吸血鬼の世界

 蔀屋が黒野と別れて家に戻ろうとした時だった。その背中めがけて、誰かが襲撃を仕掛けた。それを、間一髪で回避した。振り向くと、その正体がすぐに分かった。細野晴だった。

「僕たちに協力しれくれないのね。わかったわ。じゃ、貴方には死んでもらうわ」

「うるさい。私が本当に嵯峨野さんもしーちゃんも、あなたたちに売るって本気で思ってたの?」

「うるさいのはどっちかしら。もういい。その壊れたスピーカーみたいな口はもう不要ですわね」

「黙れ!」

 二人の戦闘が始まった。蔀屋が最初にパンチを仕掛けるが、細野はそれを回避――からのカウンター。それも、回避する。結果として、互いのパンチは空を切り合う結果となった。

 互いに一旦後退し、息を整える。そして、またしても細野が蔀屋に切りかかる。吸血鬼の爪は、まるでナイフのように鋭い。指を揃えてぶん回すだけでも、それはドスや脇差よりも鋭い武器となる。それを後ろに飛んで、また回避する。そして、ある程度の距離を取る。すかさず追撃の切り裂き攻撃をかます。それはあまりにも早く、躱すことができなかった。蔀屋の腹が、うっすらと切られる。

「ねえ、蔀屋。平和ボケしたあなたが私に勝てるわけないんだから、大人しくして欲しいわ」

「その自信過剰なところ、昔から治らないよね。あんたのそういうところ、気にしたほうがいいって昔から言ってたよね!」

 今度は蔀屋が細野に襲いかかる。体を思いっきり捻り、拳に力を込めて渾身の一撃を細野目掛けて振り下ろした。細野はそれを躱すことはせず、両手を組んで受ける。吸血鬼の強烈な一撃は、受け止めた細野の体を少し後ろに吹き飛ばすほどだった。そんなパンチを受けたのにもかかわらず、彼女の表情は何一つ変わっていない。

「これがあなたと、私の差。あなたこそ、昔から弱いまま。そんなんだから、誰も守ることができないの」

「……イライラさせんな!」

 細野の言葉に乗せられた蔀屋。もう一度、全力のパンチを細野目掛けて振り下ろす。細野は同じように受ける。それも効かない。もう一発。効かない。さらにもう一発。けれども、びくともしない。何度も殴りかかるが、それが細野にダメージを与えることはなかった。何発も打ち込んでいるうちに、段々と蔀屋の息が切れていく。そして、蔀屋が一瞬、たった一瞬の隙を見せてしまうと、細野がそこに的確なカウンターパンチを繰り出す。それは蔀屋の顔面を的確に捉える。蔀屋はうろたえる。息を切らせ、痛いのも我慢して。相変わらず何一つ顔を変えない細野を睨みつける。

 実力差は悲しいほどに大きかった。細野は昔から、罪を犯した吸血鬼を粛清する仕事を専門にしていた。それに比べて自由に生きてきた蔀屋が、膂力で叶うはずがなかった。細野がゆっくりと蔀屋に近づき、その首にそっと手を伸ばす。蔀屋がその腕を両手で掴んで振り払おうとするが、それもできなかった。まるで石のように固く、恐ろしいほどに冷たく、美しく白いその腕が、蔀屋の首根っこを掴み、キリキリと締め上げる。そこを掴まれては声を上げることもできない。段々と蔀屋の体から力が抜け、意識が遠のいていく。そしてなんとか三分ほど耐えることが、蔀屋にできる最後の抵抗だった。

 意識が抜け、ぶらんと四肢が垂れ下がった蔀屋の体を、細野がそっと寝かせる。

 いくら声が大きくても、マリアンナと黒野白也を守るといっても、力がなければなにもできない。そんなことも理解できないのか。何十年も生きてきたのに。今は気を失ってただの肉となっているだけの蔀屋に、細野はそう思っていた。ポケットからスマホを取り出して、ある人に電話を始めた。

