第3話

「しかし―――――」


「すまないね。おかみさん」



 照朱朗さんはすかさず遮った。

 女将の渋い顔を斜め見ながら、照朱朗さんはなんでもないように言う。



「こいつがここでおっ死ぬってことは無いからさ。救急車を呼ぶ代わりに、ちょっと世間話に付き合っとくれよ」


「死―――――」女将ははっと言葉を飲み込んで、すぐに気を取り直した。


「お答えできることでしたら、誠意をもってお応えいたします」


 居住まいを正す女将の隣、照朱朗さんは何でもないように言った。


「女将はここは長いのかい? 」


「……こちらへ嫁いできて二十年ほどになりますか」

 女将は怪訝な顔をした。



「へえ。ご主人は」


「十年前に亡くなりました」


「この旅館は二年前に移築したんだったかね。前は麓のほうにあったはずだ」


「はい、そのとおりで……」


「そんで、大きな桜の木があっただろう。切るなと土地のオーナーから言われたのに、あんたは駐車場にするために邪魔だからと切ってしまった。そうだろう? 」


 女将の顔色が変わった。



「切っちゃあいけない木だったのに、切ったからこうなった。

おまいさん、それだけじゃないだろう? 木の根の下から何が出てきた? それも見ないふりして、コンクリートで蓋をした。

ねえ、後悔してんじゃあないかい? 先達の言うことを聞いていりゃあ、こうはならなんだのに」


「照朱朗さん、ここ、なんか謂れがあるんですか? 」


「ネットじゃ有名さ。ここにはオバケが出るってねェ。集団パニックで騒ぎにもなって、なんかガスでも噴き出してンじゃあないかって新聞にも載ったのさ。よくも二年もったほうさ。骨があっただろう? あれはどうした? 捨てちまったかね」


「あ、あなたは……」


「あんたに土地を売った、ここら一帯の元オーナーさ」




 照朱朗さんは畳に手をついて、女将に向かってかがみこむように上目遣いになった。

 はるかに背の高い照朱郎さんが小柄な女将にそうすると、逆に威圧感が増すのだろう。


 女将は追い詰められた鼠のような顔になって、とても小さな声で、「……埋めました」と言った。


「埋めただァ? どこに」


「そ、そのままに……」


「コンクリの下にィ? 罰当たりな!


あの木はねェ、墓石代わりだったんだよ。死んだ娘ンために、おっ母さんがせめてもと、自分の庭にある木から接ぎ木したうちの一本サ。

娘のみならず、母の念も背負った木だった。あの木だったから、ミズキ様は今日こんにち令和の世になっても静かなままだったんだ。


あたしは売る時の条件を、仲介人に言ったはずだよ。


倉橋みつえ。あんたはこう答えた。

『あの桜は切りません。とっても立派なヤマザクラだから、あの場所は中庭にして、お客様にも楽しんでいただきます」ってね!


あんたは設計図まで送ってきて、あたしにウンといわせた。忘れたとはいわせないよ」



 さて、人間の学問に、陰陽というものがあった。


 森羅万象すべてを、『陽』と『陰』に分けるという中国が起源の思想なのだけれど、それによると、季節や人間も、陰陽ふたつに分けられるのだという。

 ざっくりいうと、夜と冬と水と女は陰、昼と夏と火と男は陽にあたる。春は陰が陽に転じる季節で、秋は陽が陰に転じる季節だ。


 照朱郎さんは、ヒトに比べれば暑さに弱いが、雪女伝説通りに溶けることはない。

 現代の暑気アイテムを駆使して、真夏のコンクリートジャングルにだって愛車で単身、繰り出して見せる。

 けれど、それも今だからのこと。齢三百のうち、その半分ほどは、下界の暑気にたおれてばかりいる子供だったのだという。


 『陽』に生まれた照朱郎さんは、白姫に迎え入れられることが出来なかった。


 赤い髪の子は、通りすがりの人買いの荷車に乗せられた。

 その車の辿り着いた先で、この人を拾った人物こそ、“瑞子みずこさま”という貴人であり、この旅館のあった土地に眠っていたとされる“瑞己みずき人魚”の御尊母である。



 瑞子さまは齢千五百の大妖、人魚の中でも川辺に住む、人魚の長であった。




 人魚という種は白姫と同じように、男がいない。だから陸にいる男を誑かし、水に引き込んでは貰うものだけ貰って、餌にするのだそうだ。おれとしては、餌になった先人に同情するばかりである。

