Ⅰ.1 目覚め

 レ──い──まで──てんだ──お──さい──

起きろ!!!


 夢から現実に引き戻された生徒は、状況を理解しないまま顔を、机から全力で引きはがした。


 その拍子に、口の端からでろんと、涎が枕にしていた腕に垂れる。頭の自重でわずかに潰されていた目はかすんでいたが、次第にぼんやりと周りが見えてきた。


 目には、端正な顔と記憶していた先生が、鬼の形相となった恐ろしい姿が映っている。


 鬼面は腰を折って、顔の前までやってきた。怒りで燃えたような臭いが、鼻腔をかすめていく。鬼の後ろで、教室にいる全員の顔が、おそらくその子の方を向いていた。


 おそらくというのは、生徒の机は最後列の左角に位置しており、机の向いている方面の視界に、普段と比べて髪色よりも肌色の成分が多く、目に映る景色が明るく見えたからだ。


「うわ、あのドアホ」

「またカスレンかよ」

「ふぇ…ユイ先生の授業で寝るなんて勇敢というか無謀。ですぅ…」

「寝る子は育つの通り、背が高えよな。俺も授業中寝よ」

「えこひいき王子」


 親しみと、あざけりと、憐憫れんびんと、好奇が混ざったおよそ五十対の目が、その肌色成分の上で光っていた。


 その生徒は、恥ずかしさから顔を真っ赤に染め上げたが、なんとか表情を悟られまいと顔を作ろうとする。それを、鬼は許さない。


「テメェ随分うなされていたなァ?連日の文化祭の準備だろぉ?午後の最後の一コマだろ?……窓からは心地よい風がふいちゃって……強さを失った西陽が暖かく君を照らしている。一人の美少年が寝るには、うってつけだわな」


 目の前の先生は、怒りを収めるためか、まるで舞台で大芝居をうつように、それぞれを関連する場所を手のひらで指し、クルクルと大袈裟な身振り手振りをして、最後には舞台俳優よろしく、大見得を切った。


 クスクスと誰かの忍び笑いが聞こえてくる。

笑い声を聞いて少し落ち着いたのか、先生は再び動き出し、その子の耳元に唇をゆっくりと近づける。


「その上、きみの公務は忙しい……それは分かるがねえ。王太子殿下。」


と、ねっとりと耳打ちするように囁いた。


「だが!お前は私の生徒でもある」


 大きな声で、言い切った後、右手に持った愛杖で木の床を叩きつけ、反動で姿勢を正した。その余波で、胸元の巨大で悪辣な二房が波打ち、ブロンドのハーフアップの触角部分が少し乱れた。


「私の授業はそんなに退屈か?アレン!」


乱れた髪を左手で、右耳にかけながらその子の名前を諭すように呼んだ。


 妖艶ようえんなオーラを、袖をまくった白絹のブラウスに黒絹でできたパンツスカートといった教務用の服で、無理やり仕舞い込んだような先生である。アレンは、怒っている声すら綺麗だなと聞き惚れてしまった。


「まったく。授業の準備するのも本当に大変なんだぞ!カリキュラムとか、クラス全員の歩調とか色んなこと考えながらやってんだ。分かる?ましてやあなたはエリオンの王になるんだろ?そんな様でいいのか」


 相当お怒りのようだが、艶のある声のせいか寝起きのアレンの頭には内容が入ってこない。


 なにか言おうと口を半開きにしていると、窓から少し砂を帯びた風が入ってきて、口の中に砂利を運んできた。寝起きのすこし臭う唾液のねばっこさと、細かく砕いた苦い飴のような砂利の不快感をもって、しっかりとアレンは正気に戻ってきた。


 こちらの高等部の教室棟はグラウンドと面しており、吹き上げる風が、三階のこの教室まで土を運んできたのであろう。


 さきほどまで、アレンをより深い睡眠に誘うように吹いていた風の突然の裏切りを恨めしく思った。口の中の砂利をちり紙に吐き出しつつ、顔周りの涎が通った感触を、なるたけ自然な風を装って、ちり紙の余白でなぞり、拭き取る。


 クラスの大半がその様子を見つめ、王子の動向に注目していた。ここは冷静に自分の非を認めて謝ろうと、口を開く。


「ズッ……いばせ……エンッ!……ダァッくっカッ……ッピイイイ」


 どもった上に盛大に噛み散らし、話し始めた拍子に、口の中で乾いて張り付いた唾と砂が、動き回り、誤嚥して咽せた。

 

 クラスメイトは、社会的な位が高いだけの、自分より年下の生徒の失態に気を使ったのか、変に深妙な空気が場を覆った。


 耐えられなくなった数人から漏れるような笑いが起こる。それを皮切りにクラスに笑いの渦が広がった。


 笑い声の中には、嘲笑ちょうしょうも混ざっていそうだ。悪い癖で、自意識が過剰になってしまう。


 アレンは、民草と交わりながら勉強に励めと、国王である父に言われ、各区から秀才が集まる王立学校の高等部に通うこととなった。基本的な教育を王宮で済まし、中等部二回生から四年分飛び級して、このクラスに身を置いている。そのためか少し周りと隔たりを感じていた。


