな王様なのかしら」

ナーナは人目につかない、あちこちの場所でひっそりと生きている人達の事が気になった。

「……闇の花びら」

「えっ?」

ナーナが何かを呟いたが良く聞こえずタオは訊き変えした。

「ううん、何でもない。ここの王様に何とか会える方法はないものかしら」

二人が宮殿の近くの王様の像を眺めていた時だった。

「そのもの達、いずこから参った」

二頭の白い馬に乗った二人の衛兵がナーナ達に声をかけてきた。

「…えっ、あ、あのぉ僕たち観光で…」とタオがもじもじ答えていると

「ヴァサマの村から参りました」とナーナが衛兵をじっと見つめて応える。

衛兵はその瞳に吸い込まれる様に動けなくなり、ナーナはそのまま目を逸らさずに

「ヴァサマの村のナーナと申します。王様に、ひと目お目にかかりたいのでございますが」

と続けた。

吸い込まれる様な瞳に呆然としていた衛兵は、ハッと気がついて

「ヴァサマの村のナーナ様ですね。我らは王の衛兵隊であります。先に城へ戻り王に接見を申し伝えまするゆえ、後ほどいらして下さい」と馬を走らせた。

 

去って行く二人の兵たちを見ながら

「ナーナ、何かしたの?」とタオが訊ねる。

ナーナは「ヴァサマは有名な御方みたいね」とクスクス微笑みながら答えた。

 そうか。ヴァサマはそんなに偉いのか。

タオはナーナが何か不思議な力を使ったのかと思ったが、村の最高齢のお婆さんを改めて尊敬した。


 

城に向かう途中、衛兵の一人が馬を走らせながら叫んだ。

「兵長どの!いかがなされました!あの小娘がどうかされましたか。王に接見を求めるなど…」

兵長はまるで聞こえないかのようにひたすら馬を走らせる。

良く分からないけど、兵長に従うしかないか。

衛兵はそれ以上何も訊かずに彼の後を付いて走った。



          2


王様の住まい、宮殿はまさに贅の限りを尽くしたような造りだった。噴水は4つもあり、それぞれ別々の動物の像が惜しみなく水を吐き出している。宮殿の外観を彩る大きな柱も巨大な石を削って作られたようで継ぎ目一つ無かった。上品そうな人達があちこちで戯れ、象でも入れそうな入り口には立派な衛兵が左右に二人ずつ立ち、番を預かっている。

初めて見る豪華絢爛な風景に、タオは地面に敷き詰められてる綺麗な丸い小石でさえ珍しかった。

 

 

