昔可愛がっていた子犬系男子と再会したら成長して溺愛してきます
九戸政景
第1話
『春乃おねーちゃーん!』
白いシャツに青い短パンの男の子、月島士狼君が私のところまで駆けてくる。その顔は泣いていてぐちゃぐちゃで、今度はどうしたのだろうと思いながら抱き止めてあげると、士狼君は私の胸に顔を埋めてから潤んだ目で見上げてくる。
『きーてよ! クラスの子が!』
『うんうん、大丈夫。しっかりと聞くから、まずは落ち着いて、ゆっくり話してみて?』
『うん……』
士狼君は泣きべそをかきながらも何があったのかを話してくれた。クラスの子が、と言っていたからあまり話したことのない子とのトラブルなのかなと思っていたけれど、話を聞く限りはそうみたいだった。
士狼君が話し終わり、悲しさと悔しさが入り交じった顔で泣く中、私は微笑みながら士狼君の頭を静かに撫でた。
『うん、悲しかったし悔しかったね。でも、このまま泣いてるだけじゃダメ。そういう子達にも負けないように強くならないと』
『強く……?』
『うん、強く。でも、強くなっても乱暴な事をしてもいいわけじゃないよ。その強さは大切な人を守るために使って。きっと、士狼君にはどんなことがあっても力になりたいと思える人が出来るはずだから』
撫でてあげている内に士狼君は泣き止み、目を赤くしながらも決意を固めた顔で私の事を見上げていた。
『それなら、おねーちゃんのために頑張る』
『私のため?』
『おねーちゃんはいつも僕のお話を聞いてくれるし、今みたいに優しくしてくれる。だから、僕はおねーちゃんのために強くなる。それで、ずっとおねーちゃんのそばにいて、おねーちゃんが辛い時には力になるし、おねーちゃんの事を守るんだ!』
『士狼君……』
士狼君の顔は何故か少し大人びて見え、まだあどけなさは残っていたけれど、将来は異性からの視線を集めるようなイケメンになるだろうと予測出来る程のかっこよさも備えていた。
『……うん、それならその時には守ってもらおうかな。でも、おねーちゃんがまた士狼君の事を守ることになったりして』
『そんなことにはならないよー!』
士狼君はムッとしてから口をプクッと膨らませる。その姿が可愛らしく見え、私はクスクス笑ってから膨らんだ頬を人差し指で軽くつついた。
『プッ!』
『ふふ、可愛かったからつい』
『もー、おねーちゃーん!』
プリプリ怒る士狼君は年相応の子らしくて可愛く、そんな士狼君の事を私は年の離れた弟のような気持ちで見ていた。
「ん、んん……」
朝、私はまだ眠たい中で声を上げながら目を覚ました。時間は午前六時、昼食のお弁当を作るために眠くても起きなければいけない。
「……懐かしい夢を見たなあ」
懐かしさを感じると同時に胸の奥がポカポカしてくるのを感じながら私は夢の中に出てきた士狼君の事を思い出した。月島士狼君は私の実家の隣の家の子で、私とは歳が十二歳も離れている。だけど、お隣さんということもあって、私は何かと士狼君と関わる機会があり、士狼君も私に懐いてくれていて、何かある度に私のところまで来るようになった。そんなこともあって、私は士狼君を歳の離れた弟として可愛がっていた。
ただ、大学の卒業と同時に私は就職で都会に引っ越したし、士狼君もお家の事情で引っ越していってしまったから、もう十年以上も会っていない。実家には年に一回程で士狼君の写真が送られてくるようだが、実家に帰る度にいい人はいないのかと言われてしまうので、私はそれがうっとうしくて実家に帰ることもなくなった。だから、私の中の士狼君の姿は小学生の頃で止まっているのだ。
「まあでも、私の事なんてすっかり忘れて元気にしてるよね。可愛い彼女さんとかいるだろうし、私みたいな34の女なんて相手にされないよ」
自嘲気味に言った後、私は万年床から体を出して、お弁当を作るために台所に向かった。いつも通りの変わらない日常を今日も過ごすのかと思いながら軽くため息をつき、カリカリに焼いたトーストと砂糖を入れたコーヒーで朝食を済ませてから私は今日も会社に行った。
オフィスで同僚や上司達に挨拶を済ませてから自分の席に着くと、隣の席の上沢敦子さんが話しかけてきた。
「ねえねえ、犬飼さん。仕入れた噂なんだけど、今日来る新入社員、スッゴいイケメンらしいわよ」
「そうなんですね。上沢さん、いつもどうやってそういう噂を集めているんですか?」
上沢さんは内緒と言う代わりにクスリと笑って自分の仕事の準備を始めた。上沢さんは五十代でありながら毎日朝にランニングをしてから出勤をするという元気な人で、事情通な一面もあるからこうやってどこからか仕入れた噂を話してくれるのだ。
「イケメンの新入社員、か。まあ私には関係ないよね」
若い子達ならそのイケメン君とお近づきになりたいと思って色々はりきるところだろうけど、これまで交際経験はあっても結婚すら出来なかった私には関係のない話だ。今後もそういう相手すら見つからずに一人死んでいく。それが私に待っている運命なのだ。
少し卑屈になりながらも私は今日の仕事の準備を整える。午前九時になり、始業の挨拶が始まろうとした時、ドアを開けて人事部長が若い子を連れて入ってきた。
ピシッとスーツを着込み、整髪剤を使った気配のないサラサラな短い黒髪や雰囲気が爽やかなその子は上沢さんが言うようにたしかにイケメンで、真剣な表情で前を向くその顔は凛々しく、スラッとした体型なども相まって、周囲の若い女の子達は顔を赤くしながらも目の色も変えていた。
「えー、以前からお伝えしていた通り、本日からここに新入社員が入ります。普段の業務で忙しいところではあると思いますが、彼が早く仕事や皆さんに慣れるように色々手伝ってあげてください」
『はい』
「では、月島君。自己紹介と一言意気込みをお願いしていいかな?」
「はい」
月島という名字を聞いて、一瞬士狼君を連想したけれど、そんなわけはないと思いながら月島君の自己紹介を待っていたが、彼の口から出てきた名前に私は驚く事となった。
「月島士狼です」
「え……」
「大学卒業と同時の入社ですので、まだまだ至らないところはあると思いますが、早く仕事に慣れて皆さんのお力になりたいと思っていますので、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします」
月島君が頭を下げると、みんなから拍手が送られた。もちろん、私も拍手はしていたけれど、目の前にいるのがすっかり大人の男性に成長した士狼君だとわかり、とても驚いていた。
「士狼君……」
思わず名前が口からこぼれる。みんなから拍手を送られながら頭を上げた士狼君はチラリと私を見た。すっかりあの頃の可愛い弟のような存在からカッコいい男の人になった士狼君の真剣な表情の破壊力はすさまじく、私は見つめ返す事が出来ずに目をそらしてしまった。
「さて、それじゃあ教育係は……犬飼さん、お願いしてもいいかな?」
「え? あ、はい……」
「月島君、あそこにいる犬飼さんに色々教わってね」
「わかりました」
士狼君はゆっくりと近づいてくると、静かに頭を下げた。
「犬飼先輩、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……」
人事部長が満足げな顔で去っていき、ウチの部長の主導で始業の挨拶が始まったが、緊張と驚きで私はそれどころではない時間を過ごすことになった。
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