第4話

我々は、長期休みになると旅行に行くことにしている。


 今回逗留先に選んだのは、旅行パンフレットの端っこに小さく載っていた温泉街だった。



 さすがは火山の多い国というだけあって、こんなところにも温泉が湧くのかとちょっと驚いた。それくらい、ここは都市部とさほど遠いわけでもない。





 わたしたちは五年ほど前から、いっぱしの人間の真似事として学校に通うようになった。


 わたしは見てくれのとおり中学校、相棒は夜間の半通信制高校に就学している。

 長期の休みとなると旅行に出かけるのは、わたし達の故郷―――――つまり我々の生前のそれ―――――を探すためという名分で、見知らぬ地で人の目を気にせず遊ぶための恒例行事となっていた。



 もちろん今ごろといったら、運動会に修学旅行、学園祭と盛りだくさんなのだけれど、今年はいろいろあって夏の休みはちっとも休めなかったので、自主的な長期休暇と言うやつで「ちょっと羽を伸ばそう」とのテーマで、我らが愛車に乗り込みやってきたのだ。



 乗り物酔いをいなすため、私はシートに座ると途端に眠くなってしまう。ハンドルを握ったのは、いつも通りカッちゃんであった。


 途中、警察に職務質問なんかされないか、はらはらする道中であるのは言うまでもない。免許証を見られたら、怪訝な顔をされるのは必須だからだ。書類の上では、カッちゃんは定年間近の五十男である。


 見た目はもちろん、生年月日も怪しまれるだろう。


 ちゃんとした教習所で受験して取った免許ではない。



 ちなみに、免許証では面を被っていないレアなカッちゃんが拝めるので

(そう、私も忘れがちだが、あの面はその気になれば着脱可能なのだ。なかなか『その気』にならないのが難)、

奴は免許証を私にも見せたがらない。だから警察に要求されても、そのまま無免許でしょっ引かれそうである。



 毎回ちゃんと車検と免許更新には赴くのにね。


 彼の基準は、私の認識の斜め下どころの次元にゃあ存在していない。


 しかし、私とこの能面男との付き合いは(付き合いだけは!)呆れるほどに長いので、こいつの車に乗るのも、はらはらするのも、私がなんだかんだ後ろのシートで野球帽を顔に乗っけて寝てしまうのも、いつものことだった。






「つきましたよ」




 揺り起しても起きない私のアイマスク代わりの野球帽を取り上げ、ついでにマスクのゴムをべちんと引っ張るという悪質な嫌がらせをして、カッちゃんはさっさと枕代わりの旅行バックを持ち去った。