「もしもし。……うん、蔀屋は回収した。……え? こいつは殺さないわ。まだ生かしといたほうがいいと思うから。とりあえず、こいつは持って行く。それでいい?」

 通話が終わると、蔀屋を抱きかかえて、目的地へと走りだした。


 マンホールを開けて下水道を歩き、少し離れたところに細野の隠し部屋がある。ドアを開けて中で待機していた一人の少年に、蔀屋を預けた。少年が細野に話しかける。

「お疲れ様です、細野様。こいつは後で拘束しておきます」

「任せたわ。私は疲れた。もう寝ていいかしら」

「もちろんでございます。後はお任せください」

 細野は寝室に移動した。残された少年が、蔀屋を鎖で拘束する。まず足首に鎖を何重にも巻き付ける。続いて手首を後ろ手に、同じように巻きつける。吸血鬼の力であれば、これでも鎖を破って抜け出すことができるかもしれないが、それをさせないための監視役として、少年が部屋に留まっていた。

 一方、寝室にいた細野はスマホを取り出し、ある画像を見ていた。それは、近日に開催される予定の、マリアンナのライブだった。

「……」

 細野とマリアンナとの因縁はいくらでもある。まず、人間だった頃のマリアンナを半殺しにした。人間と吸血鬼が関わりを持つことなんて、私には理解できなかったし、許されるべきことではないと思っていた。でもあいつは吸血鬼になることで蘇ってきた。さすがに吸血鬼になったあいつに手をかけるわけにはいかなかった。その代わりに、マリアンナを庇った嵯峨野マリを殺してやった。そうしてケジメをつけないと、誰が責任を取るんだっていう話になるから。

 私は、私なりの理想を貫いているつもり。だから、何を言われようとこの正義を変えるつもりはない。そして、次はマリアンナ――いや、二代目嵯峨野マリにケジメをつけないといけない。今、こんな困った状況になったのは彼女の過去のせいだ。それを私は、許すわけにはいかない。

 そんなことをふと考えながら、ベッドに横になった。人間のことなんて、どうでもいい。ただ、細野にとってはマリアンナと黒野家との関わりこそが罪に見えていた。それを許すなんて、できなかった。それだけの話しだった。

「あの時に、ちゃんと仕留めていればよかったわ」

 頭の中に出てくる様々な感情は、寝てしまえば忘れることができる。そのために、細野はその晩、もう寝ることにした。

 吸血鬼が人間から逃れるために作られた部屋。湿度も高く、いい匂いはしないが、日光は避けられるし、いざとなったら仕事もここで出来る。他にもこういった部屋は様々な場所に作られており、日本、いや世界中にもひっそりと存在はしている。ここが細野にとって、家であり縄張りだった。

 蔀屋が目覚めることは、しばらくはないだろう。人間なら死んでいるような怪我でも、吸血鬼ならば耐えられることができる。その分だけ、ひどく傷つけることもできる。もちろん、それだけ深刻な怪我から回復する能力は持ち合わせているのだが、それでも怪我が大きければ、それなりに時間がかかる。少年は、未だに気を失っている蔀屋を軽く蹴ってみたが、目覚める様子はなかった。それから、気だるそうにあくびを一つ。少女は吸血鬼になったばかりだった。少なくとも、人間だった頃よりははるかに楽しい。そう感じていた。細野晴という存在を崇拝していて、細野晴の考えていることに大変深く共感している。まだ右と左の区別が少しだけついたような状態だが、悪は許さない。陰ながら、そんな意志に燃えていた。ただ、まだ昼夜逆転生活に慣れているわけではなかった。この生活が五年ほど続いているが、まだまだ慣れないし、夜は眠い。それが数少ない悩みの一つだった。改めて蔀屋を眺める。見た目は自分とそれほど変わらないのに、年齢は大きく違う。そういった細かいところもまた、少女の気を引いていた。

 

 翌日から、蔀屋が学校に来なくなった。誰も連絡が取れないらしく、先生や生徒の間ですら、その話題で持ちきりになっていた。その日の夜に、白也がそのことをマリアンナに報告した。すると、「あっそう」といった返事が返ってきた。

「あいつなら大丈夫だろ。気にするな。人間の君がそれを知ったところで、どうするつもりなんだ」

「え、いや、その……なんでだろうって、気になってしまって」

「お前が首を突っ込んだところで何も解決できねーだろ。それに、私だってあいつが今何をしているのか、よく知らないんだ。何の話を聞いたか知らないけど、他の吸血鬼に関わることなんてしない。そんな義理もないからな」

