第2話
ハルトが「マウロ」で店番をしていると、ひとりの少女が店内に入って来た。現代でいうと中学生、いや高校生くらいか? 銀色の髪をした、かなりの美少女だった。
黒いマントを羽織っている。少女は棚にあるベーグルには目もくれず、レジ台にいるハルトのほうへ向かってくる。
じっと無表情で見つめられ、思わずたじろぐ。意志の強そうな瞳をしているから、睨まれているように感じた。
「い、いらっしゃいませ」
声が上擦った。接客は苦手だ。社交的な性格でもないから、店頭に立つよりも作業場でひとりベーグルを作るほうが気が楽だった。
「魔法使いが作るベーグルって看板にあったんだけど。その魔法使いって、あなた?」
美少女の無表情は圧がすごい。
「そ、そうだけど……」
「広場で皆に魔法を見せているのも、あなた?」
「あ、あぁ……」
ハルトが頷くと、彼女の目力がきりりと強くなった。
「どういうチカラを使うの? 能力に目覚めたのはいつ? 魔法属性は何?」
矢継ぎ早に質問される。声質は可愛いのに、口調に隙がないので怯んでしまう。
(そもそも属性って、何だ……?)
他の魔法使いと出会ったことがないから、その辺りのことがよく分からない。あれ、でもさっきの言い方だと……。
「もしかして君は、魔法使いだったりする?」
「そうよ」
気づいてなかったの? という感じで、彼女はレジ横にあるサーモンとアボカドのベーグルサンドを指さした。
ベーグルサンドが、グラグラと揺れる。そしてゆっくりと浮き上がった。
つるりとしたベーグルにサーモンとアボカドがたっぷり詰め込まれた「マウロ」の人気商品が、ふよふよと宙を舞っている。
「う、浮いてる……! ベーグルサンドが浮いてる!」
これは手品ではない。タネも仕掛けもない。人気ちびっこマジシャンが言うのだから間違いない。
初めて本物の魔法を見て、ハルトは腰を抜かしそうになった。
「何を大げさに驚いてるの? あなただって、このくらい簡単にできるでしょう?」
そう言いながら、少女はベーグルサンドを元の位置に戻す。
「へ? あ、いや、まぁ……」
「召喚魔法も使えるらしいじゃない。帽子から取り出すそうね」
おそらく、シルクハットから鳩を出すマジックのことを言っているのだろう。
「ねぇ、私と勝負してくれない? あなたの魔法、この目で見てみたいの」
「い、いや、それはちょっと……」
それは勘弁して欲しい。人と争うことは苦手なハルトだった。そもそも魔法を使えないから、勝負にすらならないのだ。
「俺はこの店で働いてて、忙しいんだよ。だから、そういう時間はなくて」
「いつ終わるの?」
「えっと、棚のベーグルが全部、売れたら……」
気が弱いせいで、つい正直に言葉が漏れる。
「待ってるわ」
「い、いや、たぶん遅くなるよ。夜になるんじゃないかな。ほら、親御さんも心配するだろうから、帰ったほうがいいと思う」
なんとかお引き取り願おうと画策する。
「両親はいないわ。私、子供の頃に捨てられたの。孤児院で暮らしてるけど、門限はないし心配無用よ」
「あ、そ、そうなんだ……」
粘り強く説得を試みようとしたが、家庭環境や境遇を打ち明けられ、思わず言葉に詰まる。
彼女は、ネリネ・アトリアと名乗った。15歳らしい。
話を聞いてみると、どうやら召喚魔法を使えるのは力のある魔法使いだけらしい。かなり希少だという。そんなことを知っていれば、安易に鳩を飛ばしたりしなかったのに。
気づけば、店内の棚はすかすかになっていた。「マウロ」は人気店だ。次々に客は来店し、ベーグルがひとつ、またひとつ売れていく。最後に残ったベーグルサンドも売れてしまい、本日も早々に完売となった。
「夜どころか夕方にもならなかったわね」
「そ、そうだな……」
いつもこの時間に店じまいしている事実はネリネには伏せる。
こうなったら、誤魔化すしかない。適当にマジックを見せて、もちろん勝負はハルトが負ける。そうすれば、彼女も納得するだろう。
「広場へ行こう。障害物が少なくて、マジックを披露しても迷惑にならない場所は、この街には広場くらいしかないから」
