第三話 ハレーション(3/3)

 アヴリルと仲直りをしてから一ヶ月が過ぎた、十月某日。ついに迎えた文化祭当日。

 弥生のクラスではメイド喫茶を執り行うことになり、すっかりカフェに様変わりした教室内で、クラスメイトたちは慣れない接客に戸惑いながらも頑張っていた。

「ケーキセット、できたよ!」

「はーい!」

「メイドさん、新しいお客様を席に案内してあげてー!」

「はい、すぐに!」

 和菓子店のアルバイトとはいえ、接客の経験がある弥生と水無月を筆頭に忙しく動き回っていたが、客足はどんどん伸びてきて、あっという間に大忙し。

「いらっしゃいませ、お客様……じゃなかった、ご主人様!」

 ここまで行列が途切れないのは、ひとえに宣伝の影響が大きいのだと思う。

 数週間前から、“我が校が誇る美少女たちがメイド姿でお出迎え”と記されたポスターが学内に大量に貼られたこともあって、他の生徒たちも、メイド喫茶に多大な関心を寄せていたと聞く。

 その期待に応えるためにも、弥生たちはメイド喫茶を盛り上げようと全力を尽くしていた。

「でも、どうしよう。このままじゃ……」

 もう、接客も調理も追いつかない。

 弥生が秘かなる焦燥感に襲われていたそのとき、また教室の入り口に新たな人影が現れた。

「おかえりなさいませ、ご主人様!」

「や、よい?」

 弥生が向かった教室の入り口には、アヴリルが立ち尽くしていた。

「アヴリル先輩、来てくださったんですね。ありがとうございます!」

 自分のクラスの出し物や、生徒会長の仕事もあって忙しいであろう彼女が来てくれたことが嬉しくて、弥生は明るく笑いかける。しかし、アヴリルは凍りついたように動かないまま。

「……」

「あの、アヴリル先輩?」

「え……!?」

 ようやく我に返ったらしい彼女の顔に、なぜかさっと朱が差した。

「……弥生。一つ、聞かせてほしいのだけど、メイド喫茶の店員は、みんなそんな格好をしているものなの?」

「は、はい。でも、この格好は女子だけですから、メイド喫茶というか、メイドと執事がいる喫茶店のほうが、正しいと思いますけど……」

 実際、教室の前に立てられた看板には、“メイド(と執事がいる)喫茶店”と小さく書かれてあったりする。

 けれど、改めて説明しているうちに、なんだか恥ずかしくなってきた。

 メイド服を着ていることにも、周囲から視線を感じることにも慣れ始めていたが、相手がアヴリルだと意味合いが変わるというか、どうしても意識しないではいられない。

 まるで、照れが伝染したっように、弥生が頬を赤らめたそのとき、横合いから呆れたような声がした。

「ちょっと、そこのお二人さん。入り口で立ち止まってたら、他のお客様の邪魔になるでしょう? 早く席に案内してあげてよぉ」

「あ、ご、ごめんね、水無月。アヴリル先輩も、お待たせしてすみません」

「いえ……」

「では、すぐにお席へ案内致します。こちらへどうぞ」

 水無月に促された弥生は、慌ててアヴリルを空いている席へと案内する。しかし次の瞬間、水無月が動揺を隠し切れない様子で声を上げた。

「まずいよぉ、弥生ちゃん。団体客が来ちゃった!」

「ええっ!?」

 アヴリルが席に着くと同時に、ちょうど大勢の客が、入り口から教室内へ入ってきていた。その光景を目にしたアヴリルは、驚いたような、感心したような、複雑な表情を浮かべていた。