「はい……」

「まあ、仲良くしてもらってたらしいじゃねえか。友達として気になるのはわからないでもねーけど、ほっとけ。今はそれしかねえ」

「でも、蔀屋さんのことは黒野さんだって友達だったんでしょ。そんなに冷たいこと言わないでも……」

「あいつはそういうやつなんだよ。ふらっとどっかに行っては、いつの間にか戻ってくる。あんな自由奔放で放浪癖のあるやつなんか、ほっとけ」

「もう……知らないです」

 黒野はそれ以上食らいつくことができなかった。マリアンナの言う通りで、蔀屋美弥という女は、どこまでも自由で勝手気ままに生きてきた。人間から隠れるため、一緒に暮らしていたこともあったが、その癖は治ることがなく、とても困ったことだってあった。ただ、それを知らない黒野にとって、マリアンナの態度は、ただただ不安を煽るものだった。しかし良くない予感は当たるものである。たった一日学校を休んだだけなのに、つい気になってしまう。もしかしたら、明日も来ないんじゃないのか。そんな妙な不安が黒野を襲った。そして、その不安は的中した。翌日も、一週間経っても、さらに一週間経っても、蔀屋が学校に来ることはなかった。音信不通になってしまったらしく、どうすればいいのかわからなくなってしまっていた。マリアンナはライブの本番当日で、部屋にいることがなかった。会場はマリアンナと初めて会ったときとは別のライブハウスで、すでにリハーサルを終えて、楽器のセッティングもある程度終えていた。いの一番に来た黒野が、マリアンナにあいさつをしに来ていた。久々のステージを楽しむつもりであったが、蔀屋のことが引っかかっていて、正直、楽しめるか不安だった。

「マリアンナさん、今日は頑張ってください」

「ああ、ありがとう。蔀屋のことは調べておくから、今日はそんなことを忘れて、私たちのステージを楽しんでくれ」

「……はい!」

 ライブが始まった。ギター、ドラム、そしてボーカル。いわゆるスリーピースバンドの形を取っているマリアンナのバンド名は、“Cursed Vampire”。その由来はもちろん、マリアンナの生い立ちに由来するものだったが、果たしてそれを知っている人は、『ハコ』の中に何人いるのだろうか。それを知っているのは、恐らく黒野白也、ただ一人なのであろう。学校でのことや、蔀屋のこと、そして、少し怖い普段のマリアンナ。それらをすべて忘れ、あこがれていたあのマリアンナさんが今、目の前に降臨している。普段のマリアンナは薄いメイクでも精悍な顔つきで美人といった感じだったが、今日は特別だった。より際立つメイクで洗練された美貌。冷たいながらも、大きく人々を包み込む歌声。そして、何よりもライブを完全に支配する圧倒的なパフォーマンス。あのマリアンナさんが目の前にいて、やっぱり、この人のファンになってよかった。黒野は、心の底からそう思える数時間を、前回よりも楽しむことができた。あっという間に終焉を迎えてしまう。その際に、マリアンナが黒野に話しかけた。

「今日は残れ。一緒に帰るから」

「わかりました!」

「うん。じゃ、私は挨拶があるから。少し待っててくれ」

「はい!」

 一時間ほどマリアンナを待って、二人は一緒に帰った。道中で、こんな話があった。

「実はさ、今度ちょっと大きいハコでライブができるかもしれなくて。しばらく先なんだけど、来てくれるよな?」

「もちろんです。私のマリアンナ愛を舐めないでください」

「はは、そうだな。……最近冷たくしてごめんな。つい、イライラするんだ。やっと自分のやりたいことに集中できるチャンスをが回ってきた。これを逃したくないんだ」

「そうなんですね。楽しみにしています」

「ありがとうな」

「こちらこそ、ありがとうございます」

 二人は久々に仲良く話をすることができた。これがあるから、黒野はまだ元気でいることができた。


 一方で、蔀屋は細野に監禁されたままだった。当の細野は不在だったが、新顔の吸血鬼だいう見たこともない少女に、同じ部屋で監視されていた。拘束に使われていた鎖は引きちぎり、少女に抵抗してみたが、叶うことはなかった。少女に組み伏せられ、まともな呼吸すらできないほどだった。

「大人しくしてくれれば、それでいいんですよ。あなたは細野様を裏切った。それだけで生きる価値なんてないんですから」

「……うる、せえ…………さっさとだし、な、さい……」

「大人しくしてくれるなら」

「……わかった」

 少女は大人しく蔀屋を解放した。

「さあ、大人しくしてくれればいいですけど、どうせあなたも私も、ここからは出られませんし」

「どういうことなんだ?

