かすかなるもの


          1


町外れの小さな宿にナーナとタオは居た。

ここまで送ってくれた行商の男は目的地まで乗せて行くと言ってくれたが、今は目的の場所は定まっておらず、それに今の彼にはやるべき事があるとナーナは分かっていた。おそらく彼自身、それが使命だと感じていることも。


別れ際に彼はやっと名前を教えてくれた。

男の名はバレル。

大昔に活躍した騎士の名前らしく、自分にはもったいないとほとんど名乗った事は無いという。

「バレル殿。あなた様にアガタの御加護があらんことを」

ナーナは彼の行いが人と自分自身とを幸せに導くよう祈った。


 

宿で食事を終えたナーナとタオの二人は部屋に戻った。今後どうするか、決めなければならない。

宿屋の女将さんがしばらく歩けば大きな町があるが、森を女子供だけで抜けるのは危険だと忠告した。

 

ナーナは一人で隣の町へ向かうつもりだった。

タオの両親も心配しているだろうし、危険な目に遭わせる訳にはいかないと思った。

だがタオは絶対に付いていくと譲らなかった。

(僕はたくさんの人達を幸せにしたい。いつか誰かの役に立ちたい。でも今は、ナーナの役に立ちたい。…何が出来るか、分からないけど…)

何も出来ないかも知れない、かえって足手まといになるかも知れない。それでもタオは、ナーナと一緒に行きたいと思った。

「分かったわ、タオ。一緒に行きましょう。あなたが居てくれると、私も心強い」

ナーナはこの小さく勇敢で、優しい少年を抱きしめて言った。

「どうかあなたにも、アガタの御加護があります様に」

タオはまるで女神様に天国で包まれているような、幸せな気分を感じた。



 

<薄暗い夕暮れから明け方までは人が通らない。この森には危険があると誰もが警戒しているからだ。

ならば昼間に仕事すりゃいい。もちろん俺たちにとって不都合はあるが、こう毎晩誰も通らないと、不都合どころか死活問題になる。

自分が一旗あげれば誰もが活路を見い出せる。それに、こんな大それた事をやってのけたとなれば噂はたちまち広がるだろう。そうすれば頭の中でも最も高い位に立てる。何もかも思いのままだ>

山賊の頭(かしら)、ウゴールは仲間を集めて活動の決行を指示した。



 

そこは昼間でも薄暗く鬱蒼(うっそう)としている。

かつては多くの人達が行き交い、道も開かれていたこの森は、いつの頃からか「ベカラズの森」と呼ばれる様になった。


入るべからず。近寄るべからず。


森の闇は人をも飲み込み二度と帰らないと恐れられている。そこに盗賊まで出没するというのならば尚更誰も近寄らなかった。


 

早朝から町を出たナーナとタオは丘の上で綺麗な朝日を目にすることが出来た。山間部に住むタオは初めて目にする光景にうっとりしていた。周りには何もなく、お日様が新しい一日の到来を告げる。

 僕が見なくても、太陽は毎日こうして輝いて

 いる。人間が居なくても、多分それは変わら

 ないんだろう。

でもタオは、こうして朝日が昇るのを見て、それを美しいと感動する人間に生まれてこれて良かったと思った。

人のためではなく、誰のためでも無いのにあの偉大な光は大地を照らす。その中で命をはぐくめる事がとても尊く、切ないほど嬉しく、感謝せずに居られなかった。

ナーナを見ると、彼女は目を閉じて朝日に手を合わせている。

 暗い闇がいつの日か光の元に照らされます

 様に。

タオには彼女がそう祈っているような、そんな気がした。


美しい朝日に見送られて丘を下りると、まるで反対の景色が彼らを迎えた。

どこを見渡しても覆い尽くすような木々。高くそびえ立つその鬱蒼とした森は、日の光さえも遮るようだった。

「ここが、ベカラズの森…」

話には聞いていたが初めて訪れるその場所の、何とも言い難い雰囲気にタオは思わず身がすくんだ。

ナーナは森の奥へ続く道の始まりで一旦足を止めた。

「かすかに、感じる」

タオが「…何を?」と訊ねると、ナーナは目を閉じたまま「闇に光る目を」と答えた。

それがどういうものなのか、何を意味するのかタオには分からないが、自分の想像する限りそれは恐ろしくて得体の知れないものとしか思い浮かばなかった。

「行きましょう」

構えるでもなく決心する訳でもないその自然な声に、タオはすがる様な気持になった。

(ダメだダメだ。何を怖気づいてるんだ。ナーナに危険が迫った時に、彼女を守るために僕は一緒に付いて来たんじゃないか。しっかりしろ、タオ!父さんならきっとそう言うに違いない)

その父ですら近づく事のない森に、彼はナーナに少し遅れをとって踏み出した。




           2


朝ということもあってか、森の中は思っていたほど真っ暗ではなかった。人間が来るとピーピー飛んで廻る鳥の声が、ここにも命がある事を感じられて少しホッとする。

だが人がほとんど通らない小道には枯れ木や枯れ葉が無造作に散らばっていて、昔はたくさんの人が行き来する便利な場所だったとはとても思えなかった。

さほど登り下りしていないのが何よりだったが、どこから転がって来たのか、所どころ大きな岩が脇に鎮座していたりして、それも蔦(つた)や苔に覆われている。

タオは無意識のうちにナーナの後をくっ付いて歩く格好になっていた。


途中にあった綺麗な川のほとりで一休みして、また黙々と歩く。宿屋の女将さんがこしらえてくれた簡単な昼食をナーナはほとんど食べず、お腹をすかしたタオがその残りをもらって食べた。