 ひりひりする頬と、シバシバする目を擦りながら、しぶしぶ狭い車内から脱出する。





 宿は和洋折衷のたたずまいをした、こじんまりした旅館だった。



 灰色がかった群青の瓦屋根が、透き通った秋の日差しに照らされ、とても鮮やかである。



 心無い下界に比べ、紅葉と背景の連なる緑が目に優しい。心なし空気も澄んでいるような。







 深呼吸する私の横から、白塗りの面のカッちゃんが私に着替えの入ったバックを押し付け、自分は自前の薄っぺらな黒い革鞄を下げた。








 ……相棒は優しくない。



「重いィ……」


「いろいろ詰め込むからいけないのです」


 妖艶な女の声で、カッちゃんは言った。



「荷物は最小限でよろしい」




 今のカッちゃんの顔には、白塗りの女の顔がくっついていた。

 おたふくに似ているその面を、“おもかげ”と私は呼んでいる。





「ああもう」


「もう、ではない。おまえはまったく、しょうがないったら――――」


「おもかげは煩いんやもん」


「もん、じゃない。いい年をして、慎みがないったら……」


「カッちゃんやて、その鞄一つきりやないの。着替えもまともに入ってない男のどこにツツシミが? 」


「空船とおまえとでは、また別の話です」


「けっ、おんなじ話やっちゅうの。自分贔屓なんは良くないと思いますゥ」




 二歩、三歩後ろに下がり、私は「えいっ」と助走をつけて、遙か高みにあるその面にアタックした。





「まあ、雲児―――――」





 指先が能面をかすめ、ポーンと斜め下へ飛んでいく。





 小言を言いかけたカッちゃんは、ぷつりと口を閉ざして棒立ちになった。


 私は白い面を拾って、差し出された手に渡す。カッちゃんは、無言で懐におもかげをしまった。


 え、セーターのどこに、しまう懐があるかって? そんなもんは私は知らん。




「……そんなに儂に会いたかったのかいのぅ」




 今度は老人の声が嬉しげに弾む。

 大きな手が、私の頭をぽんと撫ぜた。ちょうど私の目線あたりに、翁のあごひげの先っぽが垂れる。




「そうかそうか、クウ坊は儂がええのか」





「うん、まあね」

 分別と常識があって、私に甘いからね。






「そうか、そうか」


「そうですそうです。ぼく、翁がいちばん好きやでぇ」


「そうかあ、そらあ爺も嬉しいのう」



 この翁はどうやら、私を孫のように思っているようなのだった。

 対して先ほどの女面はといえば分別も常識もあるのだが、とにもかくも神経質で姦しい。

 しかしカッちゃんは運転の時には、用心深くて慎重な女面をかけるようにしているようだ。私が車で寝てしまう要因は、女面のせいもあると思う。





「カッちゃん、カッちゃん、ぼくぅ、この鞄重いねんけどォ……」


「そらあ駄目だな。重いものは爺には持てん。すーっぐに腰をやってしまうからの」






 ほっほっほっ、なんて、カッちゃんは笑っている。ジジイなのは顔だけじゃないかよ、と思いつつも、舌戦じゃ年の功に勝てるわけもないので、私は大人しく重い鞄を肩にかけた。

















「いらっしゃいま―――――」


 旅館の自動ドアをくぐったとたん、ぷつっと声が途切れた。


 毎度毎度のことなので、私は背後のカッちゃんに荷物を押し付けてから、受付のお姉さんに声をかけた。


 カッちゃんは荷物を担いで、ロビーのソファにどっかり陣取る。





「予約した七島ですけンど」


 引きつった顔をしていたお姉さんは、まばたきの後にはにっこり私に笑いかけた。




 そうね。お面男より、マスクのガきんちょの方が心臓に優しいもの。



 誰かさんは八方美人だというけれど、お姉さんには、社交的でステキネッ! と思ってほしい。






 お姉さんは、カッちゃんを見ないようにしているのが丸わかりである。


 気付かないふりで、こっちもマスクをちょっと下げてにっこりする。




「ご予約の七島様ですね。二階の向かって右端、桃華の間になります」



 鍵を受け取り、先導する仲居の後ろをカッちゃんの袖を階段まで引いていく。



「………」



 喋らないカッちゃんを、仲居さんはちらりと胡散臭げに横目で見た。






 桃華の間は、障子で仕切られた六畳ほどの和室が、二部屋ある部屋だった。

 

 入口から見て最奥に、広い窓があった。そこからどうやら外に出られるようで、木の欄干が見える。和製バルコニーのようになっているようだ。


 その先には木。さらに向こうには山。さら略には、西日で白く光る海。



「おおっ! 山が真っ赤。向こうに海が見えんでェ。カッちゃん見てみぃ」



 言うと、すぅとカッちゃんは滑るような歩で、部屋一角に広がる紅葉を望みに行った。


 ぼくは体を反転し、仲居さんに向き直って話を聴く。



「御夕飯は六時ごろに、お部屋にご用意いたしますね。お風呂は夜の十時までですので、それまでにお済ませください」


「へい。わっかりました」


「それで……その、お面をつけたままのご入浴はいたしかねますので……」



 声を潜めた仲居はまた、ちらりとカッちゃんを見る。



「ああ、わかっとります。大丈夫です。夜に入りますんで」



 変な返答だったんだろう。仲居はことさら困った顔をして、


「いえ、湯船にお面を浸けられるのはご遠慮願いたいという意味で……」


 と、付け足した。



「ええ、だから、夜はお面外しますんで。もちろんマスクもはずしますよぉ」


「はぁ……そうなんですか」


 仲居はまだ話の分からない顔をしながらも、なんとか納得したようだった。私は部屋を見渡して言う。


「ええとこですねぇ。ぼくら、近所にこないな観光地があるぅやなんて知りませんでしたわ」


「今回は、御兄弟でご旅行ですか? 」




 ちょっと笑って、私はいう。


「まあ、そないなもんです」



「こう云ってはなんですけれど……大変ですねェ、お兄さん」



 同情するような顔に、私はマスクの下で一寸(ちょっと)口の端を下げ、声だけは明るいままにこれだけ言った。


 まったく、これだから人間の営みというものは疲れるのだ。








「……ま、ぼくらは一蓮托生なんで、たいがいはお互い様ですわぁ」












 今生の私の名を、天際の雲児あまきわのくもぢという。



 隣の相棒は、煙霞の空船えんかのからふね




 同じく齢三十ばかりを数えると、怪奇の末席に腰かけている存在である。


 齢が定かではないのは、私たちは、その素性や、それまでどこから来て何をしていたかが、私たち自身にも明瞭としていないためだ。


 今生の名も、我らを拾い上げた生臭僧侶が名付けた。

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