 耳まで熱くなったが、ここでくじけてはまた舐められると思い、周りのほとぼりが覚める時を静かに待ち、立ち上がる。


「みんな笑いすぎだ。砂が口に入ってむせました。すみません。今後は気をつけます」


 父から受け継いだ身長の高さを十分に活かし、王族の威厳を保てるようにせいいっぱい取り繕った。頭の高さでは、社会的にも物理的にも届かないであろうものたちが、ようやく笑いをおさめた。ここがもし王城なら不敬罪で何人かは拘束されているはずだ。

 胸の中のぐるぐるとしたヘドロのような感情をなんとか収めようとした。変な空気を裂くように、ななめ右側の前方から、制服の擦れる音がして、だらりと手があがる。


「ユイせんせ。実際な、俺ら王立の選ばれし秀才の高等部三回生にとっちゃ歯の授業なんてな。面白くもなんともないんやけどな。もっと派手な授業してくださいよ」


 ハーフエルフであるのにも関わらず、クラスのリーダー格であるラッツが、伸ばした腕と反対の手で銀の短髪を擦り上げながら、緑の目を無邪気に細めてアレンに目配せをした。


「ほう。ラッツ君は、歯学が地味というのかね。」


 先生が愛杖を地面に小さく打ち付けながら、次の獲物を見つけたとばかりに、銀髪を睨みながら歩み寄る。杖による平手うちが来る前の予備動作だとラッツに教えてもらったことを思い出した。


 この国、指折りの治癒術師の彼女は、なぜか好んで物理攻撃をする。ちなみに杖は、屈強な大男の右腕と左腕を、肩側からむりやり接着剤でくっつけたような見た目をしている。噂では誰も見たことはないが独りでに動くらしい。大変に気色が悪い。


 注目が自分からそれて、汗がやっと止まり、うなじのあたりを拭う。ボスのヘイトがラッツに向いちゃったなどと戦闘に見立てていたら、少し顔がほころんでしまった。隣の席の女子と目が合う。慌てて真顔に戻そうとするが、数瞬遅くかった。


 隣の席の子は、アレンのにやけ面をみて、白い目を向け何かつぶやいた後、また視線をラッツの方に戻した。手を伸ばせば届く距離なのに、隣の席との距離がずいぶん遠くなってしまった気がしたが、アレンもラッツの頑張りを応援しようと椅子に座る。ユイ先生が、ラッツの机に到着したようだった。


「だってちまちましてますやん」


ラッツは頭の後ろに手を組んで体を仰け反り、杖についている右手の一撃をすんでのところでかわし余裕の表情を浮かべる。


 ヘイトのかい方は、さすが我がパーティの要のタンク様と言うべきだろうか。ゆくゆくは回避タンクになるべきかもしれないと、勝手に人様の将来を見積もった。


 ラッツはどこか誇らしげで、机の下に足を引っ掛け、傾けた椅子の後ろ脚でバランスを取る。


 ユイ先生は笑みを浮かべたまま、杖の勢いを殺さず手首だけをぬるりと返して、反対側にある杖の左手でラッツの顔面を襲った。


「すべての解剖を覚えることは、それ即ち、治療術師の極みに至る道に立つことである。」


「なんですか?」


 急な意識外からの攻撃に、ラッツはきょとんと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


 その呆けた顔に、杖の左手が強襲し、ラッツの顔が大きく揺れた。そのまま後ろの席の机上に後頭部をこれでもか打ちつけ、後ろの女子に盛大なアヘ顔を披露した。後ろの女子はドン引きし顔を背けながらも、ラッツが倒れないように椅子の背もたれをしかと受け止め、座面を足で固定していた。


 ラッツが沈んでは、アレンも共倒れになってしまう。女子の機転に感謝しつつ、祈る様に、二人のやりとりを見守った。


「今思いついた私の言葉だ。解剖を頭に叩き込んでおかなければ、いくらヒールなどの魔法を使って体を再構築してもあべこべなものができてしまう。最悪、死に至るぞ。」


 ユイ先生は、杖の回転を止めて床にすとんと下ろした。たしかにそれは困ると、聞かれてもいないのにアレンは反撃の言葉を探した。


 ラッツは、後ろの席の子に席を押し戻された慣性のまま、がくんと首をもとにもどしながら左頬を痛そうにさすった。さすがタンクをジョブにしているだけある。あの一撃が効かなかったのだろうか。


「先生、歯が何本か抜けた気がします」


 アレンたちのパーティの盾は、口を半開きにしながら情けない呻き声を出した。どうやら杖の衝撃はラッツの口腔をかけめぐったようだ。


「気のせいだ。時に、ラッツ君は、顔面を魔族に吹き飛ばされた後に、ヒールされた場合、前歯に奥歯が生えててもいいんだな?」


「今まさに魔族に歯を……」


「どうした?」


杖を再度構えられ、ラッツは座ったまま背中に鉄板を入れたように姿勢を即座に正した。


「いや、それは、嫌っす……キショいっすわ……。てか、一応確認ですけど、先生ヒーラーですよね?」


 黙って見つめ合う二人。


 沈黙がクラスを包む。


 タンクにはヒーラーが回復をしてやらねばならない。教室を見渡すが、先程までの騒ぎはどこへやら、いつのまにかみな顔を伏せてしまっている。


 ユイ先生が、目線だけラッツの頬に残しながら、杖を両手で愛おしそうに抱えて、体を教壇に向き直した。


「前歯に奥歯が生えたら、困るだろう?さあ授業をつづけようか。あ、あとでアレンは職員室な」


 ラッツに当たってしまった部分に傷がないか確認するように杖を撫でながら、先生はいたずらっ子のようにアレンに笑いかけた。


 アレンは気配を消していたつもりだったので、思わぬタゲの再配置に、眉をひそめてしまう。


「おや?不服か?では、問題に答えられれば免除にしてやる。のるか?」


 顔だけをこちらに向けたまま、ユイ先生は教壇に歩みを進めた。


「きょ、拒否権は……」


鉛筆を両手で遊びながら、また吃ってしまう。


「ないに決まってんだろ」


「じゃあ……なんで聞いたんですか」


 心の中で悪態をついたつもりが、口から漏れ出てしまった。自分でも、驚いて面を食らってしまう。その隙をすかさず、BOSSが詠唱を続ける。


 「なんか言った?遊び心は、教育には必需品なんだ」


 遊び心ではなく加虐心の間違いだろう、と今度はしっかりと口を閉じて、心の中で呟いた。

 

 ユイ先生は、教壇に到着した後、振り返って教卓の端に、両手をついた。


「では、コホン。問題だ。ドラゴンより大きかった口を持つといわれる、かつての大魔王の最も特徴的な歯は」


 しめたと思った。昨日ちょうど図書室で読んだ本を思い浮かべて、文を頭の中で思い起こす。


 「上の2つの糸切り歯、別名上顎両側犬歯です。その恐ろしい見た目は当時の人類を震え上がらせ、魔王の笑顔をみたものはその場で気を失ったとか」

 

 ちょっとドヤ顔をするも、答えられて当然といったような雰囲気が、教室に漂う。ユイ先生が、板書の答えがかかれているところを、杖でトントンとなぞった。アレンが寝ている時に、既に話した内容だったようだ。ドヤ顔から、真顔にスンっと戻した。


「うん。ではその歯は何層構造であったか」


「我々エルフや人と同じ三層構造で、外側からエナメル質、象牙質、歯髄になります。最外側のエナメル質は、その生物おいて最も硬い部位です。それは魔王も例外ではなく、当時、魔王の歯以上の硬さのものは存在しなかったと言われ、あの伝説の⦅魔石オルハレイコン》でも敵わなかったとか」


 わっとどよめきが起こる。さっきと打って変わって、そこには嘲る調子の声はなかった。それもそのはず、アレンが話したことは、昨日の本に書いてあったが、黒板には記されていなかった。


「ほーお?タッパといい、顔立ちといい、ほんとに十四歳なのか?飛び級するだけあるわな。憎たらしいわ。では重ねて。その大魔王の歯を砕くにはお前ならどうする?」


「……それはちょっと。すみません。思いつきません」


「ふん!そうだろ!これは、私見だが、あくまで私見だぞ?私が思うにはだな、現在よりも発展していたと言われる当時の技術では、魔王の歯科治療もおこなわれていたはずだ。それに──」


「そこらへんにしといてやってくれないか。ユイくん」


 声がした方向を見やった。レースのツインテカフスと、綺麗な桃色の髪のツインリングに挟まれた愛らしい顔が、大きな目を覗かしてちょこんとした体に慎ましく載っている。声の主は、肩から足首まである鶯茶のローブを纏い、扉にもたれかかっていた。


「これからがいいところだから邪魔は…ンバーァ!アロポス相公様!!」


「かたいかたい。呼び捨てで構わんといっとるだろ。みんなもな。ワシのことは適当に呼べよ。敬語は略した方が、タイパになる」


 アロポス様!相公様!と口々に、生徒たちが騒ぎ出す。教室が突然の来訪者に、色めき立った。まるで、学園のアイドルのようだか、まさにそうだ。顔もアイドル級で、その割に似つかわしくない喋り方をしているが、それがまた人気に拍車をかけている。


「申し訳ございません、アロポス様。ただ、最長老のまつりごとを司るお方であって……ご自身でも、その身で何年生きてるか分からないと仰ってるほどじゃないですか。エルフは年の功を重んずる国ですし、外様の私は…」


 先生の声のトーンと頭がだんだんと下がっていく間に、いつの間にか桃色の髪は先生の真横に移動しており大きな笑い声を発した。


「なっはっは!まだ、ちとかたいな。外も、内も、ないぞ!現に、近年の改革によって、他種族の子たちも、我が学校に来てくれてるではないか!それに、ユイくんのエリオンにもたらした功績は、目を見張るものがある」


