第2話
丑三つ時を回る霧夜の中、黒い馬車が森を駆けていく。狭い森の道を抜けると、突然ザァと視界が開け、そこには一つの豪邸が見えた。月明かりに照らされ、薔薇の庭園に囲まれたその建物は、吸血鬼のクロード・ヴェルドルが住む屋敷である。
「着いたな。降りられるか?」
馬車からひと足先に降りた黒髪黒肌の男、クロードは振り返って落札した商品…白髪白肌の人間の子供、『アドラの御仔』に手を差し伸べた。赤い魔法石が嵌め込まれた首輪はついたままだが、手足の拘束は解かれていた。
「…大丈夫です」
齢10歳前後というくらいのその子供は、首を軽く横に振ってから、クロードの手を借りずにゆっくりと馬車から降りた。
「そうか。ではこちらに来なさい」
クロードはその様子に少し笑って歩き出した。その後を引きずりそうなくらいに裾が長い服の裾を持って、子供はヨロヨロついていく。一瞬だけ来た道を子供は立ち止まって振り返ったが、庭園の薔薇がずるりずるりと一人でに動き出し、そのまま大きな壁のように道を塞いで咲き誇るのを見て、慌ててクロードの後を追った。
「「おかえりなさいませ、クロード様」」
「ただいま、ピューロ、アンナ、ジェーン、シャシャ、カズラ」
屋敷の中に入ると、外観からは想像もつかない、明らかに空間の歪んだ、迷宮のような摩訶不思議な構造になっていた。高い天井には明らかに五階以上の階段が見え、あちらこちらに伸びている。扉や窓もパッチワークのようになぜかチグハグで、不自然な位置にある。そしてそこから骸骨や狼人などの人ならざるもの達が次々と現れ、ずらりと横並びになりクロードを出迎えた。
「おかえりなさいませ〜クロード様!あれえ?なんですかあ〜この人間?あ、もしかしてお土産ですか〜?」
天井の古風なシャンデリアから10メートルはある大蛇に舌をちろつかせながら見下ろされ、子供は身を縮こませて顔を合わせないように俯きながらクロード背後に隠れた。
「ただいまジェスカ。君たちへの土産はこっちだ。ちゃんと皆で分け合うように。独り占めはするなよ?」
「ひゃ〜〜〜ありがとうございますクロード様〜〜〜!皆様〜〜〜クロード様がお土産を下さいましたよ〜〜〜!」
クロードが笑いながら土産の入った木箱を渡すと、ジェスカと呼ばれた大蛇は今日にその箱を頭に乗せ、踊るように這いずって去っていった。するとそれと入れ違いで、今度は鷲鼻で引っ詰め髪の、眼鏡をかけた老婆がやってきた。
「クロード様!なんですかその子供は!」
「やぁただいまMs.ローリー。まさか長期休暇から帰っていたなんて。お孫さんの様子はどうだった?あと出迎えの挨拶の言葉がないのは寂しいなぁ」
サッと子供を隠すようにクロードはMs.ローリーの前に立ったが、彼女の勢いは止まらない。クロードは気圧されるようにそのまま数歩後ずさった。
「誤魔化さないでください!もう、また貴方はそうやって訳のわからないものを買ってきて!」
「ダメだこりゃ、お冠だ」と苦笑してからクロードはグイと子供を抱き寄せコートの下に入れ、くるりとMs.ローリーに背を向けた。すると途端にクロードの身体は黒い蝙蝠の群になってバサバサと飛び立ち、子供ごとその場からいなくなってしまった。その様子を見てMs.ローリーは
「このお話は後で必ずさせていただきますからね!クロード様!」
と、階段の踊り場に飛んでいく蝙蝠の群れに向かって叫んだのだった。
「はー1番面倒な奴に見つかってしまったなぁ。仕方ない、大人しく後で叱られることにしよう」
自室に逃げ込んだクロードは鍵を閉め、悪戯っ子のように笑いながらコートを脱いで、人間の子供を外に出した。子供は何が起こったのかわからないのか、眼を白黒させながら、左手でクロードの服の裾を握って固まっていた。
「大丈夫か?急にあんなことしてすまないな。まぁ叱られるのは俺だけで、君がMs.ローリーに叱られるなんてことはないとは思うんだが…」
