第4話
長く年月が過ぎた、ある夜。どんよりとした薄墨色の雲が空を覆い、雪がちらつき始めている。「ファウストオークション」が開催されるオークションハウスには、さながら明かりに群がる蛾のように、今宵も変わらずいろんな種族の参加者が集い、次から次へと入場して行く。そんな中また一つ、参加者を乗せた馬車が、オークションハウスの前で止まり、中から一人の若い男が降り立った。
「ブラッド様。ようこそお越し下さいました。」
偽名で呼びかけられ、男が紅い眼をそちらに向けると、オークション主催者であるマーモンが昔と変わらない姿で立っていた。
「マーモンさん、こんばんは…今回ご招待いただけて、大変光栄です。ありがとうございます。」
雪に溶け消えそうなくらいに真っ白な身に、真っ黒なコートと紳士服を見に纏ったその男…シロナ・ヴェルドルは少し強張った声でそう返答し白い息を吐いた。クロードから血を分け与えられたシロナは今や、150年の時を生きる吸血鬼となっていた。そうなってからの彼は視力も右腕も治り、今、マーモンの変わらない笑顔もはっきりと見えた。
「いえいえ、こちらこそ感謝申し上げます。以前のブラッド様には、大変よくしていただいていたので。」
「……」
マーモンが笑顔のままそう返すのを、シロナは黙って見ていた。以前の、というのはきっと、このオークションの常連だったクロードの時のことだろう。その笑顔からはシロナの生い立ちや事情自体はどうでも良く、ただ「ファウストオークション」で金を出す財布になるかになるか否かでしか価値を置いていないのが伺えた。
「さて、そろそろお時間が近づいてきましたし、参りましょうかブラッド様。時は金なりですしね」
「はい…」
シロナは頷いて、目元を隠す仮面をつけ、結えた長い絹のような白髪を靡かせながらオークション開場へと足を踏み入れた。
・・・
「紳士淑女の皆様、本日はお足元の悪い中『ファウストオークション』にお越しいただいて大変恐縮でございます。皆々様には厚く感謝申し上げます。私、司会を務めさせていただきます、マーモンと申します。」
舞台中央で微笑みながら挨拶をするマーモンを、シロナは二階席のソファに腰掛けて舞台を見ていた。その席は、以前クロードがシロナを落札した時に座っていた席であった。同じようにして見て、シロナは「クロード様はここで、こんなふうに僕を見ていたのか…」とぼんやり思った。
「それでは早速参りましょう。まずはこちら、『ガドーの呪いの仮面』でございます。」
シロナが商品として以外でこのオークションに参加するのは初めてのことであった。スタッフである鷲頭の男から注がれたワイングラスにすら手をつけずに、緊張した面持ちで目当てのものがくるその時をただ待っていた。その様子を横目で見てスタッフの男は静かにシロナに話しかけた。
「ブラッド様は今回のオークションカタログはご覧になられましたか?」
「…ええ、まぁ。」
「でしたら、もう間もなく順番が回ってくるかと」
その言葉にシロナは顔をあげて訝しげにスタッフの男を見た。
「続きましてはこの商品、『ハートクォーツ』でございます」
「!」
司会のマーモンの言葉にシロナは舞台の方を見た。
「こちらは文字通り、体内に残留する魔力により心臓が時間をかけて結晶化したもので、特徴として内部から独特の輝きを放ちます。そして詳細は省かせていただきますが、この『ハートクォーツ』は、1000年以上生きた吸血鬼の心臓から作られたものでして、結晶サイズも通常より大きく、より一層美しく文字通り1000年に一つの希少な魔法石となっております。」
マーモンの説明を聞きながら、シロナは食い入るように『ハートクォーツ』を見つめた。大人の握り拳ほどの大きさの紅いその宝玉は心臓の形をしており、心臓の鼓動をするように一定間隔で妖しく点滅して光っていた。それを見て、シロナはグッと強く唇を噛んだ。
「ではこちらは5000万ギルからのスタートです。」
「8000万」
「1億2500万」
「1億7200万」
マーモンの開始の合図に、競りが始まる。開始単価は高めなはずだが、すぐに金額は釣り上がっていく。
「美しいですよね、あの宝石。」
その様子を見ているシロナに、スタッフの男は話しかけた。
「あれほどまでの大きさになるのはそれはもう大量の魔力が必要だそうで。いったいどれほどの魔力があそこに詰まっているのやら…」
「…あれは、本物の『ハートクォーツ』なのですか」
「ハートクォーツ」を見つめたまま、シロナは震える声で言葉を吐いた。スタッフの男はその様子に目を細めた。
「ええ、もちろん本物ですとも。『ファウストオークション』は始まって以来、一度も偽物や贋作の出品や偽りの情報を許したことはございません。その信頼の高さ故に、何百年も続いておりますので。」
「…」
「あの『ハートクォーツ』は今から115年前にできたもので、当時、あのロイド戦争の前線で戦っていた貴族の吸血鬼のものだそうですよ。ああいったものは戦果として敵国側でずっと保管されてきたそうで」
「……」
「今を逃したら、次はきっとないかと…たまたまうちに、彼の心臓を出品してくださる方がいたので、今回あなたに特別にお声掛けしたのですよ。ブラッド様」
スタッフの男が顔を寄せ、嘴の端を上げて囁く。シロナは口を噤み、その顔を睨むように見つめた。この男も、もちろんマーモンも、こちらの事情や欲しいもの、全てをお見通しなのだ。その上で、今回シロナに「ファウストオークション」の招待状を出したのだ。
「2億8000万」
「8番、2億8000万ギル、2億8000万ギルです。他にございませんか?」
「3億」
マーモンの声かけにシロナはパドル(札)を上げて金額を述べた。しかし
「3億1000万」
すぐにまた金額が上書きされてしまう。シロナは仮面の下で少し顔を顰め、またパドルをすぐに上げ「3億2000万」と値段を上書きした。
「3億5000万」
「8番、3億5000万ギル、3億5000万ギルです。他にいらっしゃいませんか?」
それを聞いてシロナは思わず小さく舌打ちをした。顔は確認できないが声からするに、さっきから値段の上書きしてきているのはどうやら同じ者のようだった。
「3億8000万」
欲しいものがもうすぐ手に入る。ここまで来たら引き下がるわけにはいかない。シロナはそう思い、さらに金額を上塗りしていく。
しかしそれもことごとく塗り替えられていき、8番と一騎打ちする形で金額は膨れ上がり、ついには4億7500万ギルにまで到達した。
「8番、4億7500万ギル、4億7500万ギルです。他はございませんか?1000年に一度のこの『ハートクォーツ』、欲しい他の方はいらっしゃいませんか?でしたら…」
「6億ギル!」
マーモンが落札決定を告げる木槌を持ちあげようとしたその時、シロナは自身のパドル(札)を上げ、大きな声で叫んだ。緊張からか少し上ずったその声を聞いて、他の参加者からのヒソヒソ声が聞こえる。しかしマーモンは獲物を仕留めた獣のように、長い尻尾をゆらめかせ、モノクルの奥の目を細めた。
「66番、6億ギル、6億ギルです。他にございませんか?」
マーモンの問いかけに、次の声が上がることはなかった。
「『ハートクォーツ』、66番が6億ギルで落札です」
会場内に、終わりを告げる音が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます