第2話
紅のまなじり、白いかんばせ、朱墨のごとき赤毛に、色っぽく濡れて目尻の吊り上がった黒目勝ちの切れ長の目。
朱色の赤毛を玉のかんざしで結い上げて、四季折々の風流風雅な着物を着こなし、どこからともなくちゃんちゃんと三味線のバックミュージックを幻聴する。
おれ達の養い親と古い朋で、おれとクウも、人間社会で生きる上でなんやかんやとお世話になっている御人であった。
きょうびの装いは、市女笠を携えたたっつけ袴の旅装束である。
真っ赤な髪にあわせ、金糸の風に乗って色づく紅葉に、黒いアケビが柄の余白を引き締めている意匠は、とても似合っていて、そこだけが舞台上だ。
「学校の方は、順調ですか」
「うん。まあまあってところかね。また今度おいでな」
照朱朗さんはここ十数年ほど、山奥のちょっと特殊な組織を仕切っている立場になっていた。
その組織というのが、魑魅魍魎どもだけが所属できるという学舎である。
その学舎に、うちの親爺を訪ねてくるたび「今度おいで」と言われ続けているが、まだ足を踏み入れたことはない。
学校では『雪ちゃん』の名で通っているらしい。『雪女』の略だ。じつに安直である。
この人について話そう。
語り部になるものによって、その見解は違うのだろうが、おおむね雪女とは、雪の化身であるとされる。
照朱郎さんの母は、雪深い野山の積雪の化身の一族であった。精霊と呼んでもいいかもしれない。
その雪女の一族を、『白姫』という。『白姫』とは、そのまんま、冬の女神の名前である。
彼女たちは、山に雪が積もると姿を現し、春が来ると消えて、次の冬に生まれ変わる。冬の間にしか、命を持っていないイキモノたちであった。
彼女らには個人の名前が無かったが、照朱郎さんの母は白姫の一族の中でも虚弱な娘であったので、雪の中に残った『
怪談『ゆきおんな』にあるとおり、山に分け入った人間と交わる雪女の話は珍しいものではない。照朱朗さんは、そうして人間との間に生まれた方なのである。
◐
「あんたのツラは久しぶりに見たねェ。陽の下で見るには、ちょいと青白すぎやしないかい? 」
「面つけてちゃあ陽に焼けませんよって」
「そりゃあそうだった。それで、あんたその成りはどうしたってンだ? 」
「やっぱり、それを聞きますか」
おれは短い間に、ほとほと疲弊していた。
おれにはちっとも分からないことばかりだ。
我ながら力の無い声だ。吐いた息にも生気がない。吐き気がする。
「情けない声を出すんじゃあないよ空船。酷い顔色だこと……」
「……あまり、思い出したくもありませんがね。面とクウが、どっかに行っちまったんです。夜、宿の駐車場にいたかと思えば、気が付きゃここにいまして……」
枝の代わりに腕をつけた木。
木肌に浮かぶ女の鱗のように割れた顔。生臭い吐息………。
「そう……木の女、ね」
照朱朗さんは難しい顔で、しばし黙り込んだ。
「やっぱり……」
「やっぱり? やっぱりと言いましたか。何か知ってらっしゃるんですか」
「それはそれとして。あんた、今にもおっちんじゃいそうな顔色してるじゃあないかい」
照朱朗さんは言って、ふうと独りよがりなため息を空に吐くと、じっと見定めるようにおれを見た。
「……そうだね。今のおまえには話しといたほうが体に良さそうだ。空船、あんたの宿ってのはどこだい」
おれは照朱朗さんと連れ立って、紅葉林の山道を降りた。
昨日見たのと同じ案内の看板があったので、それに沿って、ようようの道のりだった。
けして険しいものではなかったのだ。普段のおれなら、難なく進む道のりだったろう。
しかしおれの膝は、やたらと力が抜けて折れ、そのたびに旅芸人のような装いの照朱朗さんに支えてもらう羽目になっていた。
「す、すいません……また………」
「あんた、本当にどうしたんだい。そんなに柔なわけじゃあなかったろう? それじゃあまるで、よぼよぼの爺みたいじゃあないか」
「本当に。情けなくて自分に泣けてきますよ」
「………」
おれのちょっとした冗談に、この人は逆に厳しい強張った顔をして足を止めてしまった。
「雲児とあんたは、離れちゃあいけなかったんだね。こんなことになるなんて……」
「ど、どうしたんですか。あなたらしくもない」
「いいやぁ。改めて思っただけサ。あんたたちは一心同体なんだ、ってね」
けっして特別親しいわけではない。けれど、この人がこんな顔を見せことは無いに等しいに違いなかった。
「何をご存じなのですか」と聞きたかったし、聞くべきだ、おれにはその義務があるとも思ったのだが、残念ながら、おれには詰問するような気力すら無かった。
宿に戻ると、自動ドアの先に、洗濯物をいっぱい乗せたカートを押した怪訝な顔の仲居とまず目があった。
何せこっち水死体に戻ったかのような有様で、ぐでんと溶けて和装の麗人に縋り付いて引きずられているのである。
おれのあまりの醜態に、我に返ってきゃあっと小さく悲鳴をあげた仲居の声で、ぱたぱたと女将が顔を出す。
さすがの経営責任者、すかさず不遜な部下を叱咤して、照朱朗さんの腕から崩れ落ちたおれの身体の下に滑り込んだ。
二人の和装の女人(と、見紛う麗人が片方)にエッチラ運ばれて、おれは二階の自室に帰り着く。
仲居の敷いた布団の上に大の字になってみれば、とたんに体が重くなり、意識すら遠のきそうになる。
この場の誰でもない、体重六十キロを半分支えていたろう四十超えの女将よりも、おれの息は上がっていた。
「大丈夫かい」
子供にするように、さらりと照朱朗さんの冷たい手が額を撫ぜる。
これはあの、死体の冷たさなんかじゃあない。氷の、氷柱の化身たる冷たさだ。
同じ水気の含んだ感触だというのにこの違いは何か。おれは酷くほっとしてしまった。
「救急車をお呼びします」
女将が言った。おれは慌てて首を振る。
「それは困る」
なにせおれは、普通の人間とはちょっと違うのだ。口にするのも憚ることだが、なんせ
科学に準じた医学に、今のおれの身体が好転できるとは思えない。無駄に時間を食うだけだ。
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