そう言いながらクロードは子供の頭を軽く撫でると、子供はびくりと肩を跳ねさせ、彼から離れて俯いた。
「可愛いな。びくびく震えて子ウサギみたいだ」
その様子にクロードはクスクス笑って上着を脱ぎ、自身の服の首元を少し緩めて革張りの椅子に座った。
「俺はクロード・ヴェルドル。この家の主人だ。種族は吸血鬼…って、それは見たらわかるか。君の名前は?」
「……シロナ、です」
「シロナ。いい名前だな。年齢は?いや待て、俺が当てよう。…12だ。あっているか?俺は結構どの種族でも年齢当てるのには自信はあるんだが…」
「あの…」
「ん?」
クロードがシロナの顔を見ると、シロナはしばらく足元に視線を彷徨かせていた。しかし少しだけ視線を上げ、クロードの方を睨むように眉根に皺を寄せて見た。
「…どうか、慈悲深いクロード様に、一つお願いしたいことがあります。聞いていただけないでしょうか?」
「お願いか。何かな?」
クロードはニコニコ笑ってシロナの次の言葉を待った。シロナは一つ深呼吸してから、口を開いた。
「僕を食べる時は、なるべく、痛くしないでほしいのです。血も…先に、殺してから…飲んで、いただきたいのです…それだけを、どうか、お願いします…」
そう話すシロナの声はだんだん震え始め、なんとか言い切って頭を下げる頃にはその赤い目に涙を溢れさせ、声を押し殺すように啜り泣いていた。
「…あー…泣かせるつもりはなかったんだが…参ったな…」
ヒックヒックと嗚咽を漏らしているシロナを見て、クロードは困ったように頭をかいた。
「怖い思いをさせてすまない。君の誤解を解きたいから話そうか。まずそもそも、確かに俺は食事の時血を好んで飲むが、殺したりはしない。家畜は別だが、人間なんかを食事毎に殺すのは非効率的すぎるからな。あと最近人間の血は飲んでないし、仮に飲むにしてもちゃんと管理してるところのが味はいい…ってそれはまぁ今する話じゃないな」
クロードは苦笑しつつも、なるべく優しい声音でシロナに話し始めた。その様子にシロナは濡れた目でクロードのいる方を見上げた。
「それから、俺は別にシロナを食べるために落札した訳じゃない。あと魔術の材料とか飾るための剥製にするためでもない」
「…じゃあ、どうして…?」
「どうしてって言われると…んー…答えづらいな…明確な理由なく衝動的に…ついいつもの癖で落札したし…いやそれでも、あえて言うならだが…」
クロードは少し考え込んだ後、ゆっくりと椅子から立ち上がって、シロナの前に行き、屈んで目線を合わせた。それぞれの赤い眼が互いを見つめ合った。
「君は人間だが、俺と同じ赤い眼だったのが気になったと言うか…他にも色々似てるところもあって、親近感を覚えてな。まぁ…嬉しかったんだ。それで君を落札したんだ。」
そう言ってクロードは少し歯を見せて笑って見せた。シロナはその笑顔を困ったような顔でただ黙って見つめていた。
「あと他の奴らに取られるのもなんとなく癪だったというのもあるが…でも結局は無難に愛玩用…とかになるか、落札理由は。どちらにせよ真っ当な理由ではないが」
「あいがんよう…」
「ここにいるからには、生きてる間君に不自由はさせないさ。部屋は有り余ってるし、服についても服飾作りが趣味の使用人がいるからな。頼めばすぐに見繕ってくれるだろう。それに人間用の食事もMs.ローリーが帰ってきてるから困ることはない。」
「…僕、ここにいて…生きていて、いいんですか…?」
ニコニコで話すクロードに、シロナはおずおずとそう尋ねた。
「もちろん。言っただろう。俺は別にシロナを殺す気はないんだ…ああ、そうだ」
クロードは何かを思い出したようにそう言ってシロナから離れ、入ってきた扉とは別の扉に鍵を差し込んでガチャリと開け中に入った。どうやらたくさんのものが置いてあるらしく、しばらく何かを漁るような音の後、何かを持ってシロナの前に戻ってきた。
「ほら、これをかけてご覧。」
「わっ…!」
