シャッターを切る瞬間(とき)

あのさ…

「あのさっ。さ、寒くない?」


 僕は彼女の気を引きたかった。ぐるぐると脳内で考え、なんとか絞り出した言葉は陳腐ちんぷであった。


「”寒くない?”って、アナタ、バカなの?」


 銅像のようにピタリとも動かなかった彼女の視線はカメラから外れ、僕をとらえた。

 その瞬間を僕は逃さなかった。


 音のない真っ白な世界で、シャッターを切る音はよく聞こえた。


「・・・アナタ、撮ったわね」


 そう言った彼女の吐く息はフワフワとした白い雲のようだけれど、同じ口から出た言葉は鋭く刺さる。


「そ、そうですね」

「”そ、そうですね”じゃないわよ」


 寒空の中、彼女が1時間以上構えていたカメラはおろされていた。


「私たち、写真同好会がこの雪が残る、この場所に来たのは何故だったかしら?」


 そして子供に言い聞かせるように、彼女は一音いちおん一音いちおんはっきりと声を出して僕に問う。


「えっと…その、この林に咲く、蝋梅ろうばい福寿草ふくじゅそう…など冬の風景を撮ってコンテストに応募する、ため、です…」

「そうね。私とアナタしかいない、弱小同好会には少しでも実績が必要なのはバカなアナタでも理解はしていると思うけど…どういうつもりなの?」


 ずれたメガネを直している彼女の目線は氷点下以下だ。

 しかし、この気持ちを彼女に伝えるべきなのか。

 いや。それもそれで、さらに引かれると言うか砕かれると言うか…。

 頭に浮かぶ未来に言葉だけでなく、呼吸さえも尻込みしてしまう。


「正直、人が減るのも困るけど。まぁ一人も、二人も同じよね…事と場合によっては退部してもらうわ」


 彼女の言葉に血の気が急激に引くのがわかった。


「遊びや冷やかしなら”この写真同好会にいる資格はない”って、私、最初に言ったわよね?」


 もちろん、覚えている。一瞬たりとも忘れたことはない。



ーーーー 同好会に入部するために向かった古びた部室棟。



 錆びたドアに貼られていた『写真同好会』は綺麗な文字だった。

 ドアを叩くと「どうぞ」と声が返ってきた。鈍い音とともに見えた景色は、綺麗な部屋であった。外観が古び過ぎているからそう感じてしまったのかもしれないが、多くのカメラ機材やアンティークカメラが置かれてあり、モノクロの写真が吊るされていた。


「…アナタ、入部希望者?」


 フラッグガーランドのように部屋の中で波打つ写真の下にいたのは、彼女だった。


 僕はその瞬間、恋に落ちていた。


「あ、そ、そうです」

「ふーん。でも…カメラはないのね」


 彼女は僕を一見すると、興味を失くしたように、またフィルムの確認をはじめた。


「そ、その。今日は、挨拶、というか、入部届けを出すだけのつもりで、持って来てなくて、その、家には一眼カメラがあります」


 慌てて口からこぼれる言葉はつたなくて、どろもどろ状態で、町中であれば不審者認定されていただろう。


「へぇ、そう。本当にカメラが好きなら、持って来ればいいじゃない。

 持ってこないってことは、ただの興味本位。遊びってことでしょ?」


 彼女の目線は、僕に戻らない。


「遊びや冷やかしなら、この写真同好会にいる資格はないわ」


 彼女の言う通り、遊びーーー趣味ではある。

 だが、カメラが好きなのは本当だ。

 今、できた彼女への想い、その気持ちで言いつくろっているのではない。


「せ、先輩ほどのカメラ好きなのではないのかもしれません。

 だけど、僕は、カメラが好きなのは本当です!!」


 気づいた時には大きな声で叫んでいた。


 自分でも驚いたけど、彼女もまた驚いていて…そして笑った。


「ふふっ…遊びって言われて、そんなに強く否定してきた人、はじめてだわ」

「す、すみません。先輩」

「ぷっあはは…」


 彼女が笑っているのか理由が分からず、僕はただ呆然とその光景を見ていた。


「アナタ、1年生でしょ?」

「…はい」

「私も1年。つまり、先輩じゃないのよ」


 急速に顔に熱が集まるのがわかった。

 入部希望者の対応、落ち着いた雰囲気から先輩だと勘違いしていた。


「はー…。久しぶりに笑ったわ。

 まぁ、遠出もしたいって思ってたのよね。叫ぶくらいカメラが好きって、元気が有り余ってるみたいだし? 頼りにしてるからよろしくね」


ーーーーそれから月日は流れて、冬。


 僕は今、選択を迫られている。

 どうしようかと、彼女に目線を合わせることもできず、答えをあぐねていると、くしゅん、とクシャミが聞こえた。

 ハッとして彼女に視線を戻す。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫じゃないわよ。アナタが寒い? なんて聞くから、寒さを感じはじめちゃったじゃない」


 はぁーという音とともに吐き出された雲は彼女の指先にただよい消える。


「ごめん」

「もう…あんなにカメラ楽しそうに触ってじゃない。

 …カメラの話、それに勉強とか…いろんな話して、信頼してたのに…それなのに…」


 寂しげに目を伏せた彼女を目の前に、僕の想いは溢れてしまった。


「僕にとっての、福寿草は君なんだ!」

「え?」


 いきなり花にたとえはじめた僕に、彼女の瞳はパチパチと何度も瞬いていた。

 あの時と逆だな。と、湧き上がる熱量と反対に僕の思考は冷静だった。


「福寿草の花言葉の意味は?」

「え、えっと…確か、幸せを招く花。

 私が幸せを招く花って…幸せ…ラッキーなことがあったってこと?」

「その、ラッキーって言うと…なんか違くて…僕は日々の中で、君といれる時間が幸せだと思っていたんだ」


 さっきまで寒いと思っていたのに、いまは全身が熱く火照ほてっている。


「え。な、ななななに言ってんの」

「つまり、君のことが好きなんだ」


 鼻先だけが赤く染まっていた彼女の白い肌はあっという間に顔全体が染まり、僕の福寿草は赤く、花開いた。


 ねぇ、その反応。期待してもいいんだよね?


「ば、ばっかじゃないの、アナタ」

「そうかな?」

「だけど…そのバカ、私、嫌いじゃないわ」


 僕は、心のシャッターを切った。

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