第2話


「おい、清原。何ぼーっとしてんだよ」


 声をかけられ、俺は体を大袈裟に揺らした。サッカー部の練習着を身に纏った大久保が、腕を組んだまま俺を見つめている。ポカンと口を開けた。


「え? 俺?」

「お前以外に、誰がいるんだよ。なに考えてたんだ?」


 揶揄うように言われ、肘で体を突かれる。高松と三ツ井のいけない場面を思い出して上の空になっていただなんて口が裂けても言えない俺は、無理に口角を上げて微笑んでみた。

 「ごめん、ちょっと考え事してた」と後頭部を乱暴に掻きながら頬を引き攣らせる。大久保は「ちゃんとストレッチしろよな」と言い、アキレス腱を伸ばしている。

 ふと、高松へ視線を投げる。彼も同様、サッカー部の練習着を身に纏っていた。ストレッチを終えた彼は、どこかを見つめている。視線の先を辿ると、彼は校舎を見上げていた。

 窓辺にいる黒髪の猫っ毛を発見し、一気に身体中の体温が上がる。

 ────自習室だ。

 そこは、自習室だった。顔を覗かせているのは紛れも無く三ツ井である。そうか、いつも彼はあそこから高松の様子を眺めていたのか。そう理解し、一人で頷きそうになる。


「おい、清原」


 大久保の声に、俺は返事をした。彼らの関係を覗き見していたとバレたくなくて、大袈裟に振り返る。「ウォーミングアップするぞ」と言われ、彼が蹴ったボールを足で捉えた。

 脳裏に微かによぎったあの日の光景をかき消すように、俺はかぶりを振った。



 部活が終わると同時に、高松はいそいそと着替えを始め、部室を流れるように去った。俺はその背中を見て、慌てて練習着を脱ぎ捨て、制服の袖へ腕を通す。「じゃあまた明日」と部員と目も合わすことなく立ち去り、外へ出る。遠くにいる高松を捉え、その後をバレないように追った。

 ────別に、興味があるわけじゃない。

 単純に、彼が何処へ行くのか気になっただけだ。あの二人の逢瀬を覗き見しようだなんて、そんな悪趣味が心の中で疼いているわけじゃない。

 自分を正当化するかの如く言い聞かせ、陰に隠れながら唇を舐めた。

 案の定、彼は自習室へ向かった。ガラガラとドアを開け、中へ入る。俺も一つ間を置いて、こそこそとドアの前まで近寄った。


「お待たせ」


 聞こえてきたのは甘ったるい声だ。俺は目を見開き、間抜けに口を開いた。その声の主が高松だと知り、驚愕した。友人の初めて聞く声色に、何処かムズムズとした感覚を抱く。


「お疲れさま、高松くん。じゃ、帰ろうか」

「えぇ、良いじゃん。ちょっと、キスして」


 高松が唇を尖らせ、三ツ井の顎を掴む。唇同士を合わせ、何度も喰む高松に「もう」と呆れ、眉を八の字にして拒む三ツ井は、しかしさほど困っていないように見えた。

 目を細め、愛しげに高松の制服に縋る三ツ井に目が釘付けになった。


「ん、っ……ダメだって、ば、もう……」


 口を離すと、唾液の糸が引いていた。淫猥な光景は、哀愁が漂う夕陽に包まれた教室とミスマッチしている。

 高松は三ツ井の首筋に舌を這わせた。同時に、三ツ井の指先が跳ねる。「あっ」「声、我慢すんなよ」。戯れ合う二人は、この世界から切り取られたかのようだ。


「好きだ、ミツ」


 高松の目は、愛おしげに三ツ井を見つめている。砂糖のように甘く、それでいて猛毒のように射るその瞳に応えるように、三ツ井が彼の首に腕を回し、抱きしめた。


「知ってるよ」


 食い入るように見ていた俺の首筋に、汗がだらりと滲む。カラカラに乾いた喉に、無理やり唾液を送り込んだ。

 二人はそのまま強く抱きしめ合い、時折キスをしている。

 ────このまま見続けていたら。

 二人は何処までするのだろうか。いや、俺が知りたいのはそこじゃない。二人は「何処」までする仲なのだろうか。

 頭の奥がぼんやりと痺れる。男同士の行為なんて、見たことない。でも、どうやるかは知っている。二人が絡み合う姿を想像し、目の前が霞んだ。


「あ、っ、だめっ」


 三ツ井の上擦った声で、ブレていた視界がハッキリとする。彼らは今にも行為を始めてしまいそうな勢いだ。高松がシャツの中に手を入れ、三ツ井の耳をべろりと舐めた。「あっ、たかまつ、くんっ!」。三ツ井が目をとろんとさせた。

 俺は思わず前のめりになる。


「っ!」


 不意に、目が合った。三ツ井が、こちらを見ていた。黒い瞳をまん丸とさせ、隙間から覗いている俺を凝視している。三ツ井の驚き具合と同様、俺もその場から動けないほど、驚いていた。心臓が一突きされたようにドクンと跳ね、後ろに尻餅をつきかける。しかし、音を立ててはいけないという無意識の考えがそれを拒んだ。

 三ツ井は声を上げることもなく、高松からの愛撫を受けている。ここで声を上げたら、高松にバレると思ったのだろう、彼は口を噤み、顔を青ざめさせていた。


「……ミツ? どうした?」


 声を漏らさない三ツ井を不審がった高松が、顔を覗き込んだ。三ツ井が「あ、えっと、べ、別に……」と歯切れの悪い返事をしたと同時に、俺は弾けるようにその場から走り去った。

 ────見られた、見られた、見られた。

 いや……これは、互いにそう思っているに違いない。

 三ツ井は行為をしている場面を見られたと思っているし、俺は覗き見しているところを見られたと思っている。

 ────いや、しかし。

 忙しなく動かしていた足をゆっくりと止める。

 あの隙間から覗いていたことが、果たしてバレるのだろうか。目だけが出ているのだ。誰か、判断もできないはずだ。そう考えると、激しく脈を打っていた心臓が穏やかになる。

 そうだ、バレないさ。バレない。俺だって、バレるわけ、ないさ。


「はぁ……」


 なんで覗き見なんかしてしまったのだろうか。俺はどうしようもない後悔の念に襲われ、がくりと肩を落とした。

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2024年12月13日 16:00

[BL]のぞきみ 中頭 @nkatm_nkgm

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