また会おう。次はクジラの国のどこかで

外清内ダク

また会おう。次はクジラの国のどこかで



 許せないよ。間違っている。あんなに知能が高くって心優しい動物を、捕らえて殺して食うなんて。僕は確信してるんだ。クジラとニンゲンは分かりあえると。僕らは共存できるんだ。現に、見てくれ、このアイシアを。僕と彼女は固い絆で結ばれている。たとえ言葉は通じなくとも心と心で繋がっている。僕が呼びかければ大急ぎで寄ってくる。魚をあげると夢中になってかじりつき、僕に体を擦り寄せて「もっと、もっと」と強請ねだるんだ。かわいいでしょう? 許さない。アイシアの仲間たちを網で捕らえて虐殺する連中。あんな残酷なことが今このときも行われてるなんて、想像しただけで頭がおかしくなりそうだ。胸が苦しくて死にそうなんだよ。

 認めない。認めちゃいけない、こんなのは!

 殺戮者たちはいつも言う。「これは我が国の食文化なのだ」だからどうした。バカじゃないのか。そんなことは彼女たちを殺していい理由にならない。文化なんて元々変わっていくものだから、古くて間違った文化に固執する必要など無い。それが許されるなら、奴隷だって絶対王政だって許容されうることなるだろう? 伝統などを言い訳にして悪をのさばらせるのはバカげたことだ。

 こんなことを言うやつもいる。「この仕事で生活してる者もいるんだ」この仕事で生活わけじゃあるまい。貝でも魚でもオキアミでも、他に食べ物はごまんとある。なのになぜよりによって彼女らを殺さなきゃいけないんだ? 破綻してるんだよ、やつらの論理は。なのにそれに気づいてないんだ。

 理解させなきゃ。正さなきゃ。僕はついに行動に移した。やつらの狩猟網に穴を空け、死にかけていたアイシアの仲間を逃がしてやったんだ。輝くように美しい黒肌の子だった。そうだな、仮にジェットと呼ぼう。夜中、僕はアイシアと一緒にひっそりと罠へ忍び寄り、網を切り裂いてジェットを救出した。自由になったジェットは、アイシアと抱きあい、鼻を擦り合わすようにして鳴き交わしていた。なんて感動的なんだろう。僕まで涙ぐんでしまう。

 やがてジェットはどこか遠く、本来の住処を目指して去っていった。アイシアはといえば、首輪の鎖がピンと張って鈍く軋むほどに身を乗り出して、ジェットの背を見送った。アイシアの悲しげな遠吠えが僕の胸を打つ。そうだ。アイシアは理解してるんだ。自分の仲間たちが、今日も、明日も、こうして殺され続けていることを。

 それほどの知能を持った生き物なんだよ!

 翌日、僕は警察の取り調べを受けた。僕が昨夜網を切ったことが、どういうわけだか噂に登りはじめたらしい。確たる証拠も無いようで、今日のところは任意の事情聴取で済んだ。だが警察から解放された直後、僕は荒っぽい猟師たちに囲まれて、何度も何度も小突かれた。「やめろ!」叫ぶ僕。猟師どもが怒鳴る。「こっちがやめろと言ってもやめなかったろうが!」なに言ってんだ。何をバカな。

 僕はつくづく嫌になった。僕らは穢れた種だ。同種同士で互いに憎み合い殺し合う生き物なんて、僕らの他に存在しない。確かに僕らは世界で最も知能の高い生き物かもしれない。でもそれがなんだっていうんだ? いくら知能が高くたって、魂が歪んでちゃなんにもならない。アイシアたちのほうが、遥かに生命として遥かに高い次元にいるじゃないか。