宮殿を彩る様々な物には目もくれず、ナーナは真っ直ぐに入り口の扉へ向かって歩いて行く。

門番の兵が当然の様に声を掛けた。

「失礼ですが、ここから先は王のお住まい処(どころ)となっておりますので、観光は出来ません」

礼儀正しい物言いだがその目は何ぴとたりとも通らせないと言う決意が表れていた。

「ご無礼致します。私はナーナ、この子はタオと申します。王様にお目にかかりたいのですが」

「どなた様であろうとも、ここはお通し出来ません。我々に武具を構えさせる事の無きよう、なにとぞご理解たまわり、この場を離れて頂きたい」

衛兵達が警戒しながら集まりかけたその時、

「待てぇぃ! その御方々は王に接見なされるために参られたのだ !既に王より、お通しするよう下命されている。門を開け、お二人をお通しせよ!」

衛兵長の命令に「はっ!」と全員場所を空け、門扉を開いた。

「不躾(ぶしつけ)誠に申し訳御座居ません。ナーナ様とお付きの方、さ、どうぞ中へ」

衛兵長が招き入れてくれたが、(お付きの方?)とタオは口を尖らせた。ナーナは静かに歩みを進めタオを振り返ってクスッと笑った。

 まぁ、ナーナが笑ってくれるならいいか。


三階まで上がった一番奥、豪華な絨毯が廊下に敷かれたその先の部屋へと二人は案内された。

部屋の入り口で衛兵長が敬礼し、

「失礼します!ナーナ様、タオ様をお連れしました」

と中へ声を掛けた。

衛兵長はそのまま「どうぞ」と扉を開けてくれた。

どうやら返事がないのが入っても大丈夫、という事のようだ。

二人が部屋に入ると衛兵長は再び「失礼します」と言って静かにドアを閉めた。


ここも別世界過ぎて、タオにはもう付いていけなかった。部屋にはあらゆるものがキラキラしていて、この部屋のものだけで村の人達が何十年も豊かに暮らせそうだった。

壁には歴代の王様らしき人達の絵が飾られてあり、それに肩を並べる様に兵隊の絵もある。立派な兵だったのだろう。

王様はナーナに向かって「ヴァサマ殿の使いの方ですな」と言った。

ナーナはお辞儀して「使いでは御座居ませんが、ヴァサマの村から参りました。ナーナと申します」と、また深くお辞儀をする。タオもなるべく同じ様にお辞儀をした。

王様は立派なヒゲを触りながら

「かの御方には大変お世話になりました。もう長い事お会いしておりませんが、お変わりないでしょうな」

と尋ねる。

「はい。アガタの神の御言葉を民に伝えて御守り下さっております」とナーナが応えた。

それはそれは、と王様は満足そうに頷いた。

「して、そなた達は何用で参られたのじゃ?」

ナーナはそれには応えず、窓辺の立派な鉢に植えられている一本の花に近づいた。

透き通る様な青い花を咲かせた綺麗な花だ。タオは見たことのない植物だった。

「見事に咲いてくれていますね。これは、ヴァサマ様のお言葉で導かれたのですか?」

王様は満面の笑みで

「さよう。この地が貧困に喘ぎ、何とか民を救いたいと願い、かの御方にお言葉を頂いて手に入れた花じゃ。おかげでこの国は民が豊かに暮らせる安住の地となった」

ナーナは黙って花を見つめる。タオは何だか居心地が悪くなった。

王様の前で緊張しているのもあるが、それよりもナーナの放つ雰囲気が、いつもと違っていて落ち着かないのだ。

 彼女は何をしようとしているんだろう。

タオがナーナに話しかける事すら出来ないでいると、ナーナがふと口を開いた。

「王よ。この花の根が腐って居るのがお分かりか」

ギクッとするような喋り方だった。タオはソファの陰にそっと身を隠した。

「なに?何を申すのじゃ!我を前にして無礼じゃぞ」

ナーナは構わず続ける。

「常ならばこの花は葉の端から根の先まで美しい青で彩られる。しかしこの花の根は腐り、茎まで黒ずんできておる。闇に飲まれようとしている証だ」

王はたじろいで「闇に…じゃと?」と訊き返した。

「あなたはこれを手に入れる時、ヴァサマに忠告されたはず。そばの紫色の花には決して手を触れてはならぬ。青い花は豊かさを与え、紫の花は闇を呼ぶ、と」

王が黙っていても、ナーナにはその時の光景がありありと浮かんだ。


 

 


小さな町が貧困に喘ぎ、病に倒れる者も増え、王は民を救いたいとヴァサマの元を訪れた。


なにとぞ、アガタの神のお言葉をお授け下さい。


ヴァサマは水晶と術飾りを用いてアガタの神に祈りを捧げた。

この者たちを救いたもう。アガタの御力で民に御慈悲を与えたもう。


それに応えるように、テーブルの水晶が光りだす。

水晶には、山の上に咲く二本の花が映し出された。

ヴァサマは王に、アガタの神の言葉を伝える。

「この青き花を大地より譲り受け、天に近し処、町の最も高い場所で育むが良い。青き花が開く時、民は豊かさをもって救われるであろう。」

ありがたきお言葉にございますと王は礼を述べた。

「しかし、そばに咲く紫の花には手を出してはならぬ。これは望みを叶え欲を満たすが、必ず闇に囚われる。青き花が枯れぬよう、心清らかに全ての民の幸福を祈るがよい。ナンサマ、ナンサマ」

 

王はヴァサマに云われた通り、家来を連れて険しい山の頂を目指し、まだ花の咲いていない美しい青の蕾を持つ一輪の花を手にした。

ふと、そばの崖下に紫の花が咲いているのが目に入った。

 (望みを叶え欲を満たせる力を持った花)

王は若い家来に、崖の斜面に咲くその花を摘んでくるよう命じた。

家来はその意味を知らず、ただ王の命令に従い崖にしがみつきながら花の所に向かった。だがもう少しのところで僅かに手が届かず、王様にこれ以上は降りられませんと懇願した。

