29:親友は見抜いていた
「私だったらふざけんなって説教するけどね。あんたは彼女と、庇ってる他人とどっちが大事なんだって」
みーこはぽん、と私の頭に手を置いた。
「…………」
予想外の行動に、私は目をぱちくり。
「こんなに彼女が苦しんでるのに気づかないなんて、あんたの目は節穴かって。本当に好きならちゃんと向き合えよ。くだらないことで私の親友泣かせんな馬鹿って」
置かれたみーこの手から、じんわりと温もりが広がる。
その温もりに呼び覚まされたかのように、私の目の奥も熱くなり、そこからは早かった。
涙が頬を滑り落ちて、机に小さな水たまりを作る。
私は両手で顔を覆い、伏せた。
――ああ、そうか。
私、こんなに苦しかったんだ。
いつだって一人でいる漣里くんを見ることが。
彼女なのに、近づくことすらできないことが。
目が合えば無視されることが。
私を拒絶する、あの背中が。
胸を張って彼の傍にいられないことが――。
泣くほど無理してるなんて自覚はなかったけど、みーこは見抜いてくれてたんだ。
私の異変はすぐに他のクラスメイトに見つかり、何、どうしたの、と数人の女子が声をかけてきた。
私のクラスメイトは優しい人ばかりだ。
何があれば助けに来てくれる。
でも、漣里くんにはそんな人、いないんでしょう?
何かトラブルがあっても一人で解決するしかないんでしょう?
本当は辛いんでしょう?
いまどんな気分で教室にいるの?
漣里くんのことを考えると、悲しくて、悲しくて、胸が潰れそうだよ――。
寄ってきたクラスメイトを、みーこはなんでもない、と断って追い払い、再び私に向き直った。
姉が妹に言い聞かせるような、柔らかな声で、優しく、諭すように。
「もう一回、ちゃんと話してみなさいよ。それでも成瀬くんが嫌だっていうなら、私が一発ぶん殴って目ぇ覚まさせてやるから、安心して」
「……ちっとも安心できないよ。私は平和主義だもん、暴力反対」
涙を手の甲で拭い、笑ってみせる。
きっと目は赤くなって、情けない笑顔になってただろうけど、みーこはなんだか気に入ったように、にひっと笑って。
「そーね」
と、短く相槌を打った。
必要な言葉なんて、それで十分。
重く立ち込める霧のように、心を侵食していた数々の不安と不満が晴れたような気がする。
背中を押してくれた親友のためにも、私はもう一度漣里くんと話してみようと心に決めた。
ねえ漣里くん、こんな理不尽に一週間も耐えたんだから、もういいでしょう?
こうなったら喧嘩してでも、私の思いを全部ぶつけて、この状況を根底からひっくり返してやるんだから!
後は任せて行っといで、と言ってくれたみーこに感謝しながら、私は教室を出た。
最初は歩いていたけれど、徐々に早足になって、階段を下り、渡り廊下を渡る。
去年過ごしていた一年二組を通り過ぎ、いざ漣里くんがいる三組へ。
三組に近づくと、ペンキの匂いが鼻をついた。
……ここが漣里くんが普段過ごしている教室か。
学校において、教室は小さなコミュニティだ。
早朝や放課後とかで、たとえそこに誰もいなかったとしても、自分以外のクラスに立ち入るのはなんだか気が引けるし、緊張する。
場違いだよって、知らない展示や日直の名前、空気そのものに教えられる。
人様の家を覗き見るにも似た気分で、どきどきしながら、教室の後方の扉から様子を覗く。
三組の生徒たちは、机を教室の前方にまとめて寄せていた。
教室にいる半分くらいの生徒が空いたスペースに段ボールを広げ、黒いペンキを塗っている。
友達と談笑したり一人で黙々と手を動かしていたりと、作業している生徒の表情は様々。
他にも、寄せられた机に座って事務作業をしている生徒や、教壇に座って雑談している生徒がいる。
でも、見回しても、どこにも漣里くんの姿はなかった。
「あの」
盛り上がってるところを悪いな、なんて思いながら、私は扉の一番近くにいた男子生徒に話しかけてみた。
「え、誰?」
男子は友達との会話を止めて、不思議そうな顔をした。
近くにいた生徒たちも好奇の眼差しを向けてくる。
連鎖的に、周囲にいた他の子たちも私を見てきて、なんだか恥ずかしくなってきた。
「二年の、深森っていいます。成瀬くんを探してるんですが……」
視線の集中砲火に、縮こまりながら言う。
遠くのほうから、机に座っていた三人の生徒までも私を見ていた。
「……あいつまた何かやったんですか?」
私が上級生と知って、言葉遣いを改めた男子生徒は眉をひそめた。
他の生徒も「またかよ」みたいな顔をしている。
漣里くんのクラスでも――いや、彼と同じクラスだからこそ、か――悪名は轟いているらしい。
「違いますっ」
その言葉だけで、クラスの中で彼がどういう立ち位置にいるかを思い知らされ、悲しくなりながら私は全力否定した。
「成瀬くんは何もしてませんっ。ただ、話がしたいだけなんです。彼はどこにいますか?」
「さあ……もう帰ったんじゃないかなぁ?」
「お前のせいだろ。邪魔だとか言うから」
隣にいた男子生徒が、笑いながら彼の脇腹を小突いた。
え?
「ひっでーよな」
「本当のことだろ。あいつがいたら空気が悪くなるだけじゃん。いてもいなくても変わんねえなら、いないほうがマシだって」
「あの、どういうことですか? 邪魔だって……追い出したの?」
胸がざわざわと騒ぎ、血の気が引いた。
「先輩には関係ないじゃないですか。つか、何なんです?」
睨め上げるような生意気な態度と言葉に、かちんと来た私は、
「私は成瀬くんの彼女です!」
クラス中に届くように言い放った。
皆、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
でも、関係ない。
私はもう隠すつもりなんかないんだから。
「邪険にしたんなら、彼に謝っておいてください。お騒がせしてすみませんでした。失礼します」
会釈して、私は踵を返した。
それなりにうまくやってるって言ってたのに、大嘘じゃない。
邪魔者扱いされて、弾き出されてるなんて、私、ちっとも知らなかったよ。
相談くらいしてほしかった。
怒りと悲しみで頭の中はぐちゃぐちゃだ。
なんで漣里くんは耐えてるんだろう。
やっぱり私、こんな状況、許せない。
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