微笑みの子育て

エス

微笑みの子育て



 夏美は昔から手のかかる子だった。


 なぜかおむつよりも風呂に入れているときに排泄をした。


「なっちゃん、なっちゃん」と呼んで育ててきたのに、初めて喋った自分の名前は「みーちゃん」だった。


 夏美が二歳になるころ、妻を病気で亡くした。最後の言葉は微笑みながら「娘をよろしくね」だった。


 病気がちでよく保育園から呼び出しがかかった。その度に仕事を早退して迎えに行く。おかげで出世街道から外れてしまった。


 小学校に上がると病気になることは減ったが、代わりに別の問題に悩まされた。


 宿題を近くの用水路に捨てたり、他の子に意地悪をしてよく電話がかかってきた。呼び出しを受けたことも両手では足りないほどだ。その都度叱っては言い過ぎたと後悔する日々を送った。



 中学校では立場が変わる。


 先輩に目をつけられていじめられるようになった。俺の時代とは違い、いじめられていたら無理して学校に行かなくてもいいという風潮も広がっていたから、夏美にもそれを伝えていた。

 しかし夏美は「休んだら負けだから」と時代にそぐわないことを言って通い続けた。学校には何とか行っていたが、結局好きだったバレーボール部は辞めてしまった。



 高校受験の際にも衝突した。


 成績がまるで届いていない高校を志望したため、「それなら勉強をしっかりしないとな」と何度も忠告したにもかかわらず、家で勉強している姿は見たことがない。塾や家庭教師も勧めたが、「自分でやる」の一点張りだった。


 最後の模試の結果を踏まえて「無理だから志望校を下げなさい」と言ったが、「パパは娘のこと信じてないんだ」と返され、そのまま受験し、そして不合格となった。

 結局、夏美本人は一度も見学したことのない、俺が説明会だけ聞いて決めた私立の滑り止め高校に進学した。



 高い学費を納めたが、夏美は一ヶ月もしないうちにその高校を退学した。


 理由はわからない。自宅でどうしようもなく暴れ、ほとんど脅迫されるような形で退学の手続きをさせられた。


 その後はどこで知り合ったのか、ガラの悪い友だちとつるむようになり、夜中に出かけて朝に帰ってくる。時には帰って来ない日もある。やはり俺はその都度注意したが、聞き入れられることはなかった。そんな日々が一年以上も続くようになった。


 夏美が幼いころは「こんなに手のかかる子でも、なんだかんだ普通に高校へ行って、普通に就職して、普通の人生を歩むのだろう」と思っていた。しかし現実はどうだ。


 男手ひとつで俺なりに精一杯育ててきたつもりだったのに。俺が甘やかしすぎたのか。それとも厳しい言葉で傷つけたのか。


 俺は近所に住んでいる自分の姉に相談した。


 自らの不甲斐なさから、姉に話すことを躊躇っていたが、もうそんなことは言っていられない。姉夫婦は子どもを授かっていなかったから「具体的なアドバイスはできないけど、うちで夏美ちゃんを預かってもいいよ」と言ってくれた。もちろん俺はお礼を言って断った。



 だが、しばらくして夏美は姉の家に住むことになった。


 姉の家に住み始めた日。まさにその日から夏美は変わった。


 金髪を黒く染め直し、夜遊びをしていた友人たちとも徐々に距離を置く。たまに出かけることはあったが一、二時間で帰宅するようになり、じきに遊ばなくなった。さらに姉の家で熱心に勉強をするようになった。高卒認定試験を二年かけて取得し、その後は簿記だか会計だかの専門学校へ進学する。卒業後は毎日のように悔し涙を流しつつ就職活動に精を出し、どうにか中堅の商社に就職することができた。


 そこで一年ほど働いたくらいだろうか。職場内で先輩だった五歳年上の穏やかそうな青年との交際をスタートさせた。落ち着いていて、何より夏美を大切にしてくれる好青年だ。




 そして今日。


 ウェディングドレス姿の夏美が、穏やかな青年の隣に佇んでいる。


 夏美は幸せそうな笑顔で泣いていた。


 泣きながら手紙を読んでいる。


 夏美の目の前には姉夫婦が同じく泣きながら立っていて、夏美の読む手紙を聞いている。


 その手には俺と妻の遺影。


「私は二人のパパと二人のママに育ててもらえて幸せです。ありがとう」

 

 写真の俺も妻も微笑んでいた。



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