第5話

 あたくしは、裾をからげて廊下を走った。

 後ろから、赤毛と女学生がついてくる。



「どういうつもりだい、あんた」


「どうも何もありませんわ。あたくし、空船に会いに行くの」


「また空船にくっつくのかい」


「いいえ」


 違う。雲児のお使いは、まるきり違う。

 あたくしは一度、雲児のところへ戻らなければならない。


「それはずっと後に、そうなれば良いっていうだけ」


「もう一度空船にくっつける保証はないってことかい」


「そうね。時の運というやつだわ」




 ………ドウドウドウドウ。


 水の渦巻く音が聞こえる。

 赤毛の麗人が足をゆるめたのが分かった。


「アサコ、おまえは車にいなっ」


 後ろに叫んで、また駆け出す。


 後続がそうやっているうち、あたくしはすっかり静まり返った襖の前に立っていた。



 襖の下から、じっとりと水の気配がする。


 水たまりが湧いて出ていて、あたくしの足の先っぽを濡らした。


 あたくしが襖を開けた時、そこには空船と釣眼がいた。浸った畳の上に、空船が崩れ落ちるところだった。



「オンヤ、マア……誰かと思ったら。女面か」


「ええ、釣眼さま。お互い、珍しくも二本足が生えていますわね」


 ああ、なんて哀れな御姿……あなたはそんな無様を晒していいお人じゃあないのに。



「ネエ、釣眼さま……貴方様は、御自分のお名前をご存じ? 」


「なんだって? 」


「あたくし、貴方様をお迎えに上がりましたのよ。ネエ、釣眼さま。貴方様は、御自分のお名前をご存じなのかしら……」



 気が付けば、あたくしは首をそらして上を見上げていた。

 釣眼の顔は口が耳まで裂け、首が蛇のように伸びて、金色の目がぎらぎらと光って、あたくしを睨んでいる。



「なぜおまえが知っている」


「ネエ、釣眼さま。貴方様は、どうして自分が何にも知らないのかをご存じなのかしら」


「おまえは知っているというのかい」


「あたくしは知りませんとも。知っているのは雲児ですわ」


「……おまえと共に来いということか」


「ええ、本物の雲児が待っております」



 釣眼は、なんだか深く考えているようであった。

 背後で赤毛の人が空船を回収し、静かに襖を閉めていく。


 まったく、蛇というものは目の前のことに夢中になると、周りの事は何にも見えやしないのだ。




 釣眼はたっぷりと熟考し、やがて頷いた。


「よし分かった。連れていけ」

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