そう言いながらクロードはシロナの顔に何かをつけた。いきなり顔を触られて、シロナは思わずぎゅっと目を瞑り小さく悲鳴を上げる。またクスクスとクロードの笑う声が聞こえた。
「瞑ったら意味がないな。開けないと。」
クロードの言葉にシロナはゆっくりと目を開ける。すると、目の前のものや景色が今まで見たことがないくらいにくっきりと映るのが見え、シロナはパチパチと何度も瞬きをした。
「君、目が悪いだろ。やたら顔顰めたり歩く時よたついていたからな。これは魔術技巧が使われた眼鏡でな、目の具合にレンズのピントやなんかが勝手に合うようになっているんだ。…少々古臭いデザインだが、今はとりあえずそれでいいだろう。」
目を細めてどこか嬉しそうに笑うクロードを、シロナは目を丸くして見つめていた。
「それと…服の袖で隠しているが、腕もないだろ。右の方」
「…、…はい…ごめんなさい…」
シロナはキュッと口をつぐみ、項垂れた。
「あー、謝らなくていい。今のは俺の言い方が悪かったな。すまん。別に責めてはないんだ。ただの確認だ。」
謝りながらクロードはさらに、肘まである人形の腕を取り出して見せた。ツヤツヤと白い陶器のような材質のそれは、大人の男の腕を模した造形をしており、指等の関節部には球体間接が施されていた。
「これは昔あのオークションで競り落としたものでな。『御命移しの人形』っていう人形の腕だけ今取ってきたんだ。これをこうして…」
説明しながらクロードはシロナの服の右腕の袖を捲り、そこにベルトで人形の腕とシロナの腕を固定した。ほのかにそれが青く発光したかと思うと、スルスルと大きさが縮み、シロナの体にピッタリのサイズと同じ見た目になった。
「!」
「やっぱりな。落札した時魔力に反応して変化するって言ってたからいけるだろうと思ったんだ。動かせるか?」
聞かれてシロナは恐る恐る人形の腕の方を動かして見た。少しぎこちないものの、それでもちゃんと関節は思うように曲がり、指もしっかり動かせた。
「動く…!ちゃんと掴んだりもできる…!」
目を輝かせて右腕を握ったり話したり、自分の服をつまんで見たりしているシロナを見てクロードは満足そうに頷いた。
「よしよし。俺のコレクションもしっかり役に立つな…これで捨てなくていい理由をMs.ローリーに説明できるし一石二鳥、問題解決だ」
「クロード様、ありがとうございます…!」
それまでとは違い、パァッと花が咲いたように満面の笑顔を向けるシロナにクロードは一瞬驚いたように固まったが、すぐに優しく微笑んだ。
「お気に召して何よりだ。今日からそれは君の目で、腕だ。好きに使いなさい。」
クロードの言葉に、嬉しそうに赤い目を細めて、シロナは「はい」と頷いた。
「…さて。そろそろ俺は君を買った件についてMs.ローリーに説明をしなきゃいけないな」
クロードは窓の外を見た。紺色の空の端がうっすら明るくなってきている。それを確認してから彼は雨戸とカーテンを閉めた。
「もう明け方だ。君も夜から今まで起きて、疲れているだろう。ひとまずはここ…俺の部屋で寝たり、好きにくつろぐといい。君が目覚める頃には流石のMs.ローリーも俺を解放してくれるだろうから、それから君の部屋やなんかを準備させてもらうよ。」
そう言って笑いつつ、クロードはシロナを自分の寝巻きに着替えさせる。その際にクロードは、「ファウストオークション」の時からシロナがつけている赤い魔法石のついた首輪が目に入った。
「この首輪、はずしていいか?寝る時もつけてたら息苦しいもんな。」
「?…はい」
クロードは首輪を外してからシロナを自分のベッドに寝かせた。布団を優しく被せられた時、薔薇に似たどこか甘い香りがして、シロナはそれで緊張が解けたのか、すぐにウトウトと眠りに誘われてしまった。その様子にクロードは、微笑んでベッドから離れ、部屋の明かりを消した。
「おやすみシロナ。良い夢を」
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