第4話 姉がいなくなった


 さて――団子屋の娘であるこう雪華せつかがなぜ朝廷に引っ張り出されて、部下を十名も抱えることになったのか――。

 ことの起こりはひと月前に遡る。


   * * *


 雪華はその朝もいつもどおり、にわとりの鳴き声で目を覚ました。

 簡素な臥具がぐから身を起こし、腕を上げて背筋を伸ばす。

 ――姐姐ジェジェはとっくに起床しているだろう。

 向家は団子屋を営んでいるのだが、朝の仕込みは姐姐が担当し、夜の片づけは雪華が担当するという役割分担になっていた。養父母は雪華がまだ子供の頃に亡くなっているので、団子屋の経営はそのまま姉妹が受け継いだ。

  ぼんやりと中空を眺めたあと、血の巡りが良くなってきた頃にゆっくりと動き出す。

 掛布団を畳もうとして体の向きを変えたことで、枕元に置かれたはさみに気づいた。


「あれ……これは……?」


 細工の凝った美しい鋏だ。親の形見だと言って、姐姐が大切に保管していたものよね?

 鋏の下には四つ折りにした紙が敷かれていた。平民である向家にとっては紙自体が高級品である。

 ……手紙?

 雪華は鋏と紙をおそるおそる手に取った。鋏は一旦膝上に置き、初めに紙のほうを確認することにした。畳まれたそれを開く前に、どういう訳か胸が騒いだ。

 なぜだろう……確認したくない。けれど見ないことには何も始まらないし……。

 強張る指でそっと開く。

 中を見ると末尾に署名もあるし、確かに姐姐の字だ――美しくしなやかな筆跡。団子屋の娘であるのに、姐姐は文字が書ける。


『鋏を預ける。肌身離さず持ち歩くように。燕珠』


 三度目を通した。一周目、二周目、三周目……どんどん心拍数が上がっていく。

 指先が冷え、頭がズキズキしてきた。

 雪華は鋏と紙を脇に置き、臥具から立ち上がった。もつれる足で自室を出る。

 平屋ひらやで広くはないが、家を建てた養父母の好みなのか、簡素な壁で部屋がいくつかに区切られている。

 姐姐の部屋に飛び込んだ――布団は綺麗に畳まれていた。

 あえぐように息をしながら台所に向かう。普段どおりなら、団子を作っている姐姐の後ろ姿を見ることができるはずだ。

 きっといるわ……いつもと同じはずよ……。

 けれど期待は裏切られた。台所は静まり返っている。昨夜雪華が片づけた状態から何も変わっていない。

 雪華はうつろな瞳で周囲を見回した。

 しばらくしてから、のろのろと動き、黙したままふたたび家中を探し回った。「姐姐、どこ?」と呼びかける声がどうしても喉から出てこない――もしも返事がなかったら――おそらく返事はないだろうと分かっているからこそ、耐えられないと思った。

 外に出て、家の周囲も見て回る。

 ああ……いない。

 でも……そのうちに帰ってくるかも。

 急に必要なものができて大きな町に買いに出たとか、きっとそんな事情よ。

 買いもの? そんな訳ないじゃない――もうひとりの冷静な自分が頭の中で否定する。姐姐がすぐに帰宅するつもりなら、大切な鋏を雪華に託すはずがない。鋏の下に置き手紙をしていったというのも不穏ふおんである。

 雪華は自室に戻り、長いこと呆けていた。

 改めて鋏をこわごわ手に取り、しげしげと眺めおろし、意味もなく布で拭いて、ふたたび眺めおろした。

 屋外でにわとりがまた鳴いた。


「……団子を作ろう」


 あえて声に出し、雪華は台所に向かった。

 姐姐の置き手紙に『肌身離さず持ち歩くように』と書いてあったので、鋏は腰帯に挟んだ。

 お店を開けて姐姐を待とう、お昼くらいになれば……きっと帰って来る。

 これはなんてことない出来事よ……雪華はそう思い込もうとした。

 それで「きっと帰って来る」と声に出して何度か繰り返した。


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