 笑い声とリンクして、桃色が小気味良く揺れる。


「ま、でも、確かにのう、ワシの年かぁ。千年はゆうに超えてるだろうよ!数えるのもめんどくさくなるのだよ。して、ユイくん」


 ちょいちょいと手配せをする桃色の高さに合わせるようにして先生が屈む。先生の耳が桃色の髪に包まれる。なにやらごにょごにょと耳打ちしたようである。


「……と、いうわけじゃ、ユイくん。」


そして、すぐに、生徒側にむき直った。


「オホン。ま、エルフ族の生徒らも、時期そうなる。なにせ長命じゃからな。ワシからしたらみんなまだ子供どころか卵よ。可愛い可愛い。ま、そこのは別だかな」


 アレンの方に顎をしゃくって、ウィンクを飛ばしてくる。


「おかえりロポおばあちゃん!帰ってきてたんだ!なんかあったの?」


 食い気味にロポに話しかける。最高の師であり友の登場がたまらなく嬉しかった。ロポといると掛け違っていたボタンが、正しい場所に合わさる居心地の良さを感じる。


「なっは!ほれ、この調子じゃて。あだ名までつけてくれたんじゃ、って誰がババアじゃしばくぞこら。あ、用件はここではちと話せん。じゃユイくん、借りてくぞ」


 またえこひいきだ、なんであいつばっかり、と僻みや、羨みの声もちらほらあがる。隔たりがより厚くならないか心配になったが、今はワクワクが勝ってしまっていた。


 ロポはいつのまにかアレンの席の横に移動しており、アレンの腕を取る。そして、瞬時に窓から教室の外に、二人とも移動していた。ロポは最長寿なだけあって、使えない魔法がないと、以前そう話し胸を張っていた。これは、空間移動の類の魔法だ。


「ちょ!ちょっと!アロポス様!!急用なのはわかりますが、いくらなんでもカリキュラムがずれると、厄介で!!それに、文化祭のクラス演劇のヒロインを連れていかれると、練習にならないんですけれども!」


「あー!補講は、わしがやっとく!任されろ!演劇は、ユイくんが代役でも務まるじゃろ!じゃあの!」


 そう言い合っている間に、ロポは細かく転移魔法を使う。



 先生の絶叫と、皆んなの歓声は次第に遠くなっていき、青空の方が近くなっていった。


 青空の中で、二人、浮き上がっては消えて、瞬きつつ、移動を繰り返す。


「こうしてみると、本当に丸いねボクらの国は」


 空から自分の国を見ることなど、そうそうないのでアレンは興奮してしまっていた。


「そうじゃな。ど真ん中にあるのが、さっきまでいた校舎がある学園都市じゃわ。偉いご身分じゃのうお子様は」


 我々が住う学園は、初等、中等、高等、大学、大学院までの教育機関が直径十キロメートルにわたって所狭しと並んでいる。我が国は、教育を特に重要視しており、識字率、学力、研究、学とものがつくものは、国際的にも高水準である、と、ロポの言葉に、父からの受け売りの知識を思い出した。


「でもおかげで海とか他の国とか、どこいくのにも、同じ時間。近くも遠くもないや」


 今日は晴れやかで、空から見える北側の海もいっそう透き通ってみえる。他の方角はそれぞれ他国と接している。


「それは、とても贅沢な悩みだぞ?それに部外者は今の学園祭の時期以外、学園都市に入れんから、ショートカットもできん。卒業したら不便が待っておるぞ」


「そん時は、ロポの友達ってのを最大限利用させていただきます」


「なっは!小賢しいの!」





 次に瞬きした時には、薄暗い木造建築のホールの中央にいた。

 ホールといっても中は大層ごった返している。


 十メートルはありそうな天井に、その半分位の本棚が左右に幾重にも列をなし、天井からも同様の本棚がぶら下がっていた。


 真ん中に一人用の古めかしい木製の机と椅子があり、机の上には読書灯なのか、花の蕾型のランタンがちんまりと鎮座している。


 机と本棚の隙間を埋めるように、所狭しと本が積まれていた。背丈の倍の高さの本の塔が絶妙なバランスを保って聳り立っている。塔の間は、かろうじて人が倒れるほどの隙間が見え隠れしていた。


 唯一の灯りのランタンに照らされ、アプヤヤ産の手織りの暖かみのある絨毯の繊細な模様が浮かんでは消えていた。神聖な雰囲気が醸し出されている。まるで本でできたダンジョンである。


 世間一般からすれば異様な光景だが、決して驚きはしなかった。というのもこのダンジョンには自室以上の頻度でお邪魔しているからである。ここはロポのダンジョン、もとい図書館であった。


 しばらくすると、ロポが、どこからともなく現れ、アレンを追い越す様に歩いていった。


「なにを語るのにも、ここが一番じゃ。落ち着くのうここは。アレン殿下もそう思うじゃろ?」


 自身の桃髪のツインリングから出たアホ毛を両指に絡ませながら、悦に入った顔をしてわざと恭しくした。 

 その様子が自慢をする幼児のように見えて、年齢とのギャップに少し微笑ましく思った。


「殿下とかやめてよね。にしても素敵な部屋だよね。ボクもこの国でここが一番好きかな」


「はん!?馬鹿にしたな?」


 腰に両方の手の甲をつけ、膨れ面に少し前屈みになり上目遣いで眉間に皺を寄せる御老体は、やはり見た目はご幼体にしか見えない。


「してないしてない。で、話ってなにさ?」


 子をあやす様に、彼女の頭の上に手を置く。アレンの方が遥かに背が高いため、はたからみたら年齢は逆のように見えるだろう。


「あ、そうじゃった!すまねだーすまねだ。最近忘れっぽくてな。認知症かのう」


 わざとなのか、大袈裟にとぼけてきた。


「やあねえおばあちゃん、夕飯ならおととい食べたじゃない?この国一番の頭脳の持ち主が、何言ってるんだか」


 調子を合わせて、顔を伏せつつやれやれと手を広げてみせる。


 目線を戻すと、横にいたはずのロポが消えている。本の塔の中に入っていってしまったようだ。


「実はなエリオン近郊に、学園祭関係者では確実にない、侵入者がおっての。捕まえて尋問しようとしたんじゃが、火炎魔法で自死しおっての。危うくワシも巻き込まれるとこじゃった。あれは相当なやり手じゃ。はあ……悩み事が尽きんわ。ただでさえ、ここ最近タンラン周辺の動きがきな臭くさくての。また、戦争じゃなきゃええがの。あ、夕飯は毎日食わせろよ。ボケが古典的じゃな。どこで覚えよった」


 前方の塔の林の中から、声だけが聞こえ、付け加えるようにツッコミとダメ出しをされる。


「物騒な。どんなやつだったの?タンランって、西方の大国だよね?あのお金にうるさい国?どこで覚えたって、ロポの本棚の小説にあったよ」


「頭から足の先まで全くわからん。消火し終わった死体をみても、あまりの炭化具合に、ひとめじゃ男か女かもわからんかった。そうじゃ。タンランは西にある。国ぐるみのとんでもない金の亡者よ。やつらは、魔物の使役具の開発をして、それを独占しとんだから金は腐るほどあるはずじゃがな。それでも足らんのかのう。有害図書はロックをかけているのじゃが?」


「そうか。手がかりはなしってこと?らしいね。父様が言ってた。金への執着が国々の中でも強く、歩けば銭の音がする国とまで揶揄されておる、ってね。タンランと交渉する際にはまずはコストの話からになるとも言ってた気がするや。偉い人が言ってたよ、規制は突破するためにあるってね」


「やかましいわ。一応、国の鑑定治癒術師に依頼はかけたが、あの様子じゃ望み薄じゃな。それ以外の手がかりはないことにはないんじゃが。あの国の⦅ネームド》が象徴するように、金関係じゃろうけどの」


「ネームドって?」


口を開けてぽかんとしていると、机の反対側に呆れた顔がいた。


「む?ユイ先生に習わなかったのか?」


「最近、いろいろ忙しいすぎて…寝ちゃってまして…。それと、ロポの話が楽しすぎて」


「関心せんのう。ワシを言い訳として使うのもな」

「言い訳じゃなくて!本当に楽しみにしてて、楽しいことに興味が向いちゃうんだ」


「そう言われると悪い気はせんがの。仕方ないのう。ネームドってのは、⦅いみな付き》といわれる固有の名前をもつ武具の総称じゃ。ニエフ、タンラン、プラド、アプヤヤ、グラニト、ヴァジ、バルハイトのそれぞれの七つ国が一つずつ持ってある。それらが有する力は、各国の礎であり、他国の武力に対する抑止力となっているのじゃ。また、それらは知性をもちコミュニケーションが可能ととされており、一説では2千年前の創世記からあると言われとる。ワシと同級生かの」


「父様から教わった柱のことか。強そうだけど、エリオンにはないの?」


「ワシが知る限りでは、聞いたことないのう。」


「ま、ロポがネームドみたいなもんか!」


「なっは!そうあれるよう邁進致すよ、殿下。ちなみにじゃが、当のタンランのネームドは、ゴルド卿と称されとる。黄金を操るとかなんとか言われとるようじゃぞ。王子として外交もするじゃろうから知っておけ。あと、基本的にネームドの詳細は国家機密じゃが、あの国はようわからん、出回っとる。内部からリーク情報を売るやつもおるようじゃ」


 ロポの顔色を伺おうしたが、あらかた説明し終えたのか、またいつのまにか本のダンジョンの中に行方を暗してしまっていた。


「やだねえ。金、金って。世の中金なの?」


 問いかけながらアレンも本の中に入ろうと中を覗くが、入ったら途端に全て崩れそうだったので、椅子に腰掛けて待つことにした。


「ある側面では、真実じゃろうな。とにかく、タンランは我がエリオンに近いからのう。見過ごせんのじゃ」


 今度は後方から声がする。どうやらこのセンシティブな空間で、寸分違わず空間転移を繰り返しているようだった。あまりの技術の高さに少し眩暈がして、手をついた。


 手の先にふと目をやると、薄着の女性が扇状的なポーズを取っている表紙の本がある。ロポの捜索は少し時間がかかりそうだ。グラビアを手にとって、パラパラとめくる。うーん、これはなかなかに刺激が強い。


