第2話 パンツと妹属性

奈津子さんは、この村を実質的に収める、伊座家の一人娘なのだそうだ。村の高校に通っている17歳。教授とは親戚同士らしい。僕はこの約一か月のフィールドワーク中、伊座家にお世話になる。

「私、昔っからお兄さまが欲しかったんです。村には年齢の近い人はもうほとんどいなくって、学校だって私が最上級生なんですよ」

「なるほど、まあ、確かにそれは少し寂しいですね」

ざっくり窓から見ていると、人とは良くすれ違うし、それなりに村に住んでいる人は多そうだけれど。……そうでもないのだろう。

「で、今回当麻さんがいらっしゃって、うちにしばらく滞在なさるって聞いて! 聞けば、大学生なのでしょう? もうこれはぜひとも、奈津子のお兄さまになってもらおうと思っていたんです!」

革張りのシートに揺られながら、奈津子さんはきらきらと目を輝かせる。

なるほど、濃いな………………。

年頃の女の子の気持ちは、どれだけ考えても難解だ。まあ、兄弟にあこがれる気持ちは分からんでもないが、かといって突然の兄呼びは順序という順序をフルアクセルでぶっ飛ばしている。可憐な見た目や優美な振る舞いとは対照的に、かなりパワフルな子であることは、車内での数分間で十分わかった。ころころ変わる表情がかわいらしい子でもある。

「でも、兄というのならそれこそ、先生──富岡教授だって、兄になりえるんじゃないですか? 先生はまだお若いでしょう」

「富岡……ああ、義春さんのこと? でも、あの人私がよちよち歩きをしていたころには、もう大学を出ていたのよ。それに、善治さんは私のこと、あんまりよく知らないと思うわ。頻繁に顔を合わせていたわけではないし」

「じゃ、村にはあまり帰っては来ないんですか」

「きっと都会の方がお好きなのよ。あーあ、いいなあ。奈津子も都会に行ってみたいわ。ねえ、東京の大学ってどんなの? 当麻さんは何のお勉強を?」

ほう、と夢見るような顔で、奈津子さんは尋ねる。

「大したことは……僕は一応、民俗学を研究してます。後は、ネットロア……まあ、インターネットにある怪談話とか」

「へえ、なんだかむつかしそう。ああ、でも聞きましたよ。なんでも、レポート? とかを出し損ねて、ここにいらっしゃることになったんでしょう?」

「そんなところまで聞いてるんですか?」

「ふふ。言ってましたわ。『ちょうどいい奴を見つけた。僕の授業でナメた真似する不良学生だから、遠慮なくこき使ってやってくれ』って」

ぼろくそ言われている。が、否定はできない。特に前学期の間、学校にはほとんど顔を出していなかったし、課題だって一つとして出していないのだ。この単位が無くても卒業できるなら、喜んで僕は単位を諦めていた。

「あ、でも、善治さんはああいっていたけど、奈津子はそんなひどいことはしないわ! 困ったことがあったら何でも言ってね。奈津子はわがままを言うのは得意なの、融通利かせられると思うわ」

彼女はひどく無邪気に笑う。そのはつらつとした笑顔も、わがままな物言いも、なんだかまぶしく感ぜられた。ここまで踏み込んで、相手を嫌な気持ちにさせないのは純真な彼女の才能だろう。

「えーっと、心強いな。ありがとう」

「ええ! だから、当麻さん、お兄さまと呼んでもいい?」

一体なにが「だから」なのかは分からないが。

「まあ、お兄さまったら分からずやね! これは奈津子なりに距離を縮めようとしている……一種のコミュニケーションなのよ!」

「やめろ、勝手に心を読むな、というか早速お兄さま呼びするな。しれっと妹ポジに収まろうとするんじゃありません」

「だあってお兄さまってわかりやすいんだもの。心の内を垂れ流しているようなものだわ」

「なら僕が困ってるの、分かるだろ」

「『美少女JKからのお兄さま呼び、ぶっちゃけまんざらでもなんだよな~~あーでも法律的にな~~ここはいったん硬派な僕を演出しておこうかな~~」って顔をしているわ」

「………」

エスパーか?

「ね、いいじゃないの。せっかく一緒に暮らしていくんだから、仲良くしましょう。お兄さま」

甘えるような上目遣い。わざとらしい切なげな声を、振り切れる人間などいるのだろうか。なるほど、妹としての才覚は十分なようだ。

「……はあ。じゃあ、いいよ。それで」

「やった~! お兄さまっ! 奈津子のお兄さま! たーっくさんわがままきいてもらっちゃお~っと!」

「はいはい」

「じゃあお兄さま、まずは三回回ってワンと鳴いてみて」

「下僕じゃねえか」

奴隷契約を交わした覚えはない。

「お兄さまって、妹のわがままを聞いて、世話をする人という意味ではないの?」

「邪知暴虐すぎるだろ」

「それで、妹に一生仕え、世話をするんでしょ? それで、妹がいけにえに選ばれた時は、兄がいる場合のみ特別に女の格好をして、身代わりになることができるんでしょ?」

「因習村の倫理観?」

いけにえって何?

「ふふ。冗談よ、ごめんなさいお兄さま! ちょっと楽しくなってしまって。ほら、見えてきたわ。あれが伊座家よ」

からころ、無邪気に笑って奈津子ちゃんは窓の外を指さした。小高い山の上に、かなり立派な日本屋敷が見える。屋敷、というか。門の立派さと立地から、最早それは城のようですらあった。山の上から、どこまでも続く田畑と、小さな家々を見下ろす、この村一番の大屋敷だ。


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因習村の先生代理 未了 @saku_yumemachi

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