「なんだか、想像以上に大変そうね」

「でも、頑張ります!」

 弥生はアヴリルに会釈をしてから、やって来た団体客に立ち向かう。

「おかえりなさいませ!」

 その言葉を皮切りに、席に着いた団体客の注文が次々と飛び交った。

 普段から接客の仕事をしているとはいえ、和菓子店とは勝手が違うこともあり、混雑のピークを乗り切ることは至難の業と言えた。

 それでも、諦めずに頑張り切れたのは、水無月を始めとするクラスメイトたちの協力や、アヴリルの応援が大きな力になってくれたからだと思う。

「いい喫茶店――いえ、いいクラスね。弥生」

 空いた皿を下げるとき、アヴリルは優しく微笑みながら、そんな評価を下してくれた。

「食事もよくできていたと思うわ。このクラスなら、文化祭の出し物ランキングでも優勝を狙えるでしょうね」

「あ、ありがとうございます!」

「それから、今日のあなたを見たときに、思ったことがあるの」

 アヴリルはわずかに頬を赤らめて、左右に目を泳がせながら、もごもごと口を開いた。

「今日のあなたはいつもと違うというか……。その、なんて言えばいいのかしらね?」

「はあ」

「いつもの制服や着物姿も素敵だけど、その衣装もよく似合っているわ。とても可愛い」

「……っ」

 アヴリルからの思いがけない褒め言葉に、弥生の顔は真っ赤に染まる。

 クラスの出し物とはいえ、最初はメイド服を着ることに抵抗があったけれど、アヴリルに褒められるとなんだか嬉しくて、誇らしく思えてくるから不思議だ。

 つらつらとそんなことを考える弥生に、アヴリルは続ける。

「もしも、弥生に時間があれば、私のクラスも見に来てほしいの。そして、できればあなたと一緒に文化祭を見て回れたら嬉しいのだけど、どうかしら?」

「は、はい。時間があれば……!」

 アヴリルからの心弾む誘いに、弥生は大きく頷いて答えた。

 そして、学内の見回りをしなくてはならないという彼女を喫茶店から送り出したあと、弥生はさらにいい笑顔で、大勢の客に向き直った。

 アヴリルとの文化祭を楽しむ時間を作るためにも、ますます頑張らなくてはならないからだ。


 ***


「弥生ちゃん、そろそろ休憩に入っていいよぉ」

 喫茶店に扮した教室内をぐるりと見回した水無月が、不意に弥生に声をかけてきた。

「いいの?」

「ちょっとだけだよぉ? メイド喫茶なのに、執事のほうが多いなんて大問題だしぃ」

「ありがとう。だけど、水無月は舞先輩と回らなくていいの?」

「私はあとで休憩を貰うことになってるから大丈夫。舞先輩にも話は通してあるし。ほらほら、行ってらっしゃい」

 言いながら、ぽんと肩を叩かれる。自分たちの関係を知っている水無月からここまで言われてしまえば、彼女の厚意を無碍にすることはできなかった。

「わかった、急いで戻るね。それじゃあ私、着替えてくるよ」

 さすがに、このメイド服では文化祭を回ることができないだろう。けれど、そんな弥生の考えとは裏腹に、水無月は彼女にストップをかけた。

「駄目だよぉ、勿体なさすぎるもん。着替えになんて行かないで」

「え? 水無月、何を言って――」

「弥生ちゃんがメイド服で学内を歩けば、確実に宣伝になるからねぇ。弥生ちゃんの休憩と宣伝を兼ねた、みんなが幸せになれるプランだよぉ。文句はないでしょう?」

「ええ……」

 このままの格好で学内を歩くのは、少し恥ずかしいと思う弥生。しかし、水無月の発案は理に適っている。

 しばらく押し問答を繰り広げた二人だったが、水無月は決して譲らず、根負けした弥生が折れる形となった。こうなったら、休憩時間を貰えるだけ、有難いと思うことにしよう。

 そう自分に言い聞かせて、弥生はメイド服のままで慌ただしく教室をあとにした。

 程なくして辿り着いたアヴリルのクラスの出し物は、お化け屋敷。教室内から時々悲鳴が響く中、入り口の椅子に座っていた人物は、アヴリルと舞だった。

「来てくれたのね、弥生」

「はい。水無月が気を遣ってくれて」

「そうだったの。あの子にも、あとでお礼を言わなくてはね」

 そう言って、アヴリルは優しく微笑む。そんな二人の様子を見ていた舞は、からかうような口調で言葉を差し込んできた。

「一年のメイド喫茶に人が殺到してるとは聞いてたけど……。なるほど、こういうことだったのね」

「ええと……」

 開口一番の舞の台詞に、弥生は自分の格好を見下ろしてしまう。やはり、着替えてきたほうがよかっただろうか。

 水無月の口車に乗せられてしまったが、改めて指摘をされると、気恥ずかしさが込み上げてくる。

 どうにも居心地が悪くなった弥生は、無理やり話題を変えることにした。

「あの、アヴリル先輩と舞先輩は、お化け屋敷の受付ですか?」

「私のシフトはもう終わっているわ。だけど、うちのクラスの出し物も結構な人気みたいだからね。生徒会の仕事も他の役員に交代してもらったことだし、舞のお手伝いをしていたの」