「これも大切な本?ロポ、こんなんも読むの?」


「ん?ああ、それは参考資料…。出掛ける前に隠したんじゃがのう……自分が忘れてたら世話ないのう…あ、あったあった!これがその手がかりじゃ!あ!うなあ!」


 悲鳴と共に、右前方あった本の塔が崩壊した。


「ロポ!大丈夫?!」


 慌てて読んでいた本を、机に叩きつけるようにして置き、椅子を蹴り飛ばすようにして起きる。


「ふう…危ないとこじゃったわ。む。椅子は起こしておけよ。あと、本は丁寧に扱うように。ここにあるのは全部貴重な資料なんだからな。」


 下敷きになったはずのピンク髪が、自分の視界の真横から声を発した。たまらず、驚きの声をあげてしまう。


「うわあ!ったく、もう、よかったけどさ。気をつけてね、ロポ」


「む?また後で積みなおすさ。そんなことよりこの文面を読んでくれ。」


 そういって宙に紙束を放ると、バラバラと一枚一枚が、整然で緩やかな滝の様に落ちてきて、何もない目の前の空間に整列していった。それを数秒見送った後、ロポが手品のようにピタと人差し指で止める。ところどころが黒く焦げた紙の上で止まった。


 その人差し指の先には、タンラン語で〈エルフの国、エリオン周辺で瞬間的に極大な魔力の反応あるも、数秒で消失〉と書いてあった。


「極大な魔力?消失?まさかね」


「ああ、そのまさかじゃと、わしも睨んでいる。このタンラン語の紙は、さきほどの侵入者から唯一回収できたんじゃ。一緒にこれも焼こうとしたんじゃろうが、熱風で飛ばされて逃れたようじゃわ。ただ、ところどころ焼け落ちとる。ある程度復元に時間がかかっての。読了次第、ワシの独断で、すぐさまタンランとエリオンの間をくまなく捜索したのじゃが、特に得るものはなくての。タンラン側が何を企んでいるかわからぬ。が、よからぬことじゃろうて、悟られんように戻ってきたんじゃが、先に謝る。殿下、申し訳ない。遺体は跡形もなく消えとった。誰かを使わして回収するべきじゃったが、殿下も分かっとるように最近国内も信じれるものが少ない。して、その紙の続きじゃが、その魔力は、各国が有する最大の軍事兵器⦅ネームド》に匹敵、またはそれ以上じゃったとつづられている」


「そんな魔力!我々が気づかないわけがない!」


「それが、そうでもないんじゃ。観測された日付を見とくれ」


 観測日は、四年前の八月一日だった。


「ボクが十歳の時の夏、そうか。お父様が」


を思い出し、声が上擦ってしまう。


「そうじゃ。国王が、凶刃に抗った日じゃ。辛い思い出をぶり返して申し訳ない。ワシもあの時、不在にしていたとこを、今でも悔やんでいる。あの日ワシさえいれば、ルイスは今も前線に立っとるじゃろうに」


 ロポは、肩を落とし、顔を伏せて、いつになく落ち込んでしまった。


「大丈夫だよ。父様は、他国の使者とも会話できる様なくらいには精神面、肉体面ともに快復してきているしさ。国連平装から除隊して駆けつけてくれたユイ先生のおかげでもあるけどね」


 両手をロポの肩に置き、努めて気丈に振る舞った。


「そうじゃな。立場を捨ててまで来てくれたユイちゃんに改めて感謝せねば」


 きらりと目の淵に光るものを溜めながら、ロポは笑顔を作ってみせた。国の砦、要など言われてきた彼女だ。責任を感じているのだろう。


「確かにこの日なら、国中、いや世界中が混乱していたからね。気づかなくても、訳はないか」


 アレンは無意識に、ため息を漏らしていた。


「そうなんじゃ。そしてこの魔力の正体だがおそらく」


「「封牢か」じゃ」


 二人の声が。一つの単語でユニゾンする。


 その響きは、薄明かりの図書館に仄かな暗い影を落とした。






 数刻の後、アレンとロポは、エリオン王城の謁見の間で玉座の前に跪いていた。二人とも面を伏せたまま、ロポは神妙な顔をして、アレンは浮かない顔を貼り付けてる。


 アレンは、内心ではどこか嵐がやってくる時の様な気分で浮き立っていた。玉座には、希少な毛皮で作られたマントを大きく広げたでエリオン国王陛下──父様が座している。


「──して?その話は確かか?アロポス」


複数の輸液パックを頭上にぶら下げ、生気は少ないが威容のある声で父様はロポを問い詰めた。輸液パックは虚空にまるで水に揺蕩う様にぷかぷかとしている。


 金細工の意匠が施された大きな椅子は、病床の父でも無理のないように、ニエフの凍土に住まうとされるネームド級の魔物の毛皮を誂えている。それは、どんなにぐずる赤子でもたちまち眠りにつくと言われている幻の逸品だ。


「試行回数が極端に少ない。推論に過ぎんがね。」


ロポは無い髭を撫でてアレンに目配せした。


「陛下、ご提言よろしいでしょうか」


 跪いたままおずおずと右手を挙げた後、父様に顔を向けてしっかりと目を見据える。


「…なんだ。申してみよ」 


父様は、我々を睥睨した。


「恐れながら、少数精鋭で禁足地、並びに封牢への巡検を進言いたします」


「ならん。先祖代々より、何人たりとて封牢の調査は行わせなかった。あそこには厄災が眠っているという言い伝えがある。パンドラの箱は開かなければ、パンドラの箱、足り得んのだ」


