第2話
「それで、これがこうなって……」
「なるほど」
始業からおよそ一時間後、私は士狼君に仕事を教えていた。士狼君はとても真面目で、教えた事をメモに書きながらしっかりと質問をしてその答えもメモに書き留めていた。
メモに視線を落としながら早く仕事を覚えようとする士狼君の顔はとてもかっこよく、本当にあの泣き虫で私を見る度にすぐに近寄ってきた士狼君なのかと疑うほどだった。
「あの……月島君」
「はい、なんですか?」
「変な事を聞くようだけど、私の事って覚えてる?」
「はい、もちろん。顔にも面影があって、名前もあの頃のままだったのですぐにわかりました」
「そうだったんだ」
てっきり私の事なんて忘れていると思っていたから覚えていると言われて私は少しだけ嬉しくなった。けれど、勘違いをしてはいけない。覚えていたのは面影があったり名字が変わったりしていなかったからであり、私に対して特別な感情があるからではないのだから。
少し寂しさを感じながらも気持ちを切り替えた後、私は再び士狼君に仕事を教えていたが、背中には若い女の子達の突き刺すような視線を感じていた。特に強い視線を送ってきているのは、去年入ってきたばかりの#矢嶋__やじま__#さんだろう。
矢嶋#日南子__ひなこ__#さんは正直まだまだ学生気分が抜けていない印象がある子で、少し不真面目なところがある。その上、少しでもカッコいい男性社員がいれば積極的に声をかけにいくし、結婚相手に求める理想もどうやら高いようだ。
ただ、矢嶋さんからすればそういう理想を無視してでも士狼君が魅力的に見えるし、教育係という形でも近くにいられる私が恨めしいのだろう。以前に女の旬は二十代までと少しバカにした言い方をしていたのもあって。
そうして午前中の仕事も終わり、電話番の人を一人残して上沢さんを始めとしたみんながバラバラとお昼を食べに行く中、私も社員食堂で食べるためにお弁当を用意した。
「これでよし」
「あ、あの!」
「ん?」
見ると、そこには少し緊張した顔の士狼君がいた。その手には自分のお弁当があり、この様子からお昼ご飯に誘いに来てくれたのは明らかだった。
「もしかして、お昼ご飯?」
「は、はい! あの、よかったら僕と──」
「月島くーん、私とお昼にいかなーい?」
士狼君の言葉を遮る形で矢嶋さんが声をかける。
「え、ですが……」
「いいから、いいから。ほら、早く行こ!」
「ちょ、まっ……!」
矢嶋さんの強引さに押される形で士狼君が矢嶋さんに手を引かれていく。その一瞬、士狼君は助けを求めるような視線を向けてきたけれど、矢嶋さんが私に対して敵意のこもった視線を向けてきた事で、士狼君を助ける事が出来ずに私はお弁当を持ったままで立っているしかなかった。
「行っちゃった……」
士狼君とお昼ご飯を一緒に食べられなかったのは残念ではあるけれど、私と食べてもお互いに何も話せずに終わっただろうし、これでよかったのかもしれない。
「でも、あんなに立派に成長してるなんて思わなかったなあ」
「あれ、月島君と知り合いなの?」
電話番で残っていた#佐々__さっさ__#さんが声をかけてくる。
「はい。昔、家が隣同士だったので、何かと関わる機会があって。それがきっかけで小さい頃の彼にはだいぶ懐かれていたんですけど、小さい頃の彼とは違った立派な姿になっていたので驚いちゃいました」
「なるほど。たしかに月島君はかなりカッコいい部類だし、実は犬飼さんも月島君を見てちょっとドキドキしたんじゃないの?」
「まあそれはありますけど、流石にもう私なんか必要ないくらいになってると思いますよ。まあ、矢嶋さんに強引に連れていかれてましたけど」
「矢嶋さん、すっかり月島君をロックオンしてるからね。けど、犬飼さんに一番に近付いた辺り、今でも犬飼さんの事を頼れる人と思ってるんじゃないの?」