王はそれを許さず、命令に逆らえばお前もお前の家族も生涯貧しい暮らしをする事になると脅した。

懸命に手を伸ばした彼は花を掴むことに成功したが、片方の手でしがみついていた岩が崩れ花もろとも崖下へと落ちていった。

崖の壁面には、たった1枚だけの花びらが残されていた。

王はその場にいる者たちにこの事を決して口外してはならぬ、誰かに話せば即刻処刑を執行すると口封じを強いた。

 


紫の花はたった1枚でもその力を発揮し、王は己の望みをを次々と叶えることが出来た。

民のためと持ち帰った青い蕾もその美しい花を咲かせ多くの者が豊かさを手に入れた。

だが王は己の欲望を満たすため、王宮に金品を納める者は優遇し、貧しい者には温情を与えなかった。

 

こうして町は、豊かさの裏側に貧しさを隠す、奇異な形を構築していった。


 

「青の花が持つ力とは、物や財を満たす事ではない。人の心の豊かさを育む事だ。あなたはそれを履き違え、裕福な者と貧しい者、相見えれ得ぬ二つの民を創り出してしまった」

ナーナはそっと花に触れる。

「この花の茎の下が黒いのはその歪みから生まれ出(いで)た人の心の闇をそのまま映し出している。

妬み、ひがみ、恨み、つらみ。そして自分だけが満たされれば良いという身勝手さから生じた傲慢、貪欲、嘲(あざけ)り。いずれこの黒ずみは茎全体に伸び、花を枯らし、この地を破滅へと向かわせるであろう」

 

美しい娘から語られる言葉は、まるで神の警示の様に王の耳に響いた。だが、王は満ち足りた今の地位を、有り余る程の財を手放すことを嫌った。

そしてナーナに。神に抗(あらが)う言葉を放った。

「な、何を申すかこの無礼者めが!お、王に向かってその様な世迷い言、許さんぞ!誰か!誰か居らぬか!この者達を牢に放り込め!」

すぐさま近衛隊が現れ、二人の身柄を拘束した。

タオは暴れて抵抗したが全く敵わなかった。ナーナは少しも動じず彼らに捕らえられた。

 

ナーナは王の前を通り過ぎる時、悲しそうな哀れむような目で彼を見つめ、

「なにとぞ、アガタの神の救いがあらんことを…」

と言い残して連れて行かれた。



            


二人を収容し終えた衛兵が王の元に報告に来た。

「国王陛下に申し上げます。謀反者達をそれぞれ独房へと収容しました。なお、二人を手引したとの嫌疑で衛兵長も同じく投獄しました」

衛兵は少し近づいて小声で訊ねる。

「明日にでも処刑しますか」

王は黙って一点を見つめたまま、

「いや、その判断は私が下す。しばらく一人にしてくれ」と言った。

「は?… あ、ハッ!承知しました!仰せの通りに。失礼します!」

衛兵は敬礼し、まわれ右をして行進の様に起立正しく出て行った。


青い花が美しく窓辺で日の光を受けている。

その茎は根の方に近づくにつれ黒く澱んでいる。

 

 (この根が腐って居るのがお分かりか)


 (アガタの神の救いがあらんことを)


 

 あの娘は、いやあの方は、全てをご存知だった。

 紫の花びらの事も、それを手にした時の事も。

 ヴァサマに助けを乞うた事はもしかしたら知

 る術があるやも知れぬ。いや、あの御方が他

 の者に口づてする事など有り得ぬが。

 ともかく、かの方は全て何もかもお見通して

 おられる。まるで人の姿を成した神のように。


 最後に我に向けられた瞳の奥の哀しみ。

 あれはまるで、病にかかって生き死にの瀬戸

 際を彷徨う者に向けられる祈りの様な眼差

 しだった。



…紫の花びらのを、早目に処分した方が良い。

完全に闇に取り込まれ、手遅れとなる前に…。


 


          3


「お一人でお出かけになられただと?なぜお引き止めしなかった!衛兵の護衛も付かなかったのか!」

衛兵副長のバランは目くじらを立てて部下を叱りつけた。

「ハッ!申し訳ございません!閣下は自分で撒いた種は自分で刈り採ると、その…畑にでも赴かれたのかと思いまして…。あ、自分ではありません!」

「バカどもが!」

バランは吐き捨てる様にしてその場を後にした。

そして誰も廻りに居ない所で、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。

(衛兵長は投獄、王も居らぬとなると…全ての決定権はこの我にあるな)

