第四章 聖夜編

第一話 デボーション(1/5)

 街はクリスマスカラーに染まっていた。クリスマスソングが、どこからともなく聴こえてくる。

 天井までそびえる巨大なクリスマスツリーを眺めれば、気持ちが浮き立ち、楽しい考え事に耽ってしまう。キラキラと光るイルミネーションにふんだんに巻きついたそれは、とても豪華だ。

 つい先日のこと。ふと思いついた弥生は、アヴリルにとある質問を投げかけてみた。

「アヴリル先輩が今、一番欲しいものってなんですか?」

「私が欲しいものは、あなただけよ」

 間髪入れずに返された言葉に、我知らず脱力してしまう。

 聞きたかったことは、もちろんそういうことではない。しかし、そんな弥生の思惑などお構いなしのアヴリルが続けた次の台詞はこうだ。

「その他の大抵のものは、自分でなんとかできるわ」

 きっぱりと告げられた言葉に二の句が次げず、会話が終了したことを思い出す。

 確かに、彼女のその反応は想定内ではあった。

 なぜなら、数か月前。文化祭の準備を終えたアヴリルに、お疲れ様の意を込めて同じ質問をした結果、恥ずかしながら、その場でしっかりと貰われてしまった弥生だ。

 しかし、今年は自分たちが交際を始めてから初となるクリスマスなのだから、少しくらいはそれらしいことをしたいというのが本音である。

「ちょいと」

「プレゼントって言えば、ほら。何か、それっぽいリボンをかけた素敵なラッピングでね」

 ちなみに、文化祭の出し物ランキングでは、アヴリルのクラスが芸術点の一位を勝ち取り、弥生のクラスが執り行ったメイド喫茶は総合一位に輝いた。

 そして、その翌日はアヴリルの家で二人だけのささやかな祝賀会をして、そこでまた彼女に美味しく頂かれてしまい、なんだかなぁ、な一日となった。

 クリスマスこそはその雪辱を晴らすべく、何か対策を練らなくてはならない。負けないぞ、と拳を強く握る。

「あんた」

 そんな弥生の思考を、苛立ったような声が遮った。

 派手なクリスマスツリーの傍らに、高級そうな応接セット。長い脚を無造作に組んで、高校生とは思えない色気を醸し出した女子生徒が、こちらを見据えている。

「何を考えてるんだい?」

「え? だから、クリスマスプレゼントの――はっ!」

「あたしの前でそんな阿保面をしてみせるなんて、大した根性だねぇ」

「あなたはマッチ売りの少女か何かですの? 弥生さん。それより、つばめ先輩。例年通り、歌の発表は一、二、三年生の順番で構いませんわね?」

 フェヴリエの呆れたような声と、空調の効いた温かな室内。イベント事にはそれほど関心がないほうだったはずなのに、豪華なクリスマスツリーの電飾に、うっかり幻覚を見ていた。

 向かい合わせのソファ。弥生の隣にはフェヴリエ。その正面に、とても不機嫌そうな表情を浮かべた女子生徒がいる。我に返れば、ここは生徒会室だった。

「す、すみません! 私ったら……」

「あんたの知り合いっていうだけあって、失礼な子だねぇ。持て余してるんじゃないのかい? フェヴリエ」

「あなたに言われたくないですわ。燕先輩が推薦した生徒会役員と来たら、一ヶ月と続いた試しがないではありませんか」

「優梨がいるさね」

「彼女の場合は、自ら立候補されたのでしょう」

 切れ長の双眸にクリスマスツリーの電飾の明かりを反射させたその人は、三年生にして生徒会書記の高屋敷燕たかやしきつばめである。彼女の背後の壁には、“高屋敷天下”と墨書きで大書した張り紙が貼られている。

