第6話、ゾンビがいる世界

 俺と秋葉さんは、洞窟から少しだけ顔を覗かせると外の様子を伺う。


 眼前には起伏のある原野が広がっていた。

 ちょうど高台になっているところには十字架が立ち並ぶ墓地が見え、その少し先には小さな納屋が見える。

 そして川を挟んだ所にはまばらにだが民家が建っており、その更に先には小さな町も見える。町には多くの建物が見えるが、その中で大きな鈴を吊るした時計台が一際目立っている。

 町の先には森が広がっているようだが、それ以上先は暗いカーテンが掛かっているようでよく見えない。


 注目すべきは町の時計台。あの高さで頭から落ちれば即死が出来そうだ。

 転落死、奴らに食われるぐらいなら、まだそっちの方がマシだよな。

 なんとしてでも、あそこまで行きたい……。


 そこで苦笑してしまう。

 物騒な考えをしている自身に気づき。


 そして風に混じり聞こえてくる呻き声。


 奴らは、間違いなくこの世界にいる!

 緊張もしているが凄い世界に来たと言う実感に、今更ながら興奮してしまう。

 とそこで、秋葉さんが人差し指で指しながら囁くようにしてこちらに言葉を落とす。


「墓地に一体いるでござる」


 注視すれば確かにいた!

 墓地にいるのは黒スーツに袖を通した白人成人男性。ぱっとみ衣服が汚れておらず、また髪の毛もオールバックにセットされているため生きた人と見分けづらいが、動きがゾンビ特有のソレである。

 フラフラしながら歩いては止まる歩いては止まるを繰り返しているため、あの人影が先に来た他のプレイヤーの可能性は極めて低い。

 しかしこの距離なら、今のところ危険はなさそうではある。


「それにしてもあの納屋、めっさ怪しいですよね」

「そうですな。ウエポンポイントかもしれませぬが、罠の可能性も非常に高いでござる」


 ゲームの展開上、あそこに武器になるものがある可能性は高い。しかし同時に、あの納屋の中か付近にゾンビが潜んでいる可能性も同じくらいに高い。


「どうします? 」

「何でも良いのですが、武器があれば気持ちが全然違うでござるからな。危険を承知で行くべきだと思うでござるが——」

「あっ、俺は秋葉さんに付いて行く感じなんで、これからずっと指示を出してくれたら助かります」

「了解でござる」


 俺が判断するより、ゾンビ映画のファンでゲームのスペシャリストである秋葉さんに従った方が断然いい選択が出来るはず。


「では学氏、まずは墓地を迂回して納屋まで進むでござるよ。そこまでで拾った小石を納屋の扉にぶつけて様子を見るでござる」

「わかりました」


 秋葉さんが特殊部隊の突入のように無言で手でGOサインを出すと、二人して姿勢を落として草むらを進んでいく。

 カサカサと音を立て進み、途中拾った小石を一つづつ両手に握りしめると、納屋から十数メートルといった位置にまで問題なくたどり着く事が出来た。

 そして草むらにしゃがみこんで納屋の周辺を調べるが、近くに動く気配はない。


「ではカウントダウンの後、一斉に投げるでござるよ」


 秋葉さんが3、スリー2、ツゥワンと数えファイヤと言ったのを合図に二人して扉に向け小石を投げた。


『ドガガッ』


 少年野球団に所属していた時ベースランニングだけが取り柄だった俺でも、10数メートル先の物に当てる事が出来るスキルはまだ残っていたようだ。

 念のため墓地にいる奴の動向を観察するが、変わらずフラフラしているだけである。


「突入するでござるよ」


 キィィイと扉を開けると、空気が湿っており生ゴミのような異臭が漂っていた。八畳程の建物内の隅には干し草が積まれており、その手前、異臭の原因である腐りかけた人の死体がこちらに頭を向けうつ伏せ状態で倒れていた。

 そしてその死体の手には、一本のバールが握られている。


 よっしゃー、武器ゲット!

 思わずガッツポーズをする俺に、秋葉さんが手を広げ制止を促した。

 そうそう、このパターンはこの倒れている死体が動き出す、お決まりのパターンであるのだ。

 動き出す前に何かで頭を潰さないと。

 しかし手には小石が一つ、他に武器に使えそうなものはない。


 しまった、こういう時用にもう少し大きな石を拾って来てれば良かった。

 目の前にはいつ動くか分からない死体。

 どうする、こんな小さな石でもないよりは、いやいっそ、あのバールを奪って——


 死体の手の指が、ピクリと微かに動いた。

 そして上がる唸り声と共に両腕がわさわさと動き始め、死体は重力に逆らいながらこちらへ向けて顔を上げた。


 言葉を失う。


 顔を上げたゾンビは腐れ落ちているため低くなっている鼻と眼球が無くなってしまっている右目には蛆が湧いており、残された左目は血走っている。

 そしてその血走った生々しい瞳がギョロギョロと動いたのち、俺の目と合ってしまった。

 ゾンビはこちらを見据えたまま、上体を起こそうとしている。


 やっ、やばい、早く攻撃を!

