第7話、感染
状況分析するまでもなく、この音の主はゾンビ!
しかも全力疾走する奴!
その時秋葉さんが民家の裏へ向けて駆け出し始めたのが見えた。
秋葉さんはこちらにジェスチャーで、早く逃げろと訴えかけてくれている。
そうだ、ここにいては不味い!
どこかに身を隠してやり過ごすため物陰を探してみるが、周りは綺麗に刈られた芝生しかない。
今からでも建物の裏に逃げるしかないのか!?
そしてやっと一歩を踏み出した頃、階段を駆け下りていた音は廊下をダツダツダツと言わせる響きに変えて迫ってきていた。
不味い! っと思った時には、玄関の扉が蹴破られるぐらいの勢いで外側に開いてしまっていた。
芝生に飛び出してきた人影。
よく見るとそいつは白いランニングシャツにグレーのカーゴパンツを履いた、黒髪のアジア人風の成人男性。顔は真っ青ではあるがその両の瞳は赤黒く濁っている、正真正銘ゾンビである。太いお腹まわりで体重のありそうな大柄の体格は、そいつの突進力が高いことを容易に想像させる。
くそっ、一番やばいタイプの奴が出てきた!
そのゾンビはその場で両手を広げ腰を落とす姿勢——野球で出塁をしたランナーがリードをするような格好——で立ち止まると、音の発生源を特定しようとしているのか首をしきりに左右に振り出す。
そしてそのゾンビが、駆け出していた俺の存在に気づいた。
そいつは口から泡を吹きながら鬼の形相で唸り声を上げこちらを威嚇すると、腕を力強く振りながら芝生の上を裸足で全力疾走し出した。
逃げきれない!
せめて武器を!
建物の裏へと数歩進んでいた俺は、踵を返し引き返すと当初の予定通り煉瓦の一つを手に取る。
ゾンビはがむしゃらに距離を詰めながらも、俺の動きに合わせ追随してくる。
ふはっ、凄い迫力だ!
頭だ、頭を潰してやるよ!
突込んで来たゾンビに向け、煉瓦を振り下ろす。
しかし煉瓦はゾンビの背中を叩いただけであった。ゾンビが寸前で姿勢を低くして、タックルをして来たのだ。
そのため押し倒され、背中から芝生に落ちてしまう。咄嗟に顎を引いたため後頭部を打たなくて済んだが、倒れた弾みで煉瓦を手から零してしまった。
そして俺の腹部辺りに抱きついているゾンビが、水泳の雑なクロールをするかのようにして真下にある俺の腹に向け次々と手を出してくる。
腹を裂かれないようにするため両腕で防ごうとするが、ゾンビが腕を伸ばすたびに爪痕が刻まれていく。
なっ、なめんなよ!
地面を背にしたまま繰り出した膝蹴りが、ゾンビの胸に突き刺さった。
それでなんとかゾンビを引き剥がす事に成功したが、両腕から出る血で袖が真っ赤に染まっていく。
俺はその隙に煉瓦を拾おうとするが、ゾンビは四つん這いになりながらもすぐにこちらへ駆け始めていた。
そして再度煉瓦を手にした辺りで、突進してきたゾンビと取っ組み合い。
芝生を転げ回る。
ふざけんな!
俺は簡単にはやられんぞ!
何度も俺とゾンビの上下が逆転する中、腕に僅かな痛みが走る。
そして俺が下になった状態で力比べをしている時、痛みがする箇所を確認すると手首近くの肉が少し噛み千切られてしまっていたのに気づく。
くそっ、しまった!
その時俺たちを照らす月明かりが、側に立つ者により遮られる。
手にした物を振り被るその者は、フルスイングで俺の上に覆いかぶさっていたゾンビの頭を攻撃した。
あっ、秋葉さん!
秋葉さんは手にしたバールでそのままゾンビの頭を叩き続ける。
そして大の字で呼吸を整える俺の隣で、滅多打ちにされたゾンビは動きを止めた。
「学氏、大丈夫でござるか!? 」
「ははっ、……噛まれてしまいました」
そう言って腕の傷口を見せると、秋葉さんは沈痛な面持ちになった。
初期で装備すらない現段階では、調合された薬はもちろん、進行を遅らせる薬草すら持っていない。
ウイルスが完全に回って俺がゾンビ化するのは最早時間の問題であるのだ。
しかもプレイヤー同士が攻撃出来ない設定である以上、自殺しかゾンビ化を止める事が出来ないのだが、バールや煉瓦で自らの命を絶つことは容易ではないだろう。
それならいっそ、華々しく——
「秋葉さん、どうせ俺はもうダメだ! あそこの車に乗り込んでクラクションで奴らを引き付けます! だからその内に逃げて下さい! 」
「学氏……」
「ははっ、秋葉さん、今の俺ってゲームの中ですけど、なんかカッコよくないですか? 」
「……イケメン、でござるよ」
その時来た道のほうから最初の白人ゾンビが足を引きずりながらこちらに向かってきているのが見えた。
その後ろには、墓場から出てきたばかりっぽい土まみれの薄汚れた子供と女性の姿も見える。
「秋葉さん、早く隠れて下さい! 」
「すまぬ! 」
俺は時折視界が霞んでしまいながらも車まで走ると、煉瓦で車の窓ガラスを割る事に成功しガラスの破片が散らばる運転席へと転がり込む。
そして窓ガラス越しに秋葉さんの姿が見えなくなるのを確認してから、体重を前に傾けながらクラクションを押した。
ビィ——という電子音が鐘の音に混じり鳴り響き出す。
その音に反応した後方のゾンビ達が、バックミラー越しにこちらへ向かってくるのが写り込んだ。
よし、あとは死を待つだけか。
その時、不意に吐き気がし出し時折視界の中央部が歪んで見えだす。
ははっ、軽減されててこの気分の悪さなのか。半端ないぞこのゲーム。
……そう、ここはゲームの世界なんだよな。
込み上げてくる笑い。
なんか痛がってあげてるのも馬鹿らしくなってきた。
それにただ喰われるのも馬鹿らしい。
何かないかと車の中を見回しダッシュボードも開けて確認するが、何も無かった。
しかし俺は、この車がミッション車である有難い事実に気付く。
俺はクラッチペダルを踏み込みシフトをニュートラルに移動させると、サイドブレーキを引いた。すると徐々にだが、車が坂を転がるようにしてゆっくりと進み始める。
まだ歩くより少しだけ早いぐらいのため、バックミラーに写るゾンビ達はドンドンと見える姿を大きくしていってはいるが、もう少し行けば結構な下りになっているためスピードが出そうだ。
早く動け!
どうせなら大勢引き連れて、滅茶苦茶にして逝ってやるんだ!
はははっ、そうだ!
スピードが乗った状態で壁に激突すれば死ねるんじゃないのか!?
それに気づいたためなのか、それとも症状が酷くなっておかしくなったためなのか、感染で耳が聞こえ辛くなる中、心は鼻歌でも歌えそうなぐらい穏やかであった。
しかし月明かりがあるとは言っても前が見え辛い。
俺は坂道に差し掛かる前に一度クラクションを鳴らすのを中断すると、ヘッドライトを点灯させ正面の視界を確保した。
その時、サイドミラーに何かが写り込んでいる事に気付く。
そしてガラスが消失していた真横の窓枠から、二本の腕がにゅるっと伸びてきた。
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