第5話 突如

 部屋に侵入してから二週間、俺は彼女の部屋に居続けていた。ベッド下の隙間が俺の定位置だ。

 

 仰向けになって、体を差し込むように入る。別に何か悪さをするわけではない。

 したことといえば、彼女が仕事でいない間に部屋の隅に溜まったホコリを集めて捨てたり、観葉植物に水を少しあげたりした程度で、気にも留めないだろう些細な事だ。

 他には2回ほど平日の昼間に、部屋の外に出たことがあったくらいだが、誰が家主のいない間に窓から人が出入りしていると分かるものか。

 たまに彼女がいるとき「ミシッ」とか「パキッ」とかいう物音を鳴らしてしまうこともあったが、このアパートは木造で、ラップ音などたいして珍しいものでもなく気にもしていないだろう。


 俺はいつものように彼女の帰りをベッドの下で待っていた。時計はすでに7時半を指していた。

 

 ――もう帰ってもいい時間のはずなんだが、飲みにでも行っているのだろうか。


 そう思いながらしばらく待っていると鍵を回す音が鳴り、誰かと話しながら中に入ってきた。

 どうやら、友人を招いたらしい。


「さ、あがってあがって」

「おじゃましまーす」


 手招きする彼女の後に続いて、聞き覚えのある声と共に女性が入ってきた。駅前で最初に会ったときにいた暗い茶色の髪をした女性だ。

 部屋に入るなり手も洗わずスーツから部屋着に着替えていた彼女が、その友人にも着替えを渡しているところをみると泊まらせる気なのが分かった。


 ――そう言えば明日は土曜日か。1Kの狭い部屋だ、一人増えただけで接触する可能性が上がるので勘弁してほしい。


 友人が着替えている間、彼女は帰り道で買ってきたであろう弁当を電子レンジで温めながら口を開いた。


「てか聞いてよ、同僚が急に一人辞めたって言ったじゃない? その仕事の引継ぎ私にお願いされちゃってさぁ」

「やばいじゃん、アンタただでさえ忙しいのに。ちゃんと断った?」

「いや、二つ返事で受けちゃった……面白そうだったから」

「興味持ったら止められないのはアンタの悪い癖よね~」


 などという会話をしながら、二人は温め終わった弁当をテーブルに持っていき、夕食を取り始めた。

 食べながら弾んでいく会話。話題がころころと変わる中、友人が「そういや」と何か思い出したとばかりに言った。


「部屋の中で物音がするって言ってたのどうなった?」

「あーあれね、特に変わりはないよ。下か隣の人でしょ」

「でも、開けた覚えないのに窓の鍵が開いてたって言ってたじゃん。やっぱストーカーとか、泥棒とかに入られてんのかもよ? アンタのいないときに」

「あれはやっぱり私が閉め忘れてただけで、気のせいだって」

「でも、怖くなったからこうしてアタシを呼んだんでしょ? 絶対、誰かしらに狙われてると思うね。なんなら今もどっかに隠れてたりして……」


 まさか感づかれてるとは夢にも思わず、鍵を閉め忘れていた自分のアホさ加減に驚いた。

 急に心臓の鼓動が速まる。だが、ばれてしまってはしょうがない、どうやらこの生活ももう終わりが近いのかもしれない。


「でも、悪いものじゃないと思うんだけどなぁ。あ、座敷童とか妖精の類だったりして、もしそうなら大歓迎なんだけど」


 俺は目頭が熱くなった。「悪いものじゃない」という彼女の言葉に。

 彼女との間に、いささか一方的ではあるが繋がりができたような、受け入れられたような気がした。


 ――彼女の妖精か、それも悪くないかもしれない。いいじゃないか。そうだ、これからはそうして生きていこう。


 俺はやっと自分に役割を見いだすことができたのかもしれないと、心が満たされていた。

 しかし、彼女の考えを理解できないのか、友人は不満そうだ。


「何言ってんの、例えばさ……、このベッドの下とか‼」


 唐突に俺のいる場所をのぞき込まれて、俺の顔の正面に友人の顔が現れ、合わないはずの目が合う。


 ――いや問題はないはずだ、だって俺は透明……。


「きゃああああああああ!!」


 甲高い叫び声が俺の耳を劈く。友人は後ろへ飛び跳ねた。


 ――いや、俺じゃないはずだ。落ち着け、きっとゴキブリとかだ!


「男が、男がッ!」


 ――俺が見えているのか⁉ いや、そんな筈がない!


「なに⁉ どうしたの!」

 

 急に叫びだした友人に困惑する彼女の声が聞こえる。

 俺は直ぐに、この狭い隙間の中で、可能な限り顔を起こして自分の体を確認すると、さっきまでは確実に消えていたはずの俺の体があった。


「ベッドの下がどうしたの⁉」

「そこから離れて! そのスマホもってこっち来て! そんで警察に電話!」


 ――あぁ、俺の人生は本当に終わった。


 どうやったってこの状況を好転させる術はなく、俺は運命を受け入れた。

 やがて駆け付けた警察によって捕えられたとき、悲しみと絶望とか虚無感とか、そういったものは一切ない。

 あったのは、もう終わってくれたという安堵感だけだった。

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