「……マジックって何?」
「え、あっ! 魔法! 魔法だよ!? 言い間違えただけ!」
ははは、と笑いながらなんとか誤魔化す。
危ない。気を付けないとボロを出しそうだ。ハルトは小道具を準備して、ネリネと一緒に広場へ向かった。
「そういえば、勝負って言ってたけど。どうやって勝ち負けを決めるんだ?」
「皆に決めてもらえばいいじゃない」
「皆って?」
ハルトが問うと、ネリネがちらりと周囲を見渡した。つられてハルトも周りに視線をやる。
広場にいた人々が、興味津々といった感じでこちらに集まってくる。
「ここにいる観客に決めてもらいましょう。どちらが強い魔法使いか」
そう言って、ネリネは胸の前で両手を合わせる。マントの裾がゆらゆらと揺れた。
ゆっくりと手を離すと、両手の間にブルーの光が見えた。ビリビリと震えながら、光は大きくなっていく。
「ちょ、ちょっと!? 何だよそれ、その火の玉みたいなやつ!」
「先手必勝っていうでしょ」
今にも青い火の玉を投げそうなネリネが答える。
正直、避けられる気がしない。平均的な運動神経しか持ち合わせていないのだ。攻撃を食らったら、どれくらい痛んだろう。痛いだけで済むのだろうか。まさか死んだりしないよな? そう考えて、体が竦み上がる。
がくがくと震えていると、ふいに頭の中で声が聞こえた。
『演じろ。笑顔で、自信満々に』
父の声だ。
マジックショーの舞台に出て行く直前、ハルトは決まって父から言葉をかけられていた。
『客の前にいるとき、舞台に立つとき、お前は牧村晴斗じゃない。堂々とマジックを披露するマジシャンのハルトだ』
気弱なハルトは、人前に出ることが苦手な性分だった。舞台袖から客席を覗くといつも足が震えた。それでも、父から言葉をかけられると不思議と心が落ち着いた。
まるで魔法にかけられたみたいに、自分は大丈夫だと思えた。
『お前ならできる』
意を決して、ハルトはネリネに向かい合った。
「その程度の魔法攻撃、俺なら簡単に避けられるよ」
もちろん、これは嘘だ。
「他にもいろいろ攻撃のバリーエーションがあるだろ? 残念だけど、君の魔法は全部見切ってるから」
これも嘘。
「俺は全部、躱せるけど。俺に当たらないってことは、ここにいる見物人の誰かに当たるかもしれないってことだ」
ネリネが小さく息を飲む。彼女がわずかに見せた戸惑いの表情に、ハルトは心の中で「よし、いける」と安堵する。
自信満々の口調から、今度は優しい声色に変える。そして諭すようにネリネに語りかけた。
「誰かを傷つけるかもしれない。俺はそんな風に魔法は使いたくない。君だって、そうだろう?」
「……そうね」
ネリネの手の中にあったブルーの光が消えていく。
「分かったわ。派手な攻撃はしない。……勝負は諦めるわ。でも、私はあなたが魔法を使うところがどうしても見たいの」
真剣な眼差しで訴えられ、ハルトは根負けした。
「……仕方ないな」
ハルトはトランプを取り出し、ネリネの前でシャッフルした。
それから円を描くようにシャラリとカードを広げる。「サムファン」と呼ばれるテクニックだ。
「好きなカードを10枚選んで」
そう言って、彼女の前にトランプを差し出す。
「これと、これにするわ」
ネリネが選んだカードを5枚ずつ左右の手で持つ。そして、カードにはタネも仕掛けもないことを周囲によく見せてアピールする。
ハルトの周りには、すでに大勢の観客が集まっていた。彼らが固唾を飲んでトランプを見ていることが分かる。
ハルトはカードを宙に投げた。
ひらひらと舞うカードは次の瞬間、まるで鋭利な刃物で切り刻まれたかのように細かくなって地面に落ちた。
集まっていた見物客から、わっと大きな歓声があがる。互いに顔を見合わせながら喜んだり、飛び上がったりしている。割れんばかりの拍手が広場に響いた。
「どうやってカードを切り刻んだの? 何の魔法? 早すぎて、全く見えなかったわ……」
ネリネは驚愕しながら、細かく裁断されたトランプを見つめていた。
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