バラン副長は地下牢への階段へと向かい、警備中の衛兵に命令した。

「これより、罪人たちの刑を執行する。直ちに準備せよ」

「ハッ!…し、しかし、王のご下命がないと…」

「その王は留守だ。代わりに私が全てを委任された。急げ!」

「は、はい!」

衛兵達は慌ただしく処刑の準備を開始した。


王の部屋の花の黒ずみがまた少し茎を染めた。一番下の葉は、既に枯れていた。


  


王様はたった一人であの山の頂を目指していた。

この紫色の花びらを元の場所に戻すため。

あの人に言葉を掛けられなければ、自分が闇に取り込まれかけている事に気付けなかった。

…国が滅びるまで。

元の崖に戻せば済むとも限らないが、もうこれを手元に置いてはおけないと思った。何としても、人の目に二度と触れぬ所に放さなければ。


もうすぐ頂が見えるところまで差し掛かった時、突然真っ黒な雲が空を覆い始めた。

 まずいぞ。嵐になる

王は愛馬の手綱を激しく振った。

 


前触れもなく降り出した雨はあっという間に地面を水浸しにした。処刑の準備を始めていた兵たちはたまらず屋根のある所に避難する。雨は風を伴い、屋内に入らなければずぶ濡れになる程の勢いだった。

激しい雨の音で宮殿の窓から外を眺めたバランは、処刑台が組み上がる途中で誰も作業してない事に気づき「なぜ誰も準備をしておらぬ!」と兵たちに声を荒げた。

「し、しかし、この嵐の中では…」

「嵐が何だ。お前たちは敵に攻め込まれたら嵐の時は身を隠して国を捨てるのか」

それとこれとは話が違うと思ったが誰も何も言わずにいると、「さっさと準備しろ!王が戻る前に!」

と思わず口走った。

「王が戻られる前に何故全て終わらせる必要があるのですか?」

「そ、それは…だな。王の前で女子供を処刑する所を見せるのは気が引けるから…だ。」

口ごもる上官に衛兵達が詰め寄る。

「どんな時でも、王は処刑される者の最期を見届ける義務があります。これは国の掟です。あなたは本当に王の下命を受けたのですか?」

「貴様!上官に無礼だぞ!」

「答えてください。王は本当にあの者達の処刑を命ぜられましたか」

「そ、それは…」

突然外が真っ白に光り、激しい音が宮庭に轟いた。

その雷は処刑台のてっぺんを目掛けて落ち、処刑台は見る見る炎に包まれた。

全員下に降りて外の様子を覗う。


雷鳴はなおもやまず、雷光はひっきりなしに辺りをまばゆく浮かび上がらせる。

「神の、お怒りだ…」兵の誰かがぼそっと呟いた。

バランは忌々しい思いで下士官を怒鳴りつける。

「見ろ!お前たちがグズグズしておるから一つしかない刑台があの有り様だ!」

指を差した門扉から誰かが姿を現した。

それはずぶ濡れになりながら、何とか城に戻った王様だった。

「国王陛下!」

衛兵たちは王に駆け寄る。王は力尽きた様にその場に倒れ込んだ。

「ひどい熱だ。急げ!陛下を医療部屋へ運ぶんだ!」

みんなバランが居ないかのように王様の介抱に全力を注ぐ。

一人残されたバランは、開いた扉からぼんやりと外の様子を覗った。

滝の様な雨が降り注ぐ。噴水の場所はもうどこが池だが分からない程だ。

「…空は泣き、大地が怒る…」

この国に伝わる伝承の一節を彼は無意識に思い出していた。




万能薬と呼ばれる薬のおかげで、王の容体は何とか落ち着いた。側で見守っていた看護係の女性は、薄目を開けた王に「良かった。みな心配しておりました」と本当に安心して声を掛けた。

「わしはどうやって…。馬は、わしの馬は…?」

女性は首を横に振って「陛下はたった一人でお戻りになられました」と告げた。

 


土砂降りの中、ぬかるむ地面を頂上目指して走らせていた。谷側の斜面を走っていた時、馬が足を滑らせバランスを崩した。手綱をしっかりと握っていた王がこのまま一緒に谷に転がり落ちてしまう、そう思った時。

