第3話
晩秋の夜。肌寒い夜風が吹く紺の空に、満月がぽっかりと浮いている。
薔薇の庭園に囲まれたクロード邸では今日も黒髪黒肌の吸血鬼のクロードと使用人達が仲良く暮らしていた。
「シロナ、そろそろ誕生日だろ。欲しいものは決まったか?」
相手の肩に手を置きながら話すクロードの言葉に、暖炉の前で椅子に座り、興味深げに本を読んでいた白肌白髪の若い人間の男が顔をあげてクロードを見た。シロナだ。義手の右手を線が細いその顔に当て、頭を傾げるたびに後頭部の高い位置で結ばれた長い白髪がサラサラ揺れる。シロナがここに来て、早10年近くが経とうとしていた。
「欲しいものは…ないというか…普段からクロード様がなんでもすぐに買ってくださるので浮かばないと言いますか…この本だってつい先週クロード様からいただきましたし…」
「ああ、それ読んでたのか。それは買ったんじゃなくて、シロナがそういう魔術関係の本が好きと言っていたのを思い出して、コレクションルームから持ってきただけなんだが…そんなに面白いか?それ。俺にはさっぱりなんだが」
「はい、とても興味深いです。黒魔術とはいえ一昔前のものなので今現在一般的に普及してる魔術とはまた違った法則性があって、その魔術において使用する材料や術式の意味やそこからの使用用途に合わせて組んでいく過程がなかなか…」
「あー、そうか。まぁ気に入ってもらえているのなら何よりだ」
話が止まらなさそうなシロナに、クロードは、苦笑しながらそう言った。シロナが手に持っている分厚い革張りの本は、過去クロードが「ファウストオークション」で競り落としたもので、とある魔術師の禁忌レベルの黒魔術も載っている代物だ。
「贈りすぎるというのも問題だな。だが次は君の成人祝いも兼ねる分盛大にするつもりだし、せっかく年に一度の誕生日だ。シロナの好きなものをなるべく与えてやりたい。本当になにも、欲しいものはないのか?」
「僕の誕生日をお祝いしていただけるのはとても嬉しいです…ですが、欲しい物は浮かばないのです。住むところも、ご飯も…服だってこんな上等なものをいただいて、こうやって皆と過ごせるのに、これ以上何を望めば良いのか…」
眼鏡の奥の赤い目が困ったように、少し細められた。出会った頃と比べ大人びた顔になったシロナだったが、そういう不安がる表情は昔から変わらない。クロードはその顔を見て苦笑しながらシロナの頭を優しく撫でた。
「しかし本当に困ったな…欲しいものがないとは…いっそシロナ専用の家でも建てるか?本が好きだし、広い書庫を作ってだな…」
クロードの言葉に後ろからホットミルクを持ってやってきたMs.ローリーが声を上げた。
「クロード様、普段から言っているでしょう、なんでもそうやって甘やかせばいいって物ではないのですよ!まったく。」
しかしぷんぷん怒りながらも、シロナにホットミルクを渡す時には
「はいシロナ坊ちゃま。お熱いですからね、召し上がる際は気をつけて下さいまし。」
と打って変わってニコニコの笑顔になるMs.ローリーに、「君も大概甘いじゃないか」とクロードは呟いて噴きそうになるのを堪えていた。
「ありがとうございます、ローリーさん…僕はまだ、クロード様や皆さんと、ここで暮らしたいです…」
シロナは本を体の影に隠して、Ms.ローリーから笑顔でホットミルクを受け取ったあと、そう答えた。これはシロナの心からの願いだった。
「…なら家は無しだな。本当に、何かそれなりに特別なものを贈りたいんだが…まぁ、それだけ普段から、シロナが幸福で満たされているというなら、いいか。それにしても本当に、人間の子供は成長が早いな」
クロードは微笑みながらまたシロナを一撫でした。
「クロード様は確か、1000歳を超えているんですよね?」
「ああ。今年で確か…1382歳になる。俺は無駄に長生きだからな。Ms.ローリーがここで働き始めた頃…まだまだ失敗の多い新米だった頃も知ってるぞ。躓いて俺への手紙やなんやらを廊下にばらまいたこともあったな」
クロードの言葉にMs.ローリーが驚いたように声を上げた。
「まだそんなこと覚えていらっしゃったんですか。」
「覚えているもなにも、あんなの忘れようがないだろう。」
「意地悪な殿方ですこと…真っ先に忘れてくださればよろしいのに」
「それは無理な相談だな。可愛いお嬢さんのことは特に覚えてる方なんだ、俺は」
愉快そうに笑うクロードに対してMs.ローリーは呆れたような顔をしつつも口元は笑っていた。その様子をシロナは見つめて、少し微笑んだ。
「二人とも、長い付き合いがあるんですね。」
「そうでございますね。かれこれ55年、こちらで勤めさせていただいていますので。」
「Ms.ローリーも長いが、他の使用人達もまぁ、負けず劣らず長い付き合いにはなるな…使用人を雇い始めてからまだ200年ちょっとなんだが、その間に色んな種族の者がが働いていたんだ。」
「今の人とは違う方々もいたんですか?」
「ああ、いた。皆良い奴らだった」
そう答えながらクロードが懐かしそうに赤い眼を細めるのを見て、同じく赤い眼を持つシロナはまた少し考え込んだ。クロードはこれまできっと、多くの人と出会って、色んな形で別れることもあったのだろう。そしてシロナも今はここにいるけれど、別れが必ずやってくる。しかもそれほど遠くない未来にだ。元々虚弱体質な「アドラの御仔」は、本来の人間の寿命の半分ほども生きられないからだ。そう思うと、シロナはぎゅぅっと心臓が絞れるような心地になった。
彼はまた顔をあげ、クロードの顔を見つめた。
「…クロード様。次の誕生日に欲しいものが決まりました。どうか、聞いて下さいますか?」
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