バケモノ、息子と旅する

お小遣い月3万

第1話 妻がぬらりひょんに殺された

 妻がぬらりひょんに殺された。


 感染の確率は半分くらいで、結衣さんが噛まれてから3日が経とうとしていて、その間にもテレビが繋がらなくなったり、スマホが繋がらなくなったり、水道から水が出なくなったり、電気が使えなくなったり、ガスコンロから火が出なくなったり、ライフラインが使えなくなって、都会の一軒家なのに孤島みたいになっていった。


 最後に見たテレビで専門家の中年男性がウイルスについて喋っていた。YOUKAIと名付けられたウイルスの感染率は半分ぐらいで、感染した人間は異形になり暴力的になって人を襲う。その異形が妖怪に似ているからYOUKAIとローマ字でカッコ良く名付けられたらしい。腕時計で召喚するような可愛いらしいヨウカイちゃんじゃなくて、見たらオシッコが漏れそうなバケモノに人間が変形してしまう。


 ちなみに俺達は感染者のことを妖怪でも、お化けでもゾンビでもなく、バケモノと呼んでいた。息子が妖怪を怖がったし、見た目がゾンビっぽくなかったし、バケモノが言葉としてスッポリと収まったのだ。


 YOUKAIに感染した人は恐ろしく凶暴になる。人間は体が壊れてしまうから力を制御しているらしいのだけど、感染者は、その制御装置が壊れていて、人が太刀打ちできないような力を発揮して、人間を殺して殺して殺してまくった。そこに思想も意思もなくて、ただ人間を殺しまくって、たまにバケモノ達は人間を噛んで、殺さずに逃した。

 ウイルスも生きているのだ。アメンボだってオケラだってウイルスだって生きているのだ。みんなみんな生きているから、子孫を繁栄したいし、生き続けたい。ウイルスが生きるためには人間の体が必要で、噛むことでウイルスをラブ注入して、子孫を繁栄しているみたいだった。



 感染率が半分っていうのが、このウイルスの賢いところで、人々を疑心暗鬼にさせて、感染の可能性があるのに申告できない心理状況にさせた。

 感染率が100%なら、バケモノになる前に殺されても諦めもつくけど、半分の確率で人間のまま生きていけるかもしれない、その可能性が、ウイルスを繁殖させてしまった。

 1匹のバケモノにつき、ランボーが1人必要なぐらいにバケモノは強かった。だから人間のうちに殺しておかないと太刀打ちできないけど、半分の確率で助かってしまうから、家族が噛まれたら殺せないし、自分が噛まれたら秘密にしてしまう。

 ウイルスは人間の生存本能に身を隠して、繁殖していったのだ。


 しかも噛まれてからバケモノになるまでは個人差あり。すぐにバケモノになる人もいれば、3日経ってからバケモノになる人もいる。


 俺達が避難所に行かなかったのは、結衣さんが職場から家に帰って来る最中に、手足が異常に長いバケモノに噛まれたからだった。誰にも迷惑かけずに、家に引きこもって、妻が感染してないことを願ったけど、妻は感染していた。

 


「今、タロウたんを殺そうとしてた」

 結衣さんはタロウ君を助けるために差し出した俺の手を噛んで、血をジュルジュル啜り、感染のスピードが遅いせいで人間の心が残っているらしく、自分がやろうとしたことに涙を流しながら呟いた。


 俺は痛いのと感染したんじゃないか? という心配と結衣さんがバケモノになった恐怖と、俺達が感染したらタロウ君はどうするんだろう? という不安で痛いのに叫べなくて、窓を段ボールで遮断して深海のような暗闇の中で防災用ライトに照らされた結衣さんを見つめた。

彼女のオデコには鬼のような2つの突起物が生えていた。


「はぁあぁぁ」

 と結衣さんは、眠っているタロウ君を起こさないように音を殺すように泣き叫び、「ごめんね」と言って、編んでいた毛糸を解いて俺の手首にグルッと巻きつけて締め付けた。


 4歳になったばかりの小さいタロウ君はベッドの上で、スピースピーと可愛らしい寝息をたてながら眠っていた。


「痛い」と俺は呟いた。

 噛まれたことがじゃなくて、毛糸を強く腕に巻きつけられたことが痛い。結衣さんの力が驚くほど強くて、職人のような手際で巻きつけた毛糸を解けないように結んだ。

「ごめんね。ウイルスが体に入っていかないように、糸を巻きつけたから」

 と結衣さんが言った。

 糸を腕に巻きつけても意味はないと思うけど、俺のことを思って巻かれた糸を解こうとは思わなかった。それに、こんな頑丈に結んだらハサミがないと俺には解けない。


「タロウたんをお願いします」

 と結衣さんが泣きながら言ったけど、オデコの突起物が大きくなり始めていて、もう少しで結衣さんの人間の心は無くなって俺達を殺すんだろうと思った。

 頭の中では別れの言葉を探しているのに、足がガクガクと震えてオシッコを漏らしそうになる。

 結衣さんにタロウ君を殺させないために、息子ちゃんに布団をかけて隠した。


「わかった」

 と俺は言った。


 ニコッと泣きながら笑った彼女の顔は悲しそうで、出会った時のことやデートしたことや結婚したことやタロウ君が生まれたことやパンデミックになる前まで幸せに暮らしていたことを思い出して息が出来なくなる。


「愛してる」

 と俺は言った。


 世界がこんなことにならなければ幸せにいつまでも暮らしましたとさ、で終わる人生だった。

 俺は結衣さんを抱きしめるために手を伸ばそうとしたけど、彼女は「ダメ。殺しちゃう」と言って、ベッドから降りて扉を開けて出て行った。


 俺は防災用ライトを持って結衣さんを追いかけて部屋から出た。バケモノ達にバレないように窓は段ボールで防いでいるせいで家の中は暗闇だった。


 俺が下に降りた時には結衣さんは自殺するための包丁を持って、玄関の扉を開けようとしていた。家の中で死んだらタロウ君に見つかるから外に行こうと思ったのかもしれない。


「結衣さん」

 と俺は彼女の名前を呼んだ。


 結衣さんは扉を開ける前に、俺に振り返った。

 防災用ライトに照らされた彼女の目は吊り上がり、口から白い牙が2つ生えていて俺はビビって後去り、階段に足が引っかかって尻餅をつく。バケモノは何かを言おうとしたのか、それとも俺を殺そうか迷ったのか、一瞬だけ何かを考えてから玄関の扉を開けた。


 扉を開けると日光が入り込み、玄関先が照らされて外の景色が見えた。たまたま家の前に別のバケモノがいて、ソイツと目が合った。

 ソイツは老人の姿をしていて、上半身は裸で、皮膚は垂れて、禿げた頭が膨張して風船のように膨らんでいる。

 ぬらりひょん、だと思った。


 一瞬のことなのに時間は停止したように流れた。 

 ぬらりひょんの手には肉片が付いた白い剣のようなモノが握られていて、その柄の部分は、すごくリアルな手で、いや、人間の手そのもので、ぬらりひょんが持っている剣をよくみると、それは剣じゃなくて人の腕を千切って骨を削ったモノだった。


 バケモノになった結衣さんが家を飛び出して、ぬらりひょんと鉢合わせして、水を切るような滑らかな動きでぬらりひょんが人の骨で作った剣を横に振った。

 結衣さんの頭部がドテっと落ちる。

 

 ぬらりひょんを家に入れたらタロウ君が殺されると思って俺は慌てて扉を閉めに行く。

 バケモノが俺を見つめて、のそのそとコチラに近づいて来ていて、体全身が恐怖なのか悲しみなのかわからないけどブルブルブルと震えていて、慌てて扉を閉めて鍵をかけた。

 

 ガチャガチャ、と外からぬらりひょんが扉を開けようとしてくる。

 

 上の階でスピースピーと寝ているタロウ君のところにダッシュで行き、慌てすぎて階段で転んだけど痛みはなくて、早くタロウ君のところに行きたくて、慌てて階段を上がって寝室に行くと、まだタロウ君はベッドの上で幸せそうにスピースピーと寝っていた。


 俺はタロウ君を抱き上げてクローゼットに入って、小さな息子を抱きしめた。タロウ君はスピースピーと眠っている。

 ママ死んじゃったよ。

 遠くの方でガラスが割れるバリンと音がした。

 ぬらりひょんが家に入って来たんだろう。

 タロウ君、と俺は呟いて抱きしめた。


 頭が膨張した老人が家の中をウロウロしていることを想像する。そういえば、ぬらりひょんという妖怪も、家の中に侵入してくる妖怪だっけ?

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