 いや、相手はバールを持っている!

 一度逃げた方がいいのか?


 その時隣の秋葉さんが動いた。


 さっとゾンビに駆け寄ると右足を上げ、起き上がろうとしているゾンビの頭目掛けて勢いよく踏みつけた。

 そして片足をゾンビに掴まれてしまうが、二度目の踏みつけでグシャリと湿った音と共に盛大に肉片を飛び散らせる。

 その後も踏み続け、床に広がる血でピシャピシャ音が鳴る中、秋葉さんはやっと踏みつけを止めた。


 ゾンビは先程からピクリとも動いていない。

 秋葉さんはゾンビの頭からゆっくりと足を上げると、呼吸荒いまま後方に後ずさる。するとその度に赤い足跡が、スタンプのように次々と木の床に押されていった。


「これは、キツイでござるな」


 息を切らしながら弱音を漏らした秋葉さんは、心底疲れた表情をしている。


「いえ、助かりました。俺は一歩も動けなかったので」


 ……そう、一歩も動けなかった。

 情けない。恐怖に足がすくみ、完全に飲み込まれてしまっていたのだ。

 こんな、こんな感じでは駄目だ!


 そこで不意に、笑いがこみ上げてくる。

 あぁ、スイッチが入ってしまったのか。

 秋葉さんの目がある。


 歯を食いしばると、笑いをグッと堪える。

 そして深呼吸をした。

 大袈裟と思われるぐらい、大きく腕を横に伸ばし息を吸うと、腕を前にクロスさせながら息を吐く。

 これを2回ほどすると、身体の方も落ち着きを取り戻してきた。


「大丈夫でござるか? 」


 秋葉さんが俺の事を気遣い声を掛けてくれたが、俺の方は冷静さを完全に取り戻している。


「はい、問題ないです。それとバールは秋葉さんが持っていて下さいね」


 頭が潰れたゾンビからバールを奪い取ると、呼吸を整えている最中の秋葉さんに手渡す。

 そして戸口に移動すると、耳を澄ましながら外の様子を扉の隙間から覗き見た。

 墓場のゾンビは変わらず同じところをウロウロ、他には異常な点は見当たらない。

 秋葉さんも隙間から確認する。


「よし、行くでござるよ」


 扉をゆっくり開けると、頭を低くして移動を再開させた。


 月明かりが舗装されていない人工の道を照らす中、俺たちは縦列に並び慎重に進んで行く。

 そして川に架かる橋を渡り疎らに建つ民家の一件目まで来ると、その先の町方面へ向け緩やかな下り坂になっている事がわかった。また二件目の民家前には路駐している車も見える。

 もしかしたらあの民家の玄関かダッシュボードに車のキーが置かれている可能性もあるが——


 家の中に絶対ゾンビがいるよな。


 それに戦闘になると物音で他のゾンビが出てくる可能性も高い。

 その中にイキの良い——足が速い——ゾンビがいれば、逃げることを諦め籠城するはめになってしまう。そして集まったゾンビ達にいずれは突破され、酒池肉林の宴が始まってしまうだろう。

 勿論食卓に上がるのは、オタク臭が漂う俺たち二人だ。


 まぁ逆に考えるなら、物音で家の中——または周辺——にいる奴らを誘い出し、もぬけの殻になった後に家を探索すると言う手もないわけでは無いが……、危険すぎる。


「民家は無視して行くでござる」


 そこで秋葉さんからの指示が出た。

 俺と同じ考えのようだ。


 そして歩みを再開させたのだが、民家の中からゾンビが外をジッと見ている可能性もあるので、民家を通り過ぎる時は窓より頭を低くして進んだ。


 とそこで三軒目の広い芝生の民家の壁に、密着させる形で煉瓦が積まれている事に気がつく。

 手ぶらと比べれば、レンガを持っている方が断然ましだ。それに物を手に持ち体の前に持ってくるだけで、人は安心感を得られると何かの本で読んだ記憶もある。


 秋葉さんの顔を見ると、こちらの目を直視しながら一度頷いた。

 意図は伝わったようだ。

 そこで秋葉さんがあたりを監視してくれる中、俺は今まで以上に頭を下げ、小走りで三軒目の民家を目指し進む。

 そして目と鼻の先にまで来た煉瓦の山からその内の一つを手で掴もうとした時——


『ゴーン、ゴーン』


 突如金属音が一定間隔で鳴り響き始める。

 上空一面を支配するその響きは、どうやら時計台に設置された鐘の重い音のようだが。


 くそ、驚かせやがって!

 突然の出来事で心臓が飛び出しそうになってしまった。

 そして——


 今も鈴が鳴り続ける中、再度心臓が大きく跳ねてしまう。

 それは二件目の民家の二階から、ゴトッと何か物が倒れる音がしたからだ。

 それからドタドタと足音がしたかと思うと、猛烈な勢いでドドドドドッと階段を駆け下りてくる音が鳴り響き出した。

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