第24話 朱翠影の顔が死んだ。雪華の顔も死んだ


 あふれ返る女たちの中から、皇帝が気まぐれに夜の相手を選ぶ――その中のひとりに加えられるなんて悪夢だ。

 足を折られて籠に閉じ込められた鳥みたいじゃないか? 綺麗な羽を見せてけなげにあるじの気を惹いても、次々に新しい小鳥がやって来る。

 どうしても後宮入りしなければならないのなら、皇帝の妃ではなく、労働要員である女官がいいわよね……雪華は冷めた頭で考える。外に出られないという窮屈さはどちらも同じだが、女官なら皇帝からの愛を乞わずに済むので、心を病まずに過ごせそう。

 雪華が考え込んでいると、対面から朱翠影の硬い声が響いた。


「――熊家の行いは皇帝陛下に対する裏切り行為だ。厳正に処罰せねば」


 確かにそう……雪華は同情しなかった。

 国に対して嘘をつくほうが悪い。雪華が先ほど熊家をかばわなかったのは、それで巻き添えになるのが嫌だったから。

 朱翠影がさらに続ける。


「なぜ熊家は君の存在を朝廷に隠した? 事情があるのか?」


 う……雪華は息が詰まった。

 答えたくない。これは本来、罪を犯した熊家が説明すべきことだ。けれど今すぐ確認したいという朱翠影の気持ちも分かる。

 気まずさから視線が下がり、奥歯を噛む。屈辱と恥ずかしさから、段々と耳が熱くなってきた。

 だって……なんと説明したらよいのだろう? あの軽薄馬鹿男、ゆう郎獲ろうかくの狂った思考回路を……目の前にいる涼やかな武官に話して聞かせるのか?

 いつになく動揺している雪華を見ていられないと思ったのか、幼い豆妹とうめいが慌てて割って入った。


「ええと、二姐アージェが上手に答えられないのは、恥ずかしいせいだと思います!」


 え? 雪華は呆気に取られ、隣席の豆妹を見遣った。

 いきなり何を言い出すのだ、この子は。

 朱翠影も驚いている。


「……二姐アージェというのは、ここにいる雪華のことで間違いないな?」


 二番目の姉を意味する愛称だと誰のことを指しているのかはっきりしないため、朱翠影が念のため確認をする。


「はいそうです」


 豆妹がしっかり頷いてみせた。


「この話題で雪華が恥ずかしがっている? なぜだ?」


「それはですね――地主の息子さんが二姐のことを気に入って、ずっと追いかけ回していたからです! 地主の息子さんは女たらしのうつけ者なので、二姐はそんな男に好かれていることを、朱さんに言いたくないのだと思います」


 豆妹、黙って――‼ 雪華は発狂しそうだった。動揺しすぎて言葉が出てこない。

 固まる雪華を流し見てから、朱翠影が豆妹に尋ねた。


「……なぜ私に言いたくないのだ?」


「だって朱さんに『地主の息子と恋人同士だったのか?』と疑われたくないでしょ?」


「いや、別に疑いはしないし、私に疑われたとしても構わないだろう」


「えー、構いますよお……分かんないかな?」


 話が通じないとばかりに、豆妹が不機嫌にむくれる。

 雪華は横目でそれを見て「いや、むくれたいのは私だ」と恨めしく思った。

 朱翠影はといえば、山村の七歳児に謎にやり込められて『無』の状態になっている。

 豆妹無双――怖い者知らずの七歳児が元気に続けた。


「地主の息子さんがなぜ二姐を気に入っているかというと、顔と体が大好きなのだそうです――あ――体が好きと言っても、裸を見たわけじゃないです。朱さん、心配しないでください。二姐は先ほど腕をあなたに見せましたが、あれは特別なんです。男の人が二姐の手首より上の部分を見たのは、朱さんが初めてのはずです。それでええと――地主の息子さんは二姐が簡単に脱がないから、裸を見たいと言っていました。どうしても見たいそうです。前に通りでそう言っているのを聞いたことがあります」


「………………」


 朱翠影の顔が死んだ。雪華の顔も死んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る