 燕は、再び弥生に視線を向けた。

「あんた、望月弥生って言ったかい?」

「は、はい。あの、すみませんでした」

「中々に人を食った子だけど……まあ、気に入ったよ」

「は?」

「は?」

 思わず深く頭を下げた弥生とフェヴリエの声がシンクロする。

 廊下で偶然出くわしたフェヴリエから、「今月の合唱コンクールに関する打ち合わせをするんですが、できるだけ多くの意見が欲しいのです。よろしければ、弥生さんも参加しませんこと?」と誘われ、連れて来られたのがここ、生徒会室である。

 燕は入学当初から生徒会役員を務めており、常に優秀な人材を捜していたが、彼女の厳しい審査基準をパスした者はほとんどいないと聞く。

 仮にそのお眼鏡に適ったとしても、燕のストイックさについて行けないと、辞表を出す者があとを絶たなかったそうだ。

 それゆえ、今期の生徒会役員はたった五人しか残らず、生徒会長を務めるアヴリルは、ひどく頭を痛めたとかなんとか。

 そして、期末考査まであと一週間というこの時期に、フェヴリエが合唱コンクール実行委員長としてこの場にいるのは、そんな燕のストッパー役に徹するためらしい。

 元々、彼女は学年でトップクラスの成績を維持していることから、他の生徒に比べると、比較的余裕があるように見える。

 それでも、期末試験を控えていながら、合唱コンクール実行委員長を務めるフェヴリエのバイタリティには、ただただ感心するしかない。

 尤も、会議中に別世界に飛んでいた弥生も大したものだと思うが、それは威張って言えることではないだろう。

「ところで、弥生。クリスマスプレゼントで悩んでるなら、このカタログの中から選びな。あんたからの贈り物なら、受け取ってあげるよ」

 そう言って、燕はどこぞの会社のカタログを差し出してくる。

「はい?」

「ついでに、生徒会役員に任命しよう。家と学校を往復するだけの毎日より、よっぽど有意義な時間を過ごせるだろうさ」

 畳みかけるように言葉を連ねながら、燕はにやりと口角を吊り上げる。

「やめてくださいません? 弥生さんは学業にアルバイトだのと、ご多忙なのですよ」

「口出ししないでおくれ。あたしは今、弥生と話をしてるんだ」

「口出しせずにはいられません。彼女に手を出されたら、わたくしの身が危ないのです」

「え、そっちの心配ですか……?」

 フェヴリエを横目でじろりと見れば、彼女はわざとらしく咳払いをしてみせた。

 それにしても、燕の思考回路はよくわからない。わからないが、この尊大な態度も仕方ないと思えるレベルの風格ではある。

 しかし、そんな燕に怯むことなく、堂々と意見を述べることができるフェヴリエもすごい子だと、弥生は思った。


 ***


「ちょっと、舞。どういうつもり?」

「水無月が、あなたと弥生にって。少し早いけど、クリスマスプレゼント」

「それはさっき聞いたわ。私の疑問は、なぜこれを寄越すのかという点よ」

「ああ、水無月には少しサイズが大きいらしくてね。本当はあの子に着せたかったんだけど。ほら、ちょっと見てごらんなさい」

「ま、待ちなさい、舞!」

 彼女との会話が噛み合わないのは、今に始まったことではない。

 紙袋の中から赤い衣装のようなものを取り出そうとしている舞の突拍子のない行動を、アヴリルは慌てて止める。

 中途半端なところで手を止めたまま、白々しい笑みを浮かべる舞は、腹立たしいほどに機嫌がいい。

「クリスマスと言えば、恋人たちの一大イベントでしょう? 身近できゃあきゃあとはしゃがれるのは癇に障るけど、私だって、親友の聖なる夜を祈るくらいの優しさは持ち合わせてるからね」

「……」

「何よ、その沈黙は。もしかして、こういうのは嫌いだった?」

 決して嫌いではない。だが、ここは放課後の食堂である。しかも、周囲には軽食を注文している生徒もいる。場所柄を弁えなさいと声を荒げたい気持ちを抑えて、ぐっと黙り込む。