 父様は、睥睨したまま、わずかに憐れみの表情を浮かべた。封牢を抱えたまま国王にならんとするアレンに対する憂慮なのか。


「頭が固いぞ、アラリック。結局、この年になるまで、問題を先送りにきてきただけじゃ。」


 父様の側近が、ロポの無礼さに、鞘に手を当て身を乗り出すが、父様が横目をやり手を軽くあげ、遮る。


 そのやりとりを懐かしげに見たロポが、息を大きく吸ってさらに続ける。


「タンランだけでなく諸外国が、虎視眈々と、封牢に眠るネームド級のを狙っている。先んずれば人を制す。川越えて宿取れ。旨いものは宵に食えというだろ」 


「旨いものではなく、不味いかもしれん。それに、川は涸れ川かもしれん。」


「それこそパンドラの箱は、ギフト・ボックスかも知れんしな。今日の一針、明日の十針じゃ」


 われわれを飲み込まんばかりに大きくみえていた父様は、みるみるうちに縮こまっていった。


「体調が悪化しそうか?まぁ大事な、加えて、予言の子、だしな」


「予言って」

アレンが発言しようとすると、父様は声を張り上げた

「あの予言は関係ない!!!」


父様は立ちあがろうとして大きく咳き込んだ。


臣下たちがささえようと姿勢を崩すが、父様は手で制して、話を続けた。


「アレンは、嫡男たるアレンには、我々、エルフの王になってもらうのだ……。いずれエルフが世界を統べるためにも、各国の七つの柱と共に……。人類に任せていては、いずれ世界は滅ぶ。人は愚かだ……。賢者たる我々が、持つものが、持たざる者に、尽くさねばならぬのだ」


父様の顔色は明らかに悪くなっていった。


「ノブレスオブリージュの精神はご立派だが、人が我々より劣っていると?たかたが何千年か長生きなだけで、それは傲慢とは言わないのか?短命種は我々にはない進化を遂げるぞ。一世代の時間が短く、個体数も多い。短期間で新しい形質をもつものが突然変異で生まれでる確率は、我々よりも非常に高いのじゃ。独自の発展をとげるかもしれん。彼ら、ならではのな」


「……ぐッ!!いくら相公様といえど!それ以上は許さぬ!」


側近が抜剣しようと、構えて、隊列を乱した。


「もう、いいでしょう」


黙って父様の側に控えていた母様が鶴の一声でその場を収めた。


「もう十分だわ、アロポス。アレン、私たちはお前が大事なの。よく分かって。」


母様の隣で、アレンの弟である四男がしかめ面をしてこちらを睨んでいるのが目に入ったが、目線はくれずにじっと母様を、みつめた。


「十二分に。承知しております。ですが、やらねばやられると口酸っぱく私にご教示にしてくださったのは母様たちでは。強くあれと」


「それは…」


「そろそろ子離れする時間だ。二人とも」


「この子じゃなきゃいけない理由はあるのか」


「いくつかワシが読んでいる線がある。その一つであればあるいは」


ふーっと長いため息を、父様が謁見の間に吐き出した。


「……アレン、アロポス、両名に禁足地への巡検ならびに、封牢の調査を許可する」


「やった!父様ありが……あ!……陛下。感謝申し上げます。」


「もうよい。くずせアレン。そなたたちには負けた。病が悪化してしまうわ。はっはっは」


「あなた…」


わずかに、場の空気が明るくなった。


「ふふ、アレンに感化されたかね。アラリックたちよ」


「まぁ、我々を字名で呼ぶのは世界広しといえど貴方だけよ。アロポス」


「お前らの息子も、唯一ワシをあだ名で呼ぶよ」


「似たもの同士だね。ロポ」


「なっはっは。敵わんのう」


ひとしきり笑い合ったあと、父様は顔を作り直し、兵達に厳しい顔を向ける。


「水面下で進めよ。箝口令を敷く。お前たちここでの会話は他言無用だ。無論一字一句な」


「ハッ!!!ブラッドオブエリオン!!」

兵たちは姿勢を正して、掛け声を出し、最敬礼をした。





────────────────






「──であるからして、お前ら駆け出しの生徒どもでは、太刀打ちは絶対に不可能だ。俺でさえ、逃げるのがやっとだ。封牢には、絶対に近づくな以上だ」


図書館でのロポとの会合、王との謁見が昨日のことである。


 講壇では深緑のショートボブの女性が、マイクに齧り付き、演台の両端を掴むようにして両手を置いてる。そして、鋭い眼光を両目から放ち、我々生徒に睨みをきかせていた。


 ここは特別講堂であり、高等部の全校生徒千人が余裕を持って座ることのできるキャパシティを有する。はるか昔から存在し、今もなお文化遺産として厳重に管理されており、厳かな雰囲気である。