「あのドア、罠が仕掛けられているんですよ。強引に開けようとすると爆発するようになっているらしくて。私にも解除の方法を知らされていません」

「……そんなんで大丈夫なのか? お前だって出られないんだよ」

「私はそれでいいんです。細野様からご褒美がもらえるので」

「お前、怖いよ」

 ここで少女が、ふいに笑う。

「もしかしたら、セックスしないと出られない部屋、になってるかもしれませんよ? どうですか? 私はイケますけど」

「遠慮する。気持ち悪い」

「そうですか。せっかくのいい女なのに。わざわざ細野様に殺されていくのがもったいないです」

「……」

 少女の異様な発言に蔀屋は返事できなかった。マリアンナといい、細野といい、目の前の少女といい……どうにもこうにもわ、吸血鬼になるような人物は考えることがわからない。

「少しの間だけですけど、名前くらいは教えてあげますね。私は瀬田心愛っていいます。よろしくお願いします」

「あっそう。興味ねーよ」

「ああもう。おもちゃになってくださいよ」

「死ね」

 今度は瀬田の口が大人しくなる。会話のキャッチボールがどうにも成り立たないように感じられてしまった。とはいえ、瀬田にとって初めて見る『細野以外の吸血鬼』だった。なので、どうしても蔀屋に聞きたいことが、考えなくても自然と出てきてしまうのだった。

「それならいいです。でも私、吸血鬼になってから人間とも吸血鬼とも関わることがあんまりなくて。どうせなら、吸血鬼の先輩として話を聞かせてもらえませんか? なんでもいいので」

「よく喋るやつだな。……いいよ、わかった。細野からそういう話をしたことはないのか?」

「あんまりないです。基本的には、週に一回くらいは血を飲まないと飢えるっていうことと、一時間も陽に当たれば焼け死ぬっていうことくらいですね」

「そうか。じゃあ、しょうがねえ。話してやる。……私が吸血鬼になったのは、復讐のため。昔さ、家族を殺されて。金持ちでもなんでもなかったのに何を勘違いされたのか、強盗に入られて。これっぽっちの金を奪って逃げられたんだ。私だけ助かって。犯人は捕まらなくて、私みたいな弱っちい存在でも、復讐がしたかった。だから、犯人を地の果てまで追いかけてやる。私が殺してやるって思ったのよね。それで実際に犯人を殺してやった。でも、殺してからやっと気づいた。死んだ人は戻ってこないって。だから、今までやってきたことをその時に後悔した。吸血鬼になったことも、復讐に駆られたことも。何やってたんだろって、その時に気が付いた。だから、そっからは何にも縛られず、何も考えず自由に生きることにした。……お前もいつか後悔するよ。死にゆく先輩の遺言として残しといてやる」

「……そうですか。ありがとうございます。私はただ、生きるのが嫌だったから、なんです。勉強も運動も苦手で、学校でもうまくいかなくて。何をしてもダメで。気が付いたら生きてきたことに後悔していたんです。いつの間にか追い込まれていて、何もかも捨てたんです。細野様に出会ってから私の人生は変わりました。吸血鬼になってからたった五年くらいですけど、毎日が楽しいですよ」

「それが、人を攫って監禁することでもか?」

「ええ、もちろん。細野様に気に入ってもらえることが、今の私の幸せなんです。だから、そのためならなんだってします」

「そういうことをやるといつか後悔するって言っているのに」

「いいんです」

 そんな話を聞いていると、蔀屋の脳裏に、黒野白也の存在が思い浮かぶ。彼女も学校でいじめられ、友達を作るのも苦手で、勉強はできるが運動は苦手。それでも、頑張って生きようとしている。そんな学校での黒野を覗いているからこそ、瀬田という少女の話を聞くつもりになれなくなった。一応、忠告はしておいた。もうこれ以上話をすることはなかった。これ以上綺麗事をわざわざ話すこともなかった。

 ふいに厳重に閉められたドアが嫌に重い音を立てて開かれた。細野が帰ってきたのだ。帰るなり、早速蔀屋を睨みつける。細野からすれば、蔀屋の今回の行動は、ただの裏切りでしかなかった。