 生徒会室へ行こうとするアヴリルを引き止めて、お茶に誘ってきたかと思えば、この珍妙なプレゼントを笑顔で手渡そうとしてくる舞に、微かな苛立ちを覚えた。

「あら、いけない。私、このあとは用事があるんだったわ。とにかく、渡したからね。人の厚意を無駄にするんじゃないわよ。それじゃあ、また」

 ようやく、アヴリルの本気の怒りに気づいたらしい舞が、そそくさと席を立った。

 押しつけられたものを手に、しばし茫然としていたが、腕時計の針は、下校時間まで残りわずかとなっていることを指し示す。コーヒーを飲み干し、食堂を出た。

 校門へ向かう前にふと思い立ち、普段使用されていない空き教室に入って施錠をして、そこでアヴリルは袋の中身を確かめた。

 さっきもちらりと見えたこれは、恐らく――いや、間違いなく。

 ごくりと喉が鳴る。

 引き出してみれば、やはりそれはサンタクロースの衣装の女性版であった。こんなものをじかに見たのは、生まれて初めてである。

 アヴリルの認識が間違っていなければ、これはいわゆる、社交飲食店の女性店員が客の目を楽しませるために着用する類のものだ。あるいは、コスチュームプレイと呼ばれる行為に用いられるものだろう。

 細い肩紐が印象的な赤いドレスは明らかに胸元が大きく開いていて、驚くほど胴が細く、広がったスカートの丈は下着が見えそうなほどに短い。

 胸元と裾には、そこだけが申し訳程度にサンタクロースを模した白い起毛の飾りがついており、ご丁寧に共布の帽子と長いグローブまで付随していた。

 まったく、厄介なプレゼントを押しつけられたものである。どうするべきか。

 自宅に持ち帰って、両親に見つかり、変態扱いをされても敵わない。だからといって、学内に置きっ放しにすることも到底考えられない。

 手にした衣装に視線を落としたアヴリルは、再びそれを袋に戻した。


 ***


「いいですか、弥生さん。個人的な用事で、燕先輩に近づかないように」

「どうしてですか?」

「気を抜いていると、ひどい目に遭うからですわ」

「はあ」

「あの方が本当に募集していらっしゃるのは、生徒会役員などではありません。ご自身の恋人なのです」

「はあ」

「あなたがそんなことになったら、アヴリル姉様が――」

 そう、問題はそれなの。アヴリル先輩へのプレゼント、どうしようかな。

 成り行きで肩を並べて廊下を歩きながら、何事かを語るフェヴリエは、いつになく真剣な表情だ。

 そんな彼女の手に握られている通学鞄と手袋をなんの気なしに見る。それは、赤味がかったブラウンの革手袋だった。

「燕先輩のご実家は、全国トップクラスのレザー商品の専門店なのですが、そこでも恋人探しという黒い野望を展開させていて――」

「レザー……」

 またもや自分の思考に沈み込んでしまった弥生から、いつしかフェヴリエの声が遠ざかる。

 さっき、燕に見せられたものは、素敵なレザー商品が綺麗にレイアウトされたカタログだった。それに、あざとい弥生は聞き逃さなかった。

『あんたなら、六掛けにしてあげるよ』

 そう言った、燕のスペシャルなひとことを。

 レザージャケットや鞄みたいな大物は値段的に手が届かないけれど、小物なら自分でも買えるのではないだろうか。

 アヴリルの持ち物はシンプルな反面、飽きが来ないデザインのものが多い。

 弥生が名前を知らないようなイタリア製のブランドがお気に入りのようで、キーケースに財布、手帳など、スタンダードなデザインのそれらは彼女にとても似合っている。

 ものをとても大切に扱う人だから、上質の品を一生ものとして使うポリシーなのだそうだ。

 しかし、弥生は気づいてしまった。彼女のレザーグローブが、大分傷んできているということに。

 レザー製品は使い込めば風合いが増してより味わい深くなると言うけれど、アヴリルの手袋は、そろそろ新しくしてもいいのでは、という頃合いに見えた。

(そうだ。そうだよ、レザーだよ!)