 そのアヴリルの言葉に、舞も頷く。

「私も似たようなものよ。それより、アヴリル。もう客足が落ち着いてきたし、ここは私一人でも大丈夫よ。あなたも休憩に戻ったら?」

「あっ! でしたら、あの……アヴリル先輩さえよければ、一緒に文化祭を回りませんか?」

「もちろんよ。さっき、約束したからね」

 アヴリルは面映ゆげに微笑みながらも、はっきりと応じてくれた。すると、そのやり取りを見ていた舞が、弥生に語りかけてくる。

「それなら、弥生。せっかく来たんだし、うちのお化け屋敷にも入っていかない?」

「そうですね。先輩方のクラスがどんな出し物をしてるのか気になりますし、ぜひ入りたいです!」

 そこまで言ったところで、弥生ははっとしたように口元に手を当てた。

「あ、でも、自分のクラスの出し物だと、アヴリル先輩は楽しめないんじゃ……?」

 そんな弥生の台詞を聞いたアヴリルは、どこか誇らしげな笑みを浮かべる。

「いえ、そんなことはないわ。作り上げる途中と、お客の立場で入るのは違うからね。それに、あなたに私たちの努力の結晶を見てもらいたいもの」

「そう、ですか? アヴリル先輩がそう言うなら、私としても嬉しい限りですけど……」

 笑顔で見つめ合う二人の姿に、こほんと咳払いを一つした舞が、改まった口調でルールの説明を始めた。

「いい? お化け屋敷を順路通りに進むと、途中に銅鏡の祭壇があるわ」

 曰く、その祭壇がゴールで、それを携帯電話などのカメラで撮影してくると、景品が貰えるとのこと。

「わかりました。頑張ってみます!」

 力強く宣言すると、弥生とアヴリルは、さっそくお化け屋敷へと続く扉を開けた。

 薄暗い教室内は、紫の光を放つブラックライトでぼんやりと照らされていた。おどろおどろしいBGMがどこからともなく聞こえてきて、時々客か誰かの悲鳴が木霊する。

 ただの作り物だとわかっていても、背筋が寒くなってくるクオリティである。

「よ、よくできてますね……」

「ええ。私も完成後に入るのは初めてだけど、意外と雰囲気が出ているわね」

 アヴリルと二人で話をしながら歩ていた、そのときだった。

「……え!?」

 突如としてブラックライトの明かりが消え、辺りが真っ暗になってしまう。隣にいたアヴリルの姿でさえ、よく見えないほどの暗闇。

「ア、アヴリル先輩、これは……?」

「いえ、こんな演出は聞いていないわ。恐らく、事故か何かでしょう」

 慌てふためく弥生とは対照的に、アヴリルは冷静に状況を分析している。

「大丈夫? 弥生。下手に動くと、却って危険よ。じっとしていなさい」

「は、はい」

 暗闇の中から聞こえたアヴリルの声に、見えないとわかっていても、こくりと頷きながら答える。しかし。

「きゃあああっ!」

「うぇぇぇんっ!」

 突然の暗闇にパニックを起こしたのか、きゃあきゃあと悲鳴を上げながら、子供たちが走り回る音が聞こえた。

 そして、悲鳴が近づいてきたと思った次の瞬間、背後からどんっと誰かがぶつかってくる。

「きゃっ!」

「弥生!?」

 勢いに負けて倒れ込む弥生を、アヴリルが咄嗟に庇ってくれたようだった。曖昧な表現しかできないのは、当のアヴリルの姿がまったく見えないからである。

 何がなんだかわからないまま、必死にどこかに手を突いて立ち上がろうとしたとき、再びブラックライトが点灯した。

「――っ!」

 刹那、倒れたときとは違う衝撃で、二人の息が止まる。こんなに近くに、お互いの顔があるなんて。

 弥生はアヴリルに覆い被さるような体勢で。アヴリルは弥生に組み敷かれるような体勢で。

 二人の唇が、あと数センチで触れ合ってしまいそうな距離で見つめ合うこと数秒。驚きのあまり、体が硬直して動かない。

 それはアヴリルも同じだったのだろう。薄暗がりでもわかるほど、二人は顔を赤らめた状態で、抱き合う形となっていた。

「皆さん、すみません! 来場のお子様がコードに引っかかって、転んでしまいました! 現在は復旧しましたが、お怪我はありませんか!?」

「ま、舞先輩……!」

「だ、大丈夫よ、問題はないわ」