愛馬は主を振り落として、谷を転がり落ちていった。最期に一声の鳴き声を残して…。

「あぁ…」


王になる前から共に育ってきた家族の様な存在だった。自分の無茶な行動のために、尊い命を失わせてしまった。


「…衛兵長を、呼んでくれまいか」

「畏れ入りますが、兵長は只今独房に収容されておられます」看護の女性が答える。

「そうだ。わしがそう命じたのだ。そなたにお頼み申す。牢に居る三人を直ちに解放し、王の元へ寄越すよう、兵に伝えてはくれまいか」

ただの看護の身で、王様より遥かに下の身分である自分に、王様が命令ではなくお願いをなされている。

看護の女性は「分かりました。すぐその様にお伝え致します」とお辞儀をして部屋を出て行った。


外は変わらず荒れ狂う様な嵐だ。今は風も激しく吹きつけているが、伝承の記す事が本当ならその風もいずれ消えてしまうだろう。風のおかげで成り立っている全てのものが止まる。それだけではない。

王は古の伝承を思い返した。


 民が心に闇を宿す時、天は泣き、大地は怒り

 海は荒れ、風は黙す

 人であったもの人の姿をして人にあらず

 慈悲深きアガタはこれを哀れみ、異界の

 地よりその魂をもって救いを差し伸べん

 

 ただひとたびの機会を与え、民が心に問ふ

 未だ汝らの其の胸に、光のある事を願い



王は何としてもこの流れを止めなければと思った。

自分があの花びらを持ち帰った時から、民衆は私欲を求め人を蔑(ないがし)ろにしてきた。

…自分を筆頭に。

それでも国が栄え人々が豊かになるならばと省みる事はなく、そればかりか金と財を好きなだけ手にし、満たされる事はなかった。


 青い花だけで良かったのに。

 それが意味するところは金財の豊かさではな

 く心の豊かさを育むためのものであったのに。


王は既にナーナがただの人間ではない事に気づいていた。

かの御方こそ、私欲にまみれ闇へ取り込まれようとする民を救うため、アガタの神が舞い降りさせた救世の存在。お声を聴き、お導きを頂かなければ。


王は同じ階の部屋にいる側近を呼び寄せた。


 

「おかげんはいかがでしょうか陛下」

手をこすりながら側近は現れた。

「あまり良くない。それよりも頼みがある」

「ははっ!何なりと」

王は懐から1枚の花びらを取り出した。

「これを、人の寄り付かぬ所へ捨てて欲しい。本来は余が山の頂に還すはずだったのだが、嵐に見舞われてこのザマじゃ。頂にはもう誰も近づけぬ。そこまで参れとは言わぬ。とにかくこれを人の目に触れる事の無き処へ、ゴホッゴホッ!…たのむ」

「お、仰せつかりました」


とは言ったものの、この嵐の中遠い所まで行かされるのは難儀な事だと側近は思った。

ちょうどそこへ若い兵が通りがかった。

「おい、そこの者」

若い兵は「私めでございますか?」と自分を指差した。

「そうだ。そのほうに王からの命を与える。今すぐこの紫の花びらを人の寄り付かぬ所へ捨ててくるのだ」

兵は「?」という顔をしたが

「これは王からの命令なるぞ!謹んで受けるが良い」

と花びらを渡した。

「ハッ!国王陛下の仰せのままに」

彼は荒れ狂う嵐の中、馬を駆って出て行った。

「ふう、これで良い。我は雷も濡れるのも好かぬ」

側近は自室に戻り、面倒を頼まれないようしばらくこもる事にした。


           4


ナーナとタオ、そして衛兵長の三人は牢を出され、王様の部屋に連れて行かれた。

病床の王は起き上がる事もままならず、体を横たえたまま彼女達に話し始めた。

「まずはそなた達に詫びねばならぬ。この度は余の身勝手でそなた方に不自由な思いをさせて、誠にすまなかった」

ナーナは静かに彼を見つめる。

「ナーナ殿、この嵐は神のお怒りか。我らはどうすれば良いのか」

彼女は目を閉じ、それから王に伝えた。

「雨は神の嘆き。アガタの神は泣いておられるのでしょう。この国の行く末に。人々の心の闇がいずれその身を滅ぼそうというのに、それに気付く事の出来ない哀れな姿に」

ナーナは王に近づき優しく語りかける。

「闇の花びらは、人の手にあってはならぬもの。ヴァサマはその花の持つ力についても貴方に語られた。あの方は神の言葉を伝える身。本来なら青い花の事だけをお教えすれば事は済んだはず。でも敢えて、アガタの神は闇の花の存在とその力を知らしめた。それは何故か。…神は試されたのでしょう。そして確かめたかったのです。欲と博愛、この二つを持ち合わせる人間の、その不完全な愛しい生き物の、選ぶ道を」