「どう、でしょうね」
そう思われていたなら嬉しい。けれど、私をお昼に誘おうとしてくれたり助けを求めるような視線を向けたりしてきたのは、あくまでも昔からの知り合いというだけだと思う。私だって新しく入った職場に知り合いがいたら、その人を頼りたいと思うから。
「けど、大丈夫かな。矢嶋さんのアピールで気疲れしないといいけれど」
「なくはないだろうね。だから、後で月島君のケアをしてあげたほうがいいよ。初日からあんな濃いキャラと相対したわけだし、その分の疲れはあるだろうから」
「わかりました。それじゃあ私もお昼に行ってきます」
「行ってらっしゃーい」
佐々さんに見送られながら私は社員食堂に向かう。その道中、会社の裏庭のベンチに座る士狼君と矢嶋さんが見えたけれど、嬉しそうに話す矢嶋さんに対して士狼君は本当に困っているような顔をしていて、その姿が昔の士狼君と重なって私はどうにかしてあげたいという気持ちになった。
「……仕方ない。矢嶋さんには後で睨まれるだろうけど、少し助けてあげようか」
ため息をついた後、私は裏庭に出て二人に近付いた。
「月島君、少しいいかな?」
「え……あ、犬飼先輩……」
「犬飼先輩、いま月島君と話していたんですけど?」
矢嶋さんは邪魔をするなという視線を向けてくる。けれど、さっきとは違って私は怯む気はなかった。士狼君が確実に困っているのだから、助けるのが先輩として、そして昔馴染みとしてやるべき事だと思ったからだ。
「ちょっと午後の仕事について今のうちに話しておこうと思ってね。矢嶋さん、申し訳ないけれど月島君を借りていくよ」
「……はーい」
返事はしたけれど、矢嶋さんの目には憎しみと敵意がこもっていた。それを感じながら心の中でため息をついた後、私は士狼君に声をかけた。
「お昼休憩中にごめんね、月島君」
「あ、いえ……」
「それじゃあ行こうか」
「は、はい」
矢嶋さんからの突き刺すような視線を背中に浴びながら私は士狼君を連れて裏庭から出る。そしてある程度裏庭から離れると、士狼君は安心したように大きく息をついた。
「はあー……」
「大変だったね、月島君。矢嶋さんに捕まって」
「はい……あの、本当にありがとうございます」
「いいの。さっきも助けを求めるような視線を向けてきてたし、初日から大変な思いをさせるわけにもいかないから」
微笑みながら言うと、士狼君はあの頃と同じように目を輝かせながら私を見ていたけれど、やがて小さくため息をついた。
「やっぱり僕はまだまだなんだな……」
「え?」
「犬飼先輩、いや陽乃さん。僕はあなたのために色々な努力を重ねてきたんです。昔から僕を助けてくれて、色々優しくしてくれたあなたを守り、ずっとそばにいるために」
「士狼君……」
「筋トレも欠かさずに続けて、勉強も頑張って、貯金も少しずつしてきました。今はまだまだ頼りないかもしれませんが、きっと陽乃さんに振り向いてもらえるようにこれからも頑張っていきますから」
士狼君の表情はとても真剣で、嘘や冗談で言っているようには見えなかった。
「私のため、か」
その言葉は嬉しい。でも、そんな努力を重ねてきた士狼君に私は釣り合わない。だから、士狼君には悪いけれど、どうにかして諦めてもらい、もっといい相手を見つけてもらおう。
「うん、会社の先輩として士狼君の成長を見させてもらうね。それじゃあお昼にしようか」
「はい」
士狼君が答えた後、私達はお昼を食べるために社員食堂の中へと入っていった。
昔可愛がっていた子犬系男子と再会したら成長して溺愛してきます 九戸政景 @2012712
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