「行こう」

 その夜、ようやく私刑リンチから解放された僕は、ケージの中のアイシアに語りかけた。

「こんな国は、もうたくさんだ。君の国へ行こう。君らの仲間に入れてくれ」



   *



 僕は街を逃げ出した。背にはアイシアを乗せ、はぐれないよう首輪の鎖を握り締め、月夜の海上を泣きながら泳ぎ抜けた。僕らは進化の道を間違ったんだ。遥か遠い昔、僕らの祖先はこの広大な海のどこかで慎ましやかに暮らしていたんだろう。それが文明を持ち、きらびやかに輝く巨大都市なんかを建造し、海の底を心休まる暇もないギラギラした光の洪水で覆ってしまった。くだらない。そんなのは、ホントのクジラの生き方じゃない! 知能なんか要らない。お互いに譲り合い、認め合う、優しい心があればいいんだ。価値観の合わないものを排斥することばかりに躍起になって、自分の考えを押し付けることしかできない、そんなやつはクジラ失格だ!

 それに比べてアイシアたちは、どれほど優れているだろう。争いも知らず、殺すことも奪うこともせず、暴力を嫌い、平和と穏やかさを大切にする。それがニンゲンという生物だ。遥か太古の、純粋無垢な生命本来の姿を今でもニンゲンは保ってるんだ。ニンゲンは仲間を殺したりしない。傷つけたりしない。怨んだりしない! まさに神の最高傑作。悪徳に溺れた僕らクジラとは全く異なる、真と善と美のいのち……

 僕は砂浜まで泳ぎ着き、体を揺すって上陸した。大昔のクジラは陸上では全く動けなかったらしく、今でも僕らは歩行が苦手だ。それに対してニンゲンは元々陸の生き物。アイシアは僕の背からピョンと飛び降り、鎖を握って引っ張り、僕を急かした。そうだね、急がなきゃ。朝になれば猟師たちが陸地網をチェックしにやってくる。見つかったら今度こそタダじゃ済まない。

 ニンゲンより遥かに大きな僕の体は、陸地ではひたすら煩わしいだけだ。僕は酷い疲労に苛まれながら、それでも陸地の奥へと進んだ。道はアイシアが知っている。彼女に先導されるまま砂地を抜け、草むらを横切り、林の木々を薙ぎ倒し、僕はひたすら進んでいく。やがて両側を切り立った崖に挟まれた細い谷間に差し掛かると、アイシアが、不意に叫んだ。

「たすけてッ!」

 熱い。

 僕が感じたのは、それだけだった。

 熱い……なにかひどく熱いものが、僕の背中にかかった。何が起きたか分からなかった。次第次第に背中の感覚が鮮明になっていく。違う――これは熱じゃない。この鋭さ、この鮮烈さは――痛み?

「ギャアッ!」

 僕はわめき、地に転がった。僕の背中にものが岩や地面に擦れ、その尖った刃が凄まじい痛みとともに僕の肉をえぐり取る。これは、槍。いや、もりだ。両脇の崖の上に待ち伏せしていた何者かが、僕めがけて、何十というもりを投げ下ろしたのだ!

 ニンゲン!

 僕は目に苦痛の涙を浮かべてニンゲンたちを見あげた。太陽を背負い、逆光の中で、人間はすさまじい憎悪の目をただ僕の方へ向けている。

「やめてよ。ちがう! 僕は違うんだ! 僕は君たちを愛してる。友達になりたいんだ。もうクジラでなんかいたくない! 僕はニンゲンになりたい。誤解しないで。僕は君らの……敵じゃ……」

「ならば、なぜ、とじこめ、つないだ?」

 僕にそう吐き捨てながら、アイシアが仲間からもりを受け取る。嘘。嘘でしょ。アイシア。分かるの? クジラの言葉が? なぜ? その刃をどうして僕の方へ向けるの?

「かえせ、わたしの、じゅうねんを!」

 アイシアのもりが僕に食い込む。僕は叫んだ。己の血で溺れかけながら、僕は這いずり、逃げる。逃げる。聞こえる。アイシアの、人間たちの、太陽よりも熱く、溶鉄よりも荒々しい、戦意と敵意の叫び声を。

「かえれ。つたえよ。クジラどもに。われらのいしと、せんせんふこく。

 またあおう。つぎは、クジラのくにの、どこかで!」



THE END.

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また会おう。次はクジラの国のどこかで 外清内ダク @darkcrowshin

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