第3話

 おれは布団で目が覚めた。

 慣れた感触と匂いがする。うちの布団だ、とすぐにわかった。


 顔に手を向ける。ぺたり、と何の面白味もない自分の顔にあたった。

 外は暗い。今は夜か。



「釣眼」


「……なんだい。空船」


 声は枕元から聞こえた。

 おれはぐるりと視線を上に向け、白い揃えられた膝を見て、はっと身を起こして部屋の隅に飛び込む。



「……おまえ、釣眼か」


「そうとも」


 にんまりと、白い顔が笑う。


 特徴的な三白眼だけは、にやりともせずにこちらを見据えていた。

 服は、紺地に燕と沈丁花の着物。昔に誂えてもらってから、和服は締め付けるのがいやだと雲児が袖を通さなかった着物。



「その体、雲児のものか」


「おうとも」



 肩に長く垂らした髪を払い、さっと釣眼は立ち上がった。

 そうするとアイツの容貌は、まるで古代の貴族の子のように見える。


 こう見るとあいつは、ずいぶん神経質そうな顔をしているものだ。


 この顔で高慢ちきに丁寧語なんぞで喋られたら、どんなに癪に障る子供になるだろう。


 この顔で尊大に振る舞われたら、どんなに凄みが出るだろう。




「ア奴が残していったもの。いらんと置いていったもの。わしが拾って使うて、何が悪い? 」


 雲児のかおで、釣眼はそう言った。


「所有権は、おまえよりもおれにあるだろう。おまえの主はおれで、あいつはおれの片割れだ。今すぐ出ていけ。おれは許さないぞ」


「そんな白い顔をして、おまえに何ができる」



 おれを見下ろし、釣眼は鼻で笑ってみせる。


 そういう意地の悪そうな貌は、まんま雲児とおんなじものだ。


 ざざぁっと、自分の血の気が引く音を聞いた気がした。



「クウに成り代わるつもりか? 出来ないぞ、そんなこと。あいつはあれで個性的だからな」


「そうかい? 真似もしやすいってもんさ」


「乙子のおやじがいる。おれたちをずっと見てきたおやじだ。絶対に気が付くぞ」


「さあ、どうかしらネェ」


「どういう意味だ」


「おまえと雲児がオンナジなら、わしとおまえもオンナジものだ。なら、わしと雲児がオンナジでないと何故いえる? ……まあ、真似するくらいは造作もなかろう。ふふふ」


「何を言っている……? 」


「何を、とは。当然のことを言っているだけのこと。その当然の事すら、空船、おまえは知りもしないのだ。雲児はもうとっくの先に気付いていたことだというのに」


「面は、分割されたおれだとでもいうのか? おれが多重人格者だとでも? 」


「人間の病の虫はおまえにゃ憑かぬだろう? 面はおまえの要素の一つにすぎぬ。わしを除いてはね。窮地にわしを頼ったのは間違いだったのう……河津ならば、まだおまえの手で封じることもできたろうに……こうしてわしは漁夫の利を得たというわけだ」




 布団を跨ぎ、釣眼はおれに二歩三歩と近寄った。


「今まで一度も考えなかったのか? 面がおまえにとって何か。もとは何だったのか。そして、おまえは誰なのか」


「おれが誰かって? おれは空船だ」


「どこで死んだ。台風で川で流された? それはいったいどこの川からだ? いつの台風だ? それは本当に三十年前あの日の台風だったのか?

 水底に沈んでいたおまえ達が、台風で川底が削られて浮かんできた……なんてことは?


 そもそもおまえは本当に人間だったのか? ただの人間が、このように蘇ることなどはあるまいよ」



 ぺたり、ぺたり、ぺたり……。



 釣眼はおれを追い詰める。おれは壁にすがり、腰に力が入らず、無様に膝をついた。


 ざらついた土壁を背にしたとたん、雲児の短い腕がおれの頭の上|に手を付く。金色の瞳が、おれを見据えた。

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