 ぱたぱたと駆けつけてきた舞に見られる前に、二人はさっと身を離した。次いで、弥生は勢いよくアヴリルに頭を下げる。

「ア、アヴリル先輩、本当にごめんなさい!」

「気にしないで。わざとじゃないことは、私もわかっているから」

 アヴリルは肩にかかった髪をさらりと払いながら、淡々とした口調で答える。さっきまで、あんなに真っ赤になっていたというのに、何を格好つけているのだろう。

「アヴリル先輩……?」

「言っておくけれど、動揺しているわけではないわ。恋人と文化祭。お化け屋敷でハプニングなんて王道展開に、何を舞い上がっているのかしらなんて、少しも思っていないから」

「動揺してたんですか!?」

 少なからず照れているとは思っていたけれど、さすがのアヴリルも、やはり一連の出来事にドキドキしていたらしい。

 その後、お化け屋敷を回った二人は、無事に携帯電話で祭壇の写真を撮影し、ゴールを迎えた。

 メイド服にはポケットがないため、携帯電話を教室に置いてきた弥生にも、お化け屋敷の思い出として、あとでメールに添付して送ると、アヴリルは約束をしてくれる。

 さっきのトラブルを思い出すせいか、少しだけぎこちなくなっていた二人だったが、あちこちの出し物を見て回るうちに、すっかりいつも通りに戻っていた。

「今日はあなたと回れて楽しかったわ。ありがとう」

「私のほうこそ。アヴリル先輩と一緒だったから、いい思い出が作れました」

 はにかむように目を細めたアヴリルに、弥生もにっこりと笑い返す。

 トラブルがあったものの、そのあとは無事に教室まで送り届けてもらって、弥生の充実した休憩時間は終わりを迎える。

 そして、少し目を離した隙に満席になっている喫茶店へ入り込むと、再び仕事に戻るのだった。


 ***


 後夜祭は、日が落ちてからの自由参加だ。

 弥生のクラスは、ほぼ全員が参加するけれど、中には参加しない生徒もいる。

 なので、その前に閉会式と結果発表を挟むということで、全校生徒がグラウンドに集まっていた。

「それでは、後夜祭の前に、文化祭の閉会を宣言します」

 校舎を背にした檀上に、生徒会長であるアヴリルと、学園長が現れた。

「皆さんの素晴らしい努力により、今年も文化祭は盛況のうちに終わりを迎えることとなりました。では、さっそく部門ごとの最優秀クラスを、学園長から発表してもらいましょう」

 アヴリルに促された学園長は、手元の用紙を開いた。

「体育館の演し物ランキング、一位は二年A組。芸術点、一位は三年A組。イベント部門、一位は一年D組。そして、最も多くの投票数を集めた今年の総合一位は――」

 学園長が勿体ぶったように言葉を止める。生徒たちの視線は、自然と檀上へ向けられた。

 弥生も、そして他の生徒たちも、自分のクラスこそが、と祈るような心持ちで発表の瞬間を待つ。そして、満を持して読み上げられたのは。

「一年C組」

 学園長の声が、グラウンドに響き渡る。それと同時に、わあっと歓声が上がった。

 総合一位は、弥生のクラスだったのだ。

 驚きと喜びで、弥生はしばし呆然としてしまう。まさか、本当に自分のクラスが優勝するだなんて思っていなかったのだ。

 次いで、沸き起こった拍手に、はっとして辺りを見回す。すると、他のクラスの生徒たちが、手を叩いている姿が見えた。前方では、水無月と優梨が喜び合っている。

 他のクラスメイトたちも嬉しそうに微笑んでおり、ようやく優勝を実感した弥生の視界がじわりと滲んでいく。

 高校生活で初めての文化祭は、とても楽しかった。だが、こうしてクラスメイトと喜びを分かち合えることが、何より嬉しいのだ。

 そんなふうに、喜びに沸く弥生を始めとする生徒たちを、アヴリルは檀上から穏やかな眼差しで見つめていた。

 こうして、文化祭は幕を下ろした。メイド喫茶の接客は大変だったものの、それだけに充実した一日になったと自負している。

 アヴリルや、クラスメイトたちのおかげで、弥生にとって、今日という日がとてもいい思い出になったことは間違いなかった。



©涼水藍那2024.

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