 意表を突いているとは言い難いが、生活必需品だし、アヴリルの好まない無駄なものではなく、現実的だ。

 それに、外出の際に手袋を嵌めて、弥生のことを思い出してくれたら、こんなに嬉しいことはない。手袋なら値段も手頃だし、正に妙案である。

「――というわけなのです。わかりましたか?」

「はい!」

「……どうしました? なんだか、妙に元気のいい返事ですが」

「そ、そんなことありませんよ。いつもと同じです」

「そうですか?」

 文化祭のあとに行われる合唱コンクールの準備は、各委員会の協力もあって、あらかた済んでいるそうだ。

 弥生のように、どこの委員会にも所属していない生徒は、当日に備えて、歌の練習をすればいいだけ。

 懸案だったアヴリルのクリスマスプレゼントも決定して、あとは買いさえすればいいと思った弥生は、いつになく完全に舞い上がっていた。

 そうなれば、俄然楽しみになってくるクリスマス。

 職員室に用事があるというフェヴリエと途中で別れて、教室に戻れば、なんだか嬉しそうな水無月と、なぜか今日も来ている上級生の男子生徒が、揃って声をかけてきた。

「あ、弥生ちゃん、おかえりぃ。一緒に帰ろうと思って、待ってたんだよぉ?」

「こんにちは、弥生さん。ずいぶん遅かったじゃないか」

「ただいま、水無月。皐先輩ったら、また来てるんですか? 三年生は受験で忙しいはずでしょう」

「天野を出し抜いて、君に会えるなんて最高だね。僕は日頃、しっかり勉強してるから大丈夫だよ。それより、はい。これ」

 水無月がいそいそとマフラーを巻く姿を横目に、皐は可愛いらしいラッピングの小さな包みを差し出してきた。クリスマスカラーで、先端にリボンがかかっている。

「なんですか?」

「クッキーだよ。水無月さんと一緒に食べてくれ。ところで、弥生さんはクリスマスの予定って、もう決まってるのかい?」

「え? ええ、それはもちろん……」

「そうか。君さえよければ、僕と過ごさないかと思ったんだけど、先約があるなら仕方ないね」

 神宮寺皐という人は敏いし、鋭い。それなのに、なぜそんなことを言えるのだろう。

 弥生がアヴリルの恋人だということを忘れた振りをしているのか、それとも、アヴリルの存在をわざと無視した上での戯言なのか。とにかく、時々変なことを言い出す。

 さっきまで、アヴリルへのクリスマスプレゼントで悩んでいた弥生は、彼女と基本的に仲がいいはずの皐に相談をしてみようかな、などと考えていたのだが。

 それだけはやめておいて本当によかったと、目の前でにこにこと微笑んでいる皐を前にして、心の底から思った。


 ***


 エントランスには常緑樹の低木。そこで暗証番号を入力し、オートロックを開錠すれば、共用廊下が奥へと続く。

 手前の階段の脇に設えられた小さな花壇にも黄緑色のコニファーが植えられ、電飾が巻きついているそれは、夜にもなればクリスマスの風情を醸し出すことだろう。

 どちらかの家に泊まるときは、大抵、弥生がアヴリルの家を訪れるため、彼女がここに来ることはあまりない。

 足音を立てないよう、できるだけ静かに踵を進める。

 不意に、エレベーターから下りてきたマンションの住人女性が、こちらをじっと見ながら脇を通過していくのに、身が縮まる思いがした。今のアヴリルには、その女性の頬が赤く染まっていたことに気づく余裕はない。