 アレンとロポは封牢の第一人者である彼女に講義をしてくれとは頼んだが、生徒を恫喝してくれとは一言も伝えていない。


「あ、あのう…ふぇ」


講堂の左前方から、おそるおそる震える手が挙がる。マイクランナーが即座に駆け寄り、さっとマイクが手渡される。


「そこの。なんだ」


 演台を今にも握り潰そうとしている彼女は、目線だけ一瞥をして、演台から垣間見える柔和なボディラインとは別のものにみえ、ちぐはぐにみえた。


「ふぇ!?…なんの講義にもなっていなかったんですが。結局封牢には何が封印されているんでしょうか……ふぇ…」


 質問をした彼女の言葉で、講堂全体に一気に緊張が走る。今にも消え入りそうな声で、核心を突く質問をした彼女は、高等部三回生の次期⦅エレメンタラー》と期待されているセシルだ。なかなかに厳しい一撃だが、教卓の女ヤクザはどう出るのか生徒が注目した。明日の朝日を拝めず、近くの湖に沈められやしないかみな固唾を飲んだ。この場の全てが、セシルの双肩にかかっているように思えた。


「んな!な!なんで!わかりやすかっただろう!?それに何が封印されているかは、国家機密!トップシークレットなんだ!」


 張り詰めていた緊張の糸は、思いがけない変な方向に切れていった。今にも折れそうになっていた演台は、彼女から解き放たれ安堵するように音を立てた。


 手を離し、その両手を頬にあて、先ほどのヤクザはどこへやら、彼女は赤面し、慌てふためいた。セシルは、そこに容赦ない言葉を浴びせる。


「このニ時間で伝わったのは、次の四つですぅ…。ひとつめはぁ…、【封牢にはネームド級の何かが、エリオン発足と同期間封印されている】。ふたつめはぁ…、【封牢は、禁足地のさらに奥にある岩山のどこか】。みっつめはぁ…、ふぇえ【外国からの侵入は不可能であり、中に入るにはエリオン国内からでないといけない】あとはぁ…【封牢には世界でトップクラスの強さをもつ番人がおり、癒着を防ぐために三年に一回交代している。貴方はそこの番人であり、何人たりとも封牢には近づけさせない】ですぅ」


 伝えたいことはシャキッと言いなさいとセシルは周りからこっぴどく怒られているため、要点だけは別人のようにスラスラと淡々と話す。要点以外は腑抜けた声のため、初めてセシルと話す人は面を食らうだろう。赤面した彼女も例外ではなかった。


「え、ちょっと!でも!私は先生でもなんでもない!ただの番人なんだ!仕方ないだろう!?」


 両手をバタバタさせ、髪の毛を振り乱し、目の涙を溜めながら、今度は我々に慈悲を訴えるように懇願する。決着の時だった。


「慣れない先生役をかってくれてありがとのう、キャミィ!また、上手くまとめてくれたのう、セシル!とういうわけじゃ!みんな封牢には近づいてはならんぞ!何かあってからでは遅いからの!では各自解散じゃ!」


 いつのまにか講壇に立っていたロポが、パンパンと手を叩き講義の終わりを合図した。


 なんだか狐につままれたようだが、ニ時間強の講義にほとほと疲れた生徒たちは、ぶつぶつとなにか文句を垂らしながら各々離席していった。


「なんでこんな長時間の枠にしたんだ!ロポ!」

生徒があらかたいなくなったことを確認してから、唾を飛ばす勢いでキャミィは喚いた。


 キャミィを労うためと、ロポを怪力から守るために、アレンも講壇に登った。


「話したいことが沢山あると思っての。ワシの早とちりじゃて。堪忍じゃ」


 ロポはべろをちろりとだし、ウィンクする。このあざとさは、封牢周辺の恐ろしい魔物ですら許さざるを得ないだろう。


「……ハァ……すごく疲れた。山籠りする百倍はな。そもそも普段一人きりで、独り言もままならないのに。こんな大勢の前で話すなんてできなかったんだ」

 

 先ほどのキレはどこへやら、キャミィは講壇の隅っこに向かい体育座りをしてしまった。封牢の番人が纏う強者の雰囲気はそこには無く、まるでロポより小さな少女がいるように錯覚する。


「ぼ、ボクはすごくわかりやすかったですよ。封牢の位置とか大まかにあそこかなあって検討つきましたし」


 あまりにキャミィが不憫で見てられなくなったアレンは、顳顬こめかみに人差し指をおき、フォローの言葉をどうにかして絞り出す。額の汗が垂れてくるのを眉毛を持ち上げて、落ちないようにした。


「それはむしろ分かってはいけない気がするんじゃが…」


ロポが虚空に呟く。余計なことを言わないでくれと目で訴えた。


 すると、講壇の隅にいたはずのキャミィが顔を、目で追えない速度で上げて、距離を一瞬にしてつめてアレンの目の前で満面の笑みを振りまいた。


「ほ、それは本当か!だろう!昨日寝ずに原稿を考えたんだ!その甲斐があったよ!!」


「あれで寝ずに考えたんだ……素敵な講義でしたよ……はは…はははは」


まさかあの内容で徹夜かよとは口が裂けてもいえず、目が泳いでしまった。だが、そんなことには気づきもせず、調子を得たキャミィは見るからにはしゃいでいた。


「だよな!だよな!お前、わかってるガワだな!」


 女性らしいグラマラスな体型とは裏腹に、がははと笑いながらアレンの背中をバンバンと強く叩くキャミィは、封牢の番人の名に相応しい力をアレンの体にこれでもかと示した。


 アレンの背中の、手の形をした発赤は、ヒリヒリとした灼熱感とともに、数日間消えることはなかった。


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