今宵、キャンドルの輝く場所で

Youlife

第1話 彼女との約束

 窓から眩しい朝日が差し込み、俺・黒須英隆はようやく目が覚めた。

 眼下に見える住宅街や工場群の向こうに、朝日にきらめく太平洋が広がっていた。空気が冷たいけれど、心地のいい朝だ。

 今日もいつものように、仏壇に水を供え、両手を合わせてから一日が始まった。

 仏壇に置かれた写真に映る母は、いつもにこやかに微笑んでいた。晩年は認知症に苦しみ俺も介護に追われたけれど、俺にとっては最期までかけがえのない心理的な支柱だった。母が亡くなった後、俺は寂しさを紛らわそうと酒に逃げ、暴言を吐くこともあった。その姿を見て妻は呆れ果て、家を出て行ってしまった。

 ようやく心が落ち着き、気が付いた時には俺はひとりぼっちになっていた。


 誰もいない居間で、俺は朝から缶ビールを飲みながらテレビを見ていた。

 母の介護のため会社を早期退職したが、母の死後、心にぽっかりと穴が開いて、再就職する気持ちはすっかり失せていた。


 今日はクリスマス・イブ。

 テレビのワイドショーでは朝からクリスマス一色。東京近郊の遊園地や都心の繁華街に出向いてカップルにインタビューしたり、有名ホテルのクリスマスディナーや腕利きのパティシェが作るケーキを芸能人が試食し「ウマイ!」という言葉を連発していた。


 見ているうちにイライラが募ってきた俺はリモコンを動かし、テレビからDVDに切り替えた。

 DVDに切り替わったテレビ画面からは、人気AV女優の井原いはらかれんが登場した。

 すらりとした長身で、今どき珍しい背中まで伸びた長い黒髪、まるで誘っているかのような細長く妖艶な瞳、真っ赤な口紅が似合いそうなぷっくらとした唇、痩身にも拘らず大きな胸、肉付きのいい太もも……彼女を見ているだけで脳内に大量のドーパミンが分泌された。

 ベッドの上で息を荒げながら乱れるかれんを見ているうちに、俺は興奮が収まらなくなり、スウェットのズボンを下げ、局部を握りしめた。


 コロンコロン、コロンコロン


 何かが転がるような音が部屋中に響き渡った。

 周囲を見渡すと、テーブルの上に置きっぱなしだったスマートフォンが振動しながら勝手に左右に動いていた。

 俺はスマートフォンを開き、新着情報を確認した。画面には、LINEにミナからの着信があったとの知らせが表示された。

 ミナはマッチングアプリで知り合った女性で、俺と同じバツイチだった。東京在住で、大学生位の息子と同居し、歳は俺よりも十歳以上離れていた。

 初めてメッセージを交わした時から、彼女とは不思議と話が合った。

 時々寂しくて泣き言を言うと、包み込むかのような優しい言葉を掛けてくれた。


『おっはよーヒデちゃん。今日はクリスマスイブだけど、何か予定でもあるの?』


ミナはいつものように、絵文字入りの明るいメッセージを送ってきた。


『あまり言いたくないけど、朝からビール飲んでテレビ見る位しか、やることがなくて……』


俺はため息をつきながらメッセージを送った。


『テレビ? それって、エッチなビデオじゃないよね?』


彼女は俺の今していることを知っているかのように、さらりと問いかけてきた。


『ち、違うよ! ワイドショーだよ。というか、何でそんなに根掘り葉掘り聞いてくるんだ?』


俺は必死に否定すると、ミナはすぐ返信をよこした。


『だってヒデちゃん、ひとりぼっちでしょ? 今日みたいな日は、きっと寂しい思いをしてるんじゃないかって心配でさ……』


 ミナのメッセージを見ているうちに、俺は心が動かされた。

 彼女は俺の置かれている境遇も、俺の気持ちも全てお見通しのようだ。


『ワイドショーはどこもかしこもクリスマス特集やっていてさ……正直、見ているうちに自分がみじめで仕方が無くて……』


 俺は勢いに任せて、寂しい思いを返信の中で全て吐き出してしまった。

 送信ボタンを押した後、しばらくミナからのメッセージは来なかった。その時俺は、自分のしたことの愚かさに気づいた。何と後ろ向きで情けない言葉なんだろう。

 数十分経った後、ようやくミナからの返信が届いた。


『しょうがないなあ……じゃあ、これから会おうか? 今日はイブで仕事も暇だし』


 え? 「会おうか?」、本当に? 

 俺はメッセージを読む自分の目を疑った。


『会いたい、ミナに会えるなら、俺、どこへでも行くよ』

『ふーん、どこへでも来てくれるんだ』


ミナの返信が、不気味な雰囲気を漂わせていた。


『じゃあ私、青いキャンドルが灯る場所で待ってるから、来てくれるかな?』


 青いキャンドル?

 俺は何度も頭をひねったが、どの場所なのか全く想像がつかなかった。


『それってどこなのかな? 何かヒントはもらえないのかな?』


 俺がミナに場所を確認すると、わずか数秒後に着信音が鳴った。


『そうね、ヒデちゃんの住む茨城県から電車に乗ってずーっと南に向かうとたどり着くかな。私の地元にある、昔から大好きな場所なの。今夜日付が変わる頃まで、そこで待ってるからね』


 え? え? 猶更分からないんだけど。

 俺は「もっとヒントが欲しい」とのメッセージを送ったが、ミナからは一切返事が来なかった。俺はため息をつきながら、とりあえず出かける準備を始めた。

 齢を重ね、心を閉ざし、一人ぼっちになってしまったこんな俺を快く受け入れてくれるミナと、いつの日かチャンスがあれば会ってみたいと思っていた。

 たとえどんなに遠くても、よく分からない場所でも、今の俺はミナと会って話がしたかった。

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