王は天井を見上げて呟いた。

「…余はその選択を、誤った」

あの日、青い花だけを大地から譲り受けるはずだった。だがそばに咲く紫の花の力に魅入られて、それをも手に入れようとした。

「あの花の持つ力は絶大です。見る者を惑わすおそろしい力も持っています。それに抗う事が出来るのは、一寸たりとも心に闇を持たぬもの。人を想い、人を願い、人のために祈る者。そんな人間は、ほとんど居ないでしょう。その不完全な心も、人の慈しむべき姿なのですから」

取り返しのつかない自分の過ちを慈悲深き神から赦(ゆる)しを与えられた様な気がした王は、その瞳から涙を流した。

「まだ、やり直すことは出来ます。あなたはご自身でその過ちに気づき、花びらを手放した。人の手から離れれば、神の嘆きは次第におさまるはずです」

雨はまだ勢いを衰えさせていない。噴水の像が先ほど水面に没した。

 ナンサマ、ナンサマ。

王は今こそ、民のためだけに祈りを捧げた。そうして静かに目を閉じた。


異変に気づいた衛兵長が王の横たわるベッドに駆け寄る。

「陛下!陛下!」

何度も呼びかけたが応える事はない。老いた体は長時間さらされた雨風に耐えられなかったのだ。

タオも事態を理解し、大きな瞳をナーナに向ける。

「ナーナ!助けて!このおじいさんをナーナの魔法で助けてあげてよ!」

懇願する少年に、ナーナは目を閉じて首を振った。

「生き死には、私はどうする事も出来ません。命あるものがその灯を終えるのは、自然の摂理なのです」

「そんな…。そんな静かに言わないでよ!ナーナは悲しくないの?!神様がそう言ったら、ただそれだけなの!?そんなの酷いよ!ナーナは…」

そう言いかけて、タオはハッとした。ナーナの目は閉じられたまま、溢れる涙が頬を伝っていた。

「…ごめんなさい」

彼女は王の亡骸に近づき、そっとその手を握った。

「シワだらけの手。たくさんの人達のために、時には汚したくないこの手を汚して来たのね。そして力いっぱい、みんなを引っ張ってきた。ようやく大切な事に気がついて、これからまたこの手でみんなの幸せを取り戻したかったでしょうに。これからだったのに…」


 ありがとう。ご苦労様でした。

ナーナは想いを込めて、その手をもう一度力強く握りしめた。ポタポタと、涙のしずくが止めどなく落ちた。



城の門扉に、薄汚れた格好の男が現れた。

町の家々は多くが水びたしになり、家屋が壊れて逃げ場を探して廻る人もいた。衛兵はこの男もその一人だと思った。

「この先を通すわけにはいかぬ!……申し訳ないが、分かって頂きたい…。我らも民を救えず、悔しいのだ。出来る事ならこの城に皆を集め、雨と寒さからその身を共に守りたいのだ…」

未曾有の災害のなかで、鍛え抜かれた衛兵の心も砕かれそうだった。

「お気になさらぬよう。私は助けを乞うためにまいったのではございません。城の裏山に、私達の住居があります。…まぁ我々は、棲み家(すみか)と呼んでおる洞窟ですがね。身を寄せる場所もなく困っている人達が居るのではないかと。そこなら雨風をしのげます。贅沢ではないですが、食べるものもありますよ」

その言葉に衛兵は顔を見合わせた。今まで自分たちがないがしろにしてきた連中だ。ふと見ると、男と同じ様にいかだを漕いでやってくる列が見えた。連中は町の人に手を差し伸べるため、この嵐の中をやってきたのだ。

