現代の奇術師、異世界で魔法使いに認定される
水縞しま
カードマジックと笑わない美少女
第1話
ベーグル屋「マウロ」の作業場で、ハルトはせっせと生地をこねていた。ベーグルの生地は他のパンに比べてかたい。
しっかりとこねるには体重をかけるのがコツらしい。店主であるジーナからのアドバイスだ。
こね上げた生地は分割して、少し休ませてから成形していく。のばして棒状にしたものをくるっとリング状にするのだ。
片方の端でもう一方の端を包むときれいなリング状になる。
なるべくつなぎ目が分からないように慎重に作業していると、背後からジーナが声を掛けてきた。
「ハルトって、ほんとうに変わり者だね」
金色の長い髪をひとつに結んだジーナが、エプロンを巻きながら作業場に入ってくる。
「なんですか、いきなり」
「ひとつひとつ手作業なんかしちゃって。魔法で一気にやっちゃえばいいじゃない。そのほうが早いし楽じゃないの?」
ジーナに手元を覗き込まれ、思わず言葉に詰まる。
「……手作業が好きなんです。それに、そう簡単に使うものじゃないですよ。魔法っていうものは」
落ち着かない気持ちになりながら、目の前のベーグル生地に集中する。
「まぁ、手作業でもなんでも、仕事をしてくれるなら何でもいいけどね」
ジーナはハルトのことを魔法使いだと思っている。
全くの誤解だ。ハルトは魔法を使えない。それなのに、ジーナをはじめ、この街の人々はハルトのことを魔法使いだと勘違いしている。
ハルトは今、居候の身だ。このベーグル店「マウロ」で働くことで、店主のジーナに衣食住を保証してもらっている。ちょうど店舗の2階が空き部屋だったらしく、住まわせてもらえることになったのだ。
ベーグルを作り始めて約半年。かなり上手くなった気がしている。初めて見たときは、ドーナツかと思った。形がそっくりなのだ。元いた世界にもベーグルはあったが、ハルトは一度も口にしたことがなかった。
元いた世界というのは、半年前までハルトが暮らしていた世界のことだ。
……いや、平凡ではなかったかも。職業が少し変わっていたというか。
売れないマジシャンだったのだ。舞台に立ったり、配信で手品を披露したり。細々と活動していた。子どものころは割と有名で、「ちびっこマジシャン」として活躍していた。
父親が有名な奇術師だった。数多のステージやテレビでマジックを披露する人気者で、その影響でハルトも幼い頃から舞台に立っていた。シルクハットに蝶ネクタイという、いかにもな格好でスポットライトを浴びていた。
大人になるにつれ、物珍しさが薄れたのだろう。世間から注目されることもなくなった。結果、売れないマジシャンになっていた。
そんなある日、ステージの袖で出番を待っていると急に目の前が真っ白になった。
今日の舞台に、こんな演出あったか……? そう思っているうちに意識が薄れ、気を失った。
目が覚めると広場にいた。すぐそばに噴水があって、足元を見るときれいな石畳になっていた。日本じゃないみたいだなと、そのときは思った。外国映画で見た風景のような気がした。
結局は、海外ですらなかったのだが。
どうやら自分は異世界に飛ばされたらしい。そう理解するのには時間を要したし、しばらくは呆然としていた。
ハルトは何日か噴水の前にいた。呆然としながら空腹に苦しんでいたところをジーナに助けられた。
ジーナはベーグル職人だった。
この世界では、普通のパンよりもベーグルのほうが人気らしい。もっちりとしたドーナツ型のパンをハルトは貪り食った。
腹が膨れたら、目の前にある現実を受け入れるしかないと思えた。「売れないマジシャン」から「雇われベーグル職人」にジョブチェンジしただけのことだ。そう自分に言い聞かせた。
それでも、生活に慣れてくるとマジックがやりたくて体がうずうずした。トランプ等やコイン、ロープ等のマジックに必要な小道具を手作りして、ハルトは広場でマジックを披露し始めた。
トランプを出現させたり、消失させたり。コインを瞬間移動させて、切ったロープを繋げて、シルクハットの中からは数匹の鳩を飛ばした。
初めは数人が物珍しそうに眺めるだけだった。いつの間にか評判になり、広場の噴水前には人だかりができるようになった。
ハルトがマジックを披露すると歓声があがる。驚いた顔を見るのは楽しい。楽しそうな顔を見ると嬉しくなる。やっぱり自分はマジックをするのが好きだなと思っていると、観客のひとりが「魔法ってすごいなぁ」と言った。
周囲の人々も「うんうん」と頷いている。
ハルトは「魔法」の言葉の意味が分からなかった。自分が披露しているのはマジックで、魔法などではない。
(魔法に見えるくらい素晴らしいマジックってことか?)
混乱した頭で考えるハルトにトドメがさされた。
「それにしても驚いたわ。この街にも魔法使いがいたのねぇ」
上品そうなマダムに微笑まれて、何と返したら良いか分からなかった。
どうやら、この世界に「マジシャン」はひとりもいないらしい。そもそも「マジック」という概念すら存在しなかったのだ。
すでに街の有名人として評判になっていたから、もう後には引けなかった。こうしてハルトは、この世界で「魔法使い」となった。
嘘をついているのでかなり後ろめたいのだが、後に引けない理由は他にもある。「マウロ」の看板には『魔法使いが作るベーグルをぜひご賞味あれ!』と書かれているのだ。
ジーナの商魂のたくましさに震えた。けれど、この世界で身寄りがないも同然のハルトにとって、ジーナは恩人だった。生きるためには仕方がないと割り切り、魔法使いを装っている。
今日も仕事の後、広場へ行った。
シルクハットから鳩を出現させると「召喚魔法だ!」と歓声があがった。ハルトは笑顔で歓声にこたえた。そして心の中で「すみません、これ手品なんです……」とつぶやくのだった。
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