第17話 皇帝の弟君だった……


 武官を長方卓のほうに案内する。

 途中で豆妹とうめいが席から立って、腰にまとわりついてきた。まだ七歳なので、知らない人が入って来て不安なのだろう。


「この子は?」


 武官に尋ねられ、答える。


「隣家の子です」


「……君にずいぶん懐いている」


 子供を前にしても、相変わらず淡々とした物言いだった。膝を折って豆妹に話しかけるわけでもないし、安心させるように笑顔を向けるわけでもない。

 もしかするとこの人は、小さな子供に慣れていないのかもしれない……子供嫌いというわけではなく。

 愛想はないものの、不思議と嫌な感じがしない人だ。それは所作の端々に、実直さと品の良さが滲み出ているせいだろうか。

 そう、団子屋の店内に入ってから――正確に言うと彼が豆妹の存在を認識してから、動作が少し遅くなったように感じる。そして声の大きさも、明らかに先ほどより抑えている。小さな子をおびやかさないよう、あえてそうしているのだろう。

 都会的で怜悧れいりな見た目なのに、中身は素朴なのか……雪華の口角がわずかに上がる。冷たいのか温かいのかよく分からない、面白い人だな、と思った。

 雪華は武官から視線を外し、豆妹の瞳を眺めおろした。


「自己紹介できる?」


「うん」


 豆妹はこちらを見上げて頷いてみせてから、武官のほうに視線を移した。


「私は豆妹といいます。七歳です」


「そうか」


 武官が淡々と相槌を打つ。相変わらず笑みはないものの、視線がいくらか和らいだ気がした。

 子供としてあしらう気はないらしく、彼も誠実に名乗った。


「私の名はしゅ翠影すいえい――年は君の十、上だ」


「じゃあ十七歳?」


「合っている――計算が速いな」


 褒められ、豆妹がにっこり笑う。これでだいぶ打ち解けたらしく、豆妹がさらに質問した。


「朱さんはみやこから来たのですか?」


「ああ」


 ふたりが和やかに話す一方で、少し前から雪華は血の気が引いていた。

 やだ嘘でしょう……この人さっき「朱翠影」と名乗った?

 以前、姐姐から聞いたことがある――現皇帝である慶昭帝は二十歳と年若く、華やかな見た目をした美丈夫であるそうだ。そして慶昭帝には三つ離れた腹違いの弟がいる。その弟君は十七歳だから雪華よりひとつ上になる。

 彼の名は確か「朱翠影」……ええそう、たった今目の前にいる武官の口から、同じ名を聞いたばかりよ。

 朱翠影の実母は身分が低いため、彼には宮中で強力な後ろ盾がない。そのためいつ消されてもおかしくないような、不安定な立場に置かれている。幸い兄弟仲は良いそうで、皇帝が弟を邪険に扱わなかったため、なんとか生きてこられたらしい。

 とはいえ、だ――たとえ彼が皇族にふさわしい権力を持っていないのだとしても、山村育ちの平民からすれば、雲の上の存在であることに変わりはない。

 嫌な汗がブワッと吹き出してくる。

 まずい……すでに色々やらかしている……私は先ほど皇帝の弟君の前で殺気を全開放したのか……あとで首を刎ねられるかも……今から土下座するか?

 いやもう遅い……時間は戻せない……。

 来訪者の中に宦官がいる時点で、後宮からの使いだということは分かっていた。けれどこんな山村に来るくらいだから、お偉いさんは交ざっていないと思うじゃない?


「……どうかしたか?」


 雪華の様子がおかしいのに気づいたらしく、朱翠影が微かに眉根を寄せてこちらを見つめてくる。

 雪華は彼の瞳を見つめ返し、首を横に振ってみせた。


「なんでもありません」


「なんでもないようには見えないが」


 ふたりが喧嘩を始めたと思ったのか、小さな豆妹が割って入った。


「よ、様子が変なのは、もしかして、朱さんが格好良いから緊張してるんじゃないかなあ?」


「………………」


「………………」


 雪華は絶句した。

 朱翠影も固まる。

 子供の無邪気さは時に凶器……雪華は顔を引きつらせた。

 とはいえ悪意のない言葉だし、大人のたしなみとして穏やかに「そうね、朱殿は格好良いものね」と言っておけばよかったのかも。けれどなぜかそうすることができなかった。

 お愛想を口にするには、朱翠影の在り方が端正すぎる――人は圧倒された時、かえって気安く褒められないことがある。本人が目の前にいるなら、なおさら。

 気まずすぎて彼のほうを見ることができない。

 姐姐がいなくなって動揺している時に、どうしてこんな非凡な人が団子屋にやって来るのだろうか。頭がますます混乱してきた。


「……お茶を淹れますね」


 思ったよりも声が小さくなった。

 豆妹にも手伝ってもらい、茶を用意して長方卓に運んだ。手を動かしたせいか、この頃には雪華も落ち着きを取り戻していた。


「豆妹も同席させて構わないですか?」


 尋ねると、朱翠影が目を瞠る。


「しかし……子供に聞かせるような話ではないぞ」


「この子を別の部屋に行かせても、こっそり盗み聞きすると思います。私が豆妹ならたぶんそうするので」


「……分かった」


 朱翠影が了承したので、豆妹が「やった」と小声で呟きを漏らした。


 そして一同着席し――朱翠影から驚きの話を聞かされることになる。


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