「可哀想に壊れてしまった家の破材で、いかだを作って来ました。かなりの人数を案内する事が出来ますよ」

衛兵の一人が城に状況を伝えるために走った。

最初に声を掛けた衛兵が男の手を握りしめ

「感謝申し上げます。誠に、言葉になりません…」

と涙を流した。



激しい雨の中を一人の衛兵が馬を駆りやって来る。

人目につかない所と言われて彼が思いついたのはベカラズの森だった。ここなら誰も近づけない。この花びらが人に見つかる事もない。

全身ずぶ濡れの彼は馬の体力も考え、そう奥の方へ行かなくてもいいだろうと考えた。

入り口から少し進んで、道らしき道が無くなった。

ここまで来れば大丈夫。

彼は預かった花びらをそのあたりに放り投げた。いい具合に風にあおられて木々の向こう、ゴツゴツした岩山の方へ飛んでった。

役目を務め終えた彼はふぅっと息をついて、もと来た方向へ馬を走らせた。



折角久しぶりに獲物がやって来たと思ったのに、武器を持つ兵だった。おまけに来たかと思ったらまた走り去っていく。

一体何をしに来たんだろうと訝しみながら隠れていた岩山を出ようとした時、足元に紫色の花が落ちているのが目に入った。


珍しいな。こんな色の花はこの森では見たことがない。

彼がそう思って花びらを拾い上げると、体の中から何かが湧き出して来るように感じた。

望むものすべてが手に入るような、そんな自信さえ湧いてくる。

「こりゃあ…、魔法の花びらだ」

黒眼鏡の奥で、彼の目は不気味に怪しく光った。



避難を余儀なくされた町の人たちの全てが洞窟に収容された。彼らは洞窟の住人たちが用意してくれた衣服に着替え、凍えた体を焚き火で温めた。

こんなものしか無いですがと出されたスープは自然の恵みをいっぱいに受けた野菜スープだった。体が温まり、やっと安心すると皆涙が出て来た。

「住まいを失われて、さぞお辛いでしょう」

優しい住人たちが町の人をいたわるように寄り添った。

「辛いことには違いありませんが、それは家を失ったからではありません。自分たちがあなた方にしてきた事、逆に何もして差し上げて来なかった事、それを思うと辛いのです。そんな私たちに、あなた方はこんなに親切にして下さって…」

町の人はみんなグスグスと泣き出した。

「困った時は、お互い様です」

そう言って微笑む女性に、人々はまた涙した。


洞窟に住む人達は自分たちの力で暮らしを創っていた。そこには金品も、おしゃれな洋服も必要無かった。お互いに助け合い、大地の恵みに感謝する心さえあれば。

嵐の中、危険を省みず川で魚を獲って来てくれた男たちが「流れが荒くていつもよりでっかいのが珍しく穫れた」と言って沢山の魚を焚き火で焼いてくれた。

火を囲む大人たちの格好を見ながら、町の少年が

「みんな、同じだね」と言った。

それを聞いた大人達は、違いに顔を見合わせてみんな同じ笑顔になった。



王様の棺は雨が少し弱まった日の早朝に宮殿から運び出された。本来なら国葬として町を挙げて喪に服す所だが、被災した町の状況はかなり深刻で雨が少し弱まった今でも、まだ多くが水に浸かっている。

ナーナ達は王様を見おくったあとも宮殿の王の部屋にいた。

主の居なくなった王室。いずれこの椅子に誰かが座るだろうと衛兵長は複雑な思いで見つめていた。

タオは窓の外の荒れ果てた光景をみながら、自分の村はどうなっているだろうと思いを馳せた。

 どうかみんな無事でありますように。

彼は目を閉じてそう祈ってからナーナの方を見た。

彼女はまた青の花を見つめている。

このまま嵐が収まれば、またナーナと一緒に村へ戻れるだろうか。

タオはこれからどうするのか尋ねようとナーナに近づく。彼女は相変わらず花から目を離さない。

どうしたの、と言いかけてタオも花を見た時、

「あっ!」と声を上げた。

茎が真っ黒になり、花びらは何とかその形を留めているが、葉っぱは全部枯れていた。

「これ、って…」

タオが目を離せず口を開くと、ナーナから思いも寄らない言葉が発せられる。

「闇の花びらは、人の手に渡った」

彼女は花を凝視して言った。

「もっと邪悪な、者の手に」

 カッ!と周りが見えなくなる閃光と共に、大地を揺るがす程の雷鳴が轟いた。

タオの体は勝手に身震いした。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る