第8話、オーバーラップ

 ハンドルを操作する俺の腕が、青白い手に掴まれた。


 こいつは、スーツを着込んだ白人ゾンビ!


 白人ゾンビはグパッと口を開け、俺の腕に噛みつこうと身を乗り出してくる。


 くそ、邪魔をするな!


 俺は車の挙動が乱れるのを覚悟で死に物狂いで腕をバタつかせ、それを強引に振りほどく。

 しかし俺の腕を諦めたゾンビはドアにしがみつく事によりクビから上を車内に残すと、親の仇を見るかのような形相で片腕を俺の胸元に伸ばし、服を引き千切らんばかりの力で引っ張り出した。


 俺は足を車底へ伸ばし体を突っ張る事で踏ん張るが、ゾンビは大口を開けると臭い息を撒き散らしながら幾度となく噛みついてくる。

 しかし俺がゾンビの髪を上から掴む事に成功したため、ゾンビは虚空を噛み締めるのみで、俺の耳の中へガチガチという音を放り込むに留まった。


 オラッ!


 苛立ちと共にゾンビの顔面に向かって出した肘鉄を皮切りに、同じ箇所へ肘鉄の連打をお見舞いする。

 俺の反撃で強制的に退け反ったゾンビは、やっと俺から手を離すと地面を転がっていった。


 流れる景色。

 車はいつの間にかスピードに乗っていたようだ。

 視線をバックミラーにやると、他の二体のゾンビの姿がどんどんと小さくなって行っている。


 取り敢えず助かったか。

 俺はそれから目眩を起こしながらも車を走らせた。

 時折迫るカーブは、ノンブレーキでハンドルを切り曲がっていく。

 ブレーキを踏めば問題なく曲がれるだろうが、スピードが落ちれば後方のゾンビに捕まってしまうかもしれないし、そして何より衝突の際死ねなくなってしまう。

 連続するカーブもあったが、ゲーム感覚でハンドルだけを扱い下っていく。


 そして見るからに角度のある左カーブが目の前に現れた。

 俺は迫るカーブに対してこれまたハンドル捌きだけで曲がろうとしたが曲がりきれず、車体が対向車線をはみ出しガードレールに擦ってしまう。

 しかしなんとかそのカーブを抜ける事は出来た。


 今のはギリギリだった。

 あと接触した事によりスピードが少し落ちてしまったが、ここからの直線の下り坂でまたスピードに乗りそうだ。

 そこで俺は安心したのか、急に頭が靄に包まれたような状態になる。


 そしてなんの変哲も無いカーブを曲がっていくと、ヘッドライトが照らし出す僅かな空間に、少女の姿が写し出されている事に気がつく。


 ドン!

 ビシッ!

 ガシャン!


 それは一瞬の出来事だった。

 俺が運転する車が、道を横切ろうとしていた少女の腰と太股のあたりに接触。続いて跳ねあげられた少女の体はフロントガラスに直撃。

 そして車はその先にあった壁へ衝突。

 大破する車。


 そして俺は、火薬の匂いが充満する車内で、……生きていた。


 少女を轢いた時、エアバックが作動しやがったのだ。

 命を守るためのエアバック、そして事故死させないためのエアバック。

 これはゲーム開発者の悪意。


 クラクションが壊れ鳴り続ける中、俺はドアを開けるとふらふらとした足取りで車外へ出た。

 少女はボンネットの上で動かない。そこで目の端に何かを捉えたような気がしたため辺りを見渡す。


 ふは、ふは、ははは……。


 自然と笑い声が漏れ出てしまう。

 それは左右の通りから飛び出したゾンビ達が、まるで群れからはぐれた草食動物を見つけた肉食獣のように、我先にとこちらへ向かい全力疾走してきていたのだ。

 あぁ、俺は今から惨たらしく死ぬのか。

 笑いは止まらない。


 そして掴まれた。

 引っ張られこけそうになるが、皮肉にも別から伸びた腕に引っ張られる事により転倒を免れる。

 次々と伸びる腕、腕、腕。

 そして俺はゾンビ達の綱引きに勝利した側の方へと倒れこむ。


 痛みが少ない分、冷静になれた。


 どこを掴まれているのか、どこが痛みを感じているのか、どこを噛みつかれているのか。


 左手の指が食いちぎられる。

 脛を齧られる。

 腹が開かれ、はらわたを引っ張り出される。

 各所で血飛沫が上がる中、目の前では俺の腸の奪い合いを始めるゾンビ達。


 痛みと熱を身体中から感じる中、俺はただただ自身を食すゾンビ達へ浴びせかけるように、高笑いを吐き出し続ける。


 ドサッ。


 音がした車の方を見れば、先程轢いた少女のゾンビが地面に落ち、這いずりながらこちらに向かってきていた。


 バクン!


 心臓が体の中で爆発したかのように大きく鳴った。

 朦朧としていた意識が消し飛んだ。


 真っ赤な涙を流しながらズリズリと這うその姿が、そらとダブって見えていた。

 そこで俺の笑いは最高潮に達した。


 そして少女の伸ばした手の先が左目に侵入してくると、そのまま手前に引かれる事により、強制的に視線をそちらへと向けさせられる。

 迫る少女の顔。


 空——


 少女の薄っすらと開いていた口元が大きく開く。

 痛みと同時に迸る鮮血。

 そして喉元を噛みちぎられた辺りで、俺の視界がやっと暗転していく。


 俺の心は、割れてしまった。

 狂った俺には空が焼きついた。

 冷静な俺には、屈辱感が深く刻まれた。


 それから多くの時間が流れたような気がした。

 その間、暗闇の中で身体はピクリとも動かない。

 しかしその闇の中に体を沈める事により、心は仮初めの落ち着きを取り戻していた。


 それから暫くすると、遥か先に小さな光が見えた。

 それが段々と大きくなり自身を包み込むまで輝き出したところで目が開く。

 どうやら今はベットに寝ている状態のようだ。見知らぬ朱色の天井が迎えてくれている。


 そう言う演出なのか。


 俺はベットから上半身を起き上がらせると、部屋を見渡す。

 煉瓦を敷き詰められ作られた正方形の部屋には、壁際に置かれたベットしかない。そして部屋には窓が一つもない代わりに一面だけ壁も何もない面があり、そこは横切るように左右に走る通路と繋がっていた。


 なんだよこの部屋。

 立ち上がり部屋と廊下の境目まで行くと、違和感を感じふと見上げてみる。するとそこには細長い長方形の鉄が横に走るようにして天井にめり込んでいた。

 これは車の車庫に取り付けられた降りてくるシャッターと同じような仕掛けに見えるが、部屋の中と外にスイッチは見当たらない。

 何かをすればシャッター、もしくは鉄格子が降りてくるのかもしれないが——


 それより早くソラに会いたい。ソラも待っているだろうし、こんな胸糞悪い世界はすぐにでもログオフしないと。


 ……秋葉さんには悪いけど、現実世界からメールを送ろう。


 ウィンドウを開く、が先程と同じようにログオフボタンが見当たらない。簡単な表示しかされていないステータス画面のため、見落としはないはず。

 どういう事なんだ?


 その時、ジッジッっと頭にノイズが走った。

 そして——


『プレイヤーの皆様へ。これより世界の主より説明があります』

『プレイヤーの皆様へ。これより世界の主より説明があります』


 なんだこれ?

 突然目の前にテロップが表示された。


『ただいまより転送されます』

『ただいまより転送されます』


 転送?

 いや、その前に説明だと?

 どういう事なんだ!?


 そして再度、俺の視界が暗転した。

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