「ありがとう」と彼女に言われたが、自分はやっぱり足手まといになってるだけじゃないのかと思う。

そんな浮かない顔を見てナーナは「大丈夫?頑張ろうね」と声を掛けてくれる。嬉しいやら申し訳ないやらで、早くこの森を抜けたいとタオは思っていた。


もうすぐお昼という頃。これまでで一番大きな岩に出くわした。ナーナが急に足を止める。

よそ見をしていたタオが彼女にぶつかり「ゴメン」と声を出したが返事はなく、彼女は真っ直ぐ岩の方を見つめている。

確かに大きな岩だけど何がそんなに気になるんだろう、とタオもそちらへ目を向ける。ナーナは真っ直ぐに岩のてっぺんを指差した。

じっとした沈黙がしばらく続き、岩の陰からガサガサと人の気配がする。

その沈黙は、野太い男の「なぁんで気付きやがったぁ?」という悪意に満ちた声で破られた。

岩陰からゾロゾロと人が出てくる。ただの人ではない。刃物や鎖を持った、悪い男達。

 山賊だ。

タオはギクッとして身構えた。7〜8人は居る。

 (女こどもで行く様なところじゃない)

宿屋の女将さんの忠告が頭によぎる。

悪い男達はニヤニヤと不気味に笑いながら声を掛けてきた。

「こんな所へ何の用だい、えぇ? か弱い娘さんと幼い坊っちゃん」

ナーナは顔色を変えず

「ここに用はありません。森を抜けて先の町へ向かうところです」と言った。いつもの柔らかさは無く、凛とした張りのある声だった。

「おぉそうかい。この道を通るにゃあ俺たちに通行料を払って貰わなきゃなんねぇ。その事は知ってるのか?」

鎖を持った大きな男が言った。

「いいえ。ここはみんなの道です。私達はお金も、それをあなた方に払うつもりもありません」

「そいつぁ困ったなぁ。どうしやす?お頭」

岩のてっぺんから見下ろす一人の男に悪党が訊く。

「女は売り物にする。丁重に扱え。小僧は捕らえて働かせろ。使えねぇ様ならそこに捨てとけ」

ギョロ目の男が値踏みするような卑しい目でジロジロと二人を見廻す。

「この女ぁ、こいつは高く付きますぜ。売るのが勿体無ェぐらいだぁゲヘヘ。このちっぽけな奴ぁ、こりゃあ使いもんにならねーな」

タオは心の中ではムッとしたが、足は震えていた。

(僕はここで、ころされるのか…?)

ギョロ目男がナーナに手を触れようと近づいた瞬間、

「ゴオォーーンッ!!」

と聞いたことのない獣の様な声が森に響いた。

山賊たちも何だ何だと辺りをキョロキョロし始める。


森の奥深く、藪(やぶ)の向こうから「ガサガサッ!ガサガサガサッ!」と何かが駆け廻る音がする。一匹ではない。何匹もの何かが周りを囲っている。

やがて、

「ズサッ!ズサッ!」

と、ゆっくりとした大きな足音の様なものも近づいて来る気配がした。

日の位置が変わり、森の木々の間から光が差し込み周りが照らされた瞬間、山賊たちは腰を抜かしそうになった。


廻りは無数の狼の群れで隙間なく埋め尽くされ、それらは今にも襲って来そうに牙をむき出している。

その中でも牛の大きさほどもある巨大な狼が、サーベルの様な牙を露わにして近づいて来る。日が差しているというのに、その目は爛々と赤く光っていた。

「がっ、ガーダルグローだぁっ!」

全員目を疑った。神話に出てくる、神の使いとされる幻の神獣。信じられないが、目の前のそれはまさにガーダルグローそのものだった。

その姿を直に見たものは、目を祟(たた)られ視力を失う。サーベルの様な牙は牛をも一突きでころす。

 

山賊たちは慌てて「見ておりません、見ておりませんナンサマナンサマァーッ」と叫びながら一目散に逃げて行った。

岩のてっぺんに居た山賊の頭は黒い眼鏡の奥から「チッ」と睨み、急いでその場を離れた。


突然の出現に瞬きも忘れて腰を抜かしたタオの目の前で、神獣はナーナの元へ近づいていく。

ナーナが手をかざすとガーダルグローは頭を垂れて寄り添い、彼女が鬣(たてがみ)を撫でると目を細めてその頭を揺すった。ナーナはタオの方を向き

「大丈夫。心に闇を抱えてないあなたには何も起きないわ。それに、本当は目に見えないものなの」と微笑んだ。

「良くない気配を感じて、来てくれたのね。ありがとう」

まるで良く懐いた猫のように「グルル…」と喉を鳴らすと、伝説の神獣はゆっくりと向きを変えてその場を後にし、廻りを覆っていたオオカミたちもそれに従うように後に続いて去っていった。



 

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