第4話
「では空船とは何だ?雲児とは? 奴は、どうしてお前と共にいる? おまえ達は離れると、どうしてそうも弱ってしまうんだ? なぜ離れてはいけない。なぜ運命を共にしなくてはいけない。
なぜ面がある。“翁”“女”“男”“死者”……その中に、なぜわしという“神”が混じっている。昼と夜で姿が違うのはなぜだ。それも、併せたように交互にあやかしと人とを行き来する。互いを補うように。互いが監視者であるかのように。
なぜ死なぬ。
なぜ老いぬ。
人は死んでいくものなのに、なぜ雲児と空船は生きる。
―――――――いったいいつまで、ぼくらは生きるのだ! 」
唾を飛ばして竜神は吠えた。
「……それは、雲児が隠していた
「……そう。雲児はずっと思っていた。おまえは今のままが気に入っているようだがね。幼いのと、若いのは、まったく違うのさ。幼いままの雲児、若いままのおまえ……雲児はそれをずぅっと考えていた」
「あいつ、おれに嫉妬していたのか。ずっと」
「妬いていた。妬んでいたとも! 若いおまえは、どこにでも行けるだろうさ。けれど幼い雲児は、子供の行けるところまでしか許されない。不公平だと思っていたともさ」
「『ぼくは子供だから、もう我慢でけへんよ』……あれはそういう意味なのか」
「人ですら、裏と表と左右の顔がある。お前たちは昼と夜、それぞれの姿を持っている。そして必ずしも、一つだけの顔が現われているとは限らぬ。二つ三つの面が、まったく同時に浮かび上がることもある」
「あいつの隠し事は他にもあるっていうのか? 」
「あいつの面は、風に吹き飛ぶようなおまえとは違う。面を剥さぬことが必要だったのだ。すぐに入れ替わるおまえとは違って」
「……おれよりよく知っているんだな。釣眼」
「知っているとも。今やわしは、雲児のこころの方がよく分かる……」
「ならば知っていること、すべておれに教えてもらうぞ。覚悟しろよ釣眼……」
ぶわりとこの身を、見えない水が取り囲む。
生臭い潮のかおり。生物が死んでいく水のにおい。
おもかげの静かな水面とは比べ物にならない。
釣眼の、すべてを押し流す清流とは程遠い、へどろを掻き回して引き摺りこむ濁流―――――。
くさいのは、この面の総身そのものが水に浸って腐っているからだ。薄い頭髪がばらばらと頭蓋に張り付き、骨に皮を張ったような顔の切れ目から、血走った眼とぎらつく金の瞳が、貪欲にぎょろぎょろ蠢いていた。
河津。溺死した男の面。
「……なぁるほどゥ。空船ヤァ、ついにこうなったか。そうかそうか……おれはいつか、こうなるのではと危惧しておったともさ。アラマ、ヤァヤァ釣眼のダンナァ。ご機嫌麗しゅうこってエ」
河津のひょうけた口の端に、隠しきれない淀んだこころが歪みとなって現れている。
雲児の顔で、いっさいの表情というものを消して、釣眼は口をつぐんでいる。眼には光が差さず、顔は闇に浮かび上がるほどに白い。
能面の時よりも能面らしい面で、釣眼は。
「……茶番じゃのう」
言って、腕を振り上げた。
泡立つどぶ水が、冷たい清流に流される。渦巻く水は滝壺となり、おれを閉じ込めて蜷局を巻く。
――――息が取れない。
『オオォ、冷たい冷たい。昔を思い出す……イヤァなことだァ。さしものアコギも、竜神には逆らえぬのよナァアァァ……ヒハハハハハハアァァァァァ………』
河津の狂った笑い声が吸い込まれていくように消えていく。
目蓋がひっくり返りそうになりながら、おれは腕をめちゃくちゃに水を掻いた。
その足掻きすらも締め上げて、清流はおれから体力を剥ぎ取っていく。
――――嫌な思い出だ。風呂で溺れた記憶。動けなくなるのには、そうかからなかったのだろうけれど、あの時とおんなじように、五分にも、十分にも、一時間にもその時は長く感じた。だからおれは泳げないのだ。
暗闇の渦の中に落ちていく。
星のような白い瞬きが渦の奥にちりばめられている。
竜神の胎の内は、かくも美しく底なしだった。
……この身も、小狡い釣眼に喰われるのか。
雲児を取り戻すことも出来ず。
もう二度と逢うことも叶わず。
……謝ることも叶わず。
『アコギよのゥ。運命というやつは、水の流れの様で地獄の火のようにその身を炙るのだから……』
消えたはずの河津の声がポコリと泡のように浮かんで、やがて底のほうで弾けた。
ふわりと浮きあがる。
おまえがまだ、あの木と共にいるのなら、なあクウ……おれは、おまえンところにいきたいよ。
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