「細野様、お帰りなさい。この蔀屋は引き続き私が監視しておきますので、ぜひごゆっくりお休みください」

「わかった。お前のことは信頼しているわ。休憩はいらない?」

「ありがとうございます。休憩はいらないです。このまま、蔀屋を監視します」

 話し相手が瀬田から蔀屋に変わる。

「ねえ、蔀屋。私、言ったわよね。あなたが黒野白也を誘拐してくれば、これまで私を裏切ってきたことを水に流してあげるって。あなたみたいな無能には嵯峨野を殺すことなんてできないんだから、せめて手札を増やすくらいできるよねって。それなのに、また私たちを裏切って……何がしたいの?」

「細野、お前には関係のない話でしょ。私は自由に生きるって決めた。それをずっと言い続けているのに、今更あなたの言うことなんて従う訳ないじゃん」

「それが気に入らないのよ。ようやく吸血鬼の世界わたしたちの生活が実現するところだったのに、それを纏めるのに蔀屋や嵯峨野が邪魔だった。だから、私が消しているのに。もうちょっとで、人間と隔絶された生活を手に入れられるのに、それを邪魔してくるのがあなたたちなの。いい加減に、さっさと死んでほしいわ」

「こっちは何もやってないでしょ。嵯峨野さんだって嵯峨野さんなりに生きているし、私だって好き勝手に生きる。邪魔だって言って、逆に邪魔してくるのはそっちでしょ」

「……うるさいわね」

 細野が蔀屋の手首を掴むと、そのまま力を込める。人間どころか、吸血鬼の中でさえ化け物といわれるそのパワーは、蔀屋の細い腕を簡単にへし折ってしまう。どうせすぐ回復するのであろうが、何回でも痛い思いをさせて、しつけるしかない。そうやって心が折れるまで、殺さずにおもちゃとして楽しんでストレスを発散しようとしていた。

「いてっ……いきなりなにするの。こんなことをするなら、さっさと殺せばいいのに」

「それは嫌よ。そんな簡単に死んでもらったら、これまでの恨みが晴らせないじゃない。だから、ゆっくりと死んでもらう」

「はあ、そうなのね。……まあ、お好きにどうぞ」

 細野が再び瀬田と話をする。

「それじゃ、私は嵯峨野と話をしてくるわ。平和な話になったらいいけど」

「いってらっしゃいませ」

 そしてドアが閉められる。

 残された瀬田が、また蔀屋に話しかけた。

「細野様のいう『恨み』って何かあったんですか?」

「……いや、何もない。ただ、吸血鬼わたしたちの中じゃ、人間を恨んでるやつも多い。細野はその筆頭みたいなものだから。私みたいに、吸血鬼になりたくてなったのとは話が違うんだ。瀬田も覚えておきな。あいつはそういうやつだって。瀬田もあいつとは距離を考えとけよ」

「まあ、よくわからないですけど。私は細野様を尊敬しているので。それに、人間がどーとか吸血鬼がどーとか、私にはどうでもいい話です。細野様のためならなんでもする。それだけです」

「お前も変わったヤツなんだな。……吸血鬼なんてそんなもんか。人間になれなかったやつが吸血鬼になる。そんなもんか」

「え?」

「いや、一人言。気にするな」

「そうですか」

 瀬田が蔀屋の手首を手当しはじめた。赤黒くはれ上がった手を軽くひっかいて血を出す。引っ張って骨をつなぎ、転がっていた拷問用の鉄パイプをあてる。ベッドのシーツを引きちぎって鉄パイプと腕を固定すると、処置は完了。吸血鬼なら一日あれば治療が終わる。

「……優しいんだな」

「いえ、そんなことはないです。言ったじゃないですか。細野様のためなら、なんでもするって。細野様があなたをまだ生かしておくという判断をしたなら、私も従うだけです」

「ふーん。変わってるな」

「だから、吸血鬼になったんですよ。さっきそう言っていたじゃないですか」

「なんだ、聞いていたのか」

「……なんのことですか?」

「……いや、なんもねえよ」

「そうですか。なら、私は寝ますよ。言っておきますけど、この部屋の扉を開ける方法は本当に私も知りませんし、私に手をかけてもいいことはないですよ。さっき夜のお誘いも断られちゃいましたし」

「気持ち悪いな」

「そうですよ。……それじゃ」

「はいよ、おやすみ」

 二人の奇妙な夜はこうして更けていった。

 

 










 

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