 自分が、生涯に一度でもこんなことをするとは考えもしなかった。

 三階の奥。弥生の住居の前に立ち、わずかな逡巡のあとに意を決して、インターホンを鳴らした。この時間帯なら、弥生はまだ学内にいるはずだ。

 そんなことを考えている間にも、軽い音を立てながらあっさりと錠が外れ、開け放たれた玄関扉から、過去に何度か会ったことがある弥生の母が顔を出した。

「あら、あなたは……」

「こんにちは、天野です。お久しぶりです。その、今日はおば様に折り入ってお願いしたいことがありまして、こうしてお伺いさせていただいた次第です」

「まあ、何かしら? とりあえず、こんなところで立ち話もなんだし、上がってちょうだい。外、寒かったでしょう?」

「ありがとうございます。お邪魔します」

 オートロックの暗証番号は弥生から教えてもらったものであり、自分は何も疚しいことはしていないと気を強く持とうと試みる。

 けれど、恋人の家になんの報告もせずに入室するというのは、かなり気が引けるものであった。

 生徒会長として教壇の前に立ったときや、会議を取り仕切りるときでも、ここまで緊張したことはない。

 弥生と恋人という関係になって以来、アヴリルの考え方や行動形態は根本から変化した。

 彼女に片想いをしていた頃は、このように姑息なことをしようと考えたことなど、一度もなかったのだ。

 そもそも、幼少期を除けば、アヴリルにとって季節行事は興味の対象ではない。だというのに、クリスマスにかこつけて、自分は一体何をしているのだろう。

 クリスマスが意味を成すようになったのは、今年から。言うまでもなく、弥生と過ごすようになってからである。

 目まぐるしく考えながらも、とにかく、ここへ出向いた目的を遂行しなければならない。

 弥生の母から許可を貰うと、無意識に足音を忍ばせながら恋人の部屋へと踏み込み、舞から押しつけられた紙袋を手にしたアヴリルは、心を無にした。

 木を隠すなら森の中。そのことわざに従って、まっすぐ弥生のクローゼットを目指す。

 そして、数分後。弥生の母に挨拶と礼をして部屋を出たアヴリルは、マンションの敷地を出るなり、ぐったりと疲弊を感じた。

 次期生徒会長への引継ぎを終え、受験対策もある程度できている彼女には自由時間というものが与えられ、このあとは本屋にでも寄るつもりでいたが、ここで再び逡巡する。

 背後にある弥生のマンションに再び潜入して、今置いてきたものを回収する気力は少しも残っていない。

 今年のクリスマスイブは平日である。なので、今回は少し奮発した店で、弥生と食事を摂ろうと考えていた。

 食事のあとは、アヴリルの部屋で過ごすつもりだったが、「アヴリル先輩のお家ばかりじゃ悪いですし……」という愛らしい提案をされたため、弥生の部屋で過ごす予定となっている。

 そのため、アヴリルは普段の自分からは想像もできない行動に及んだわけだが、それは舞から仕入れた情報により、彼女の頭の中に導き出された考えでもあった。

『弥生みたいに冴えない女は、サプライズが好きな子が多いのよ。クリスマスプレゼントも、当日まで隠しておくほうが喜ぶんじゃない?』

 すべきことを済ませて、息をついたのも束の間、やはり落ち着かないアヴリルには、サプライズというものがつくづく向いていないのだとよくわかる。

 恋人の部屋に忍び込むような浅はかな真似をした自分を、弥生に隠し通すことができそうにない。

 携帯電話を取り出し、そこに表示されている時計に目をやれば、そろそろ下校時刻になろうとしている。アヴリルは思考を切り替えて、学内へ戻ることにした。

 彼女の顔を見て、すべてを包み隠さず話してしまえばいい。そうすれば、たった今、自分が行ってしまった愚かな行動も帳消しになるような気がした。小細工などするものではない。

 そんなことを考えながら、元来た道を歩いていたアヴリルは数秒後、視界に飛び込むことになる信じられない光景を予想していなかった。

 この角を曲がれば、校舎へ続く坂道が姿を現すというところで、ぴたりと足が止まる。

 目の前で、こちらに背を向けた女子生徒に腕を取られた弥生が、一台の車に引きずり込まれようとしているのだ。

「弥生……!?」

 駆け寄ろうとしたアヴリルの声は届かないまま、車は走り出す。これは一体、なんの悪夢なの?



©涼水藍那2024.

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