 そういう生き物なものだから、地元では縁結びと安産祈願の御神体として祀られているそうだが、まぁそれはあんまりこの話に関わることじゃあない。


 重要なのは、人魚と“男”と“子供”は切っても切れぬ呪縛のようなもので繋がるキーワードだということ。




 不老不死の妙薬たる人魚。そんな瑞子さまは、たくさんの娘を産んで、見送ってきた過去を持つ。

 娘たる瑞己人魚も、照朱朗さんが名を知った時には、すでに生を遂げ故人となっていた。


 瑞子さまとは、なんせ人魚の長。娘の数など途方もないから、その娘が死ぬたび、墓石代わりに桜の木を植えてきた。


 冬になれば生まれ変わる白姫と違い、人魚は、繁殖と言うプロセスを踏まなければ絶えてしまう。


 だというのに人魚は、自分の子供への情が深いが、その父親に対しての扱いは、人間の家畜に対するものよりひどい。

 子の父だろうと関係は無い。彼女らにとって男とは、子を宿す手段に必要な道具と同じで、事が終われば食料にも変わった。

 

 そんな大いなる矛盾の中に囚われている人魚たちは、多くの悲劇を招いてきた。


 瑞己人魚は、そんな悲劇の犠牲となったお方の一人であった。子を孕んだが、男の縁者に討たれたのだという。

 人魚としては、ありふれた悲劇であったが、瑞己人魚はそれだけでは終わらなかった。


 人魚の肉は不老の妙薬と伝聞されるだけあって、死した後も意思は強く、根深い情を孕む。瑞己さまの恨みは根を張り、死肉は餌を求めて、縁なき人々を襲うようになった。


 母である瑞子さまは大変に御心を痛め、この娘をより手厚く葬るったのだ。



 瑞子さまのおわす沼には、今では坂口安吾の小説のように、鬱蒼と桜が植わっている。それらすべて、瑞子さまが娘たちに捧げたものだという。


 その木は、年に二回、花をつけたのだそうだ。春の他のどんな木よりもずいぶん早く、梅より先に紅の花をつける。そして秋終わりにもう一度、今度は白い花を咲かせるのだ。


 水辺が――――そう、沼の淵にその桜の木はあったのだ――――――近いというのに、枝葉は広く、幹は太く、それは立派なものだった。


 しかし人は瑞己人魚の名を忘れ、この桜をこう呼んだ。


『河童桜』


 桜の沼には近づいちゃあいけない。河童桜に引きずりこまれてしまうからね。あの沼に浮かんだものを啜って、あの桜はあんなにもうつくしく二度咲くのだから………。



 そんな怪談は、戦後の動乱で財を成した照朱朗さんが土地を買い取るまで続いた。

 沼は整備し、小池ほどに縮小され、木のたもとには小さな社をあつらえて祀っていたという。


 しかし人の手が入らねば荒れるばかりということで、とある若い夫婦に、土地を貸したのだそうだ。


 夫婦は池を中庭に囲うかたちで宿をつくった。

 最初はささやかなものだったそうだが、やがて宿が繁盛するようになると、枯山水のようにして廊下から眺められるようにした。


 時間として五十年あまり。


 誰もが『河童桜』の名を忘れたころ、夫婦は高齢となり、宿を手放さずを得なかった。

 老朽化した建物はどうしたって建て替えが必要で、十五年ものあいだ買い手がつかず、候補者があらわれても、大きな桜が手に余るという。



 そんなとき、ようやくあらわれた熱心な買い手が、この女将だったというわけだ。

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