第5話 オオカミ少年①

『誰にも信じてもらえなかった少年は、飼っていた羊をみんなオオカミに食べられてしまいました』



 あれ、俺は一体何を……。


「だから、おまえの言うことなんて信じられないって言ったんだよ」

 突然の声に、ハッとして顔を上げる。

 そこには顔をしかめてこちらを見下ろす警察官の姿があった。


 あ、そうだった……。

 俺、はなから連絡をもらって……。


「本当なんだよ! 施設でアイツが暴れてるんだって! 頼む、助けてくれよ!」

 背を向けて歩き出そうとする警察官に、慌てて追いすがる。

 そうだった。急いで助けに行かないと!


「アイツって施設長のことだろ? あんな立派な人が暴れるわけないだろ。っていうか、いつも暴れてるのはおまえの方だろうが」

 警察官はそう言うと、俺の手を振り払った。


 違う、違うんだよ……。

 どうしてこんなことに……。

 いや、どうしてかはわかっていた。


 事の始まりは、文房具屋での万引きだった。

 遊び感覚でやったわけじゃない。

 小学校に入学する日向に、なんとか新しい筆箱をプレゼントしたかった。

 それが間違いだったのはわかってる。反省もした。

 だが、反省して終わりにはならなかった。


 それ以降アイツが施設で起こした問題はすべて俺のせいになった。

 自立しようとバイトを始めても、アイツは心配するフリをしてバイト先に来て、万引きの過去をバラし、その店でも物を盗んだように見せかけた。

 そんなことを繰り返すうち、気がつくと誰も俺の言葉を信じなくなった。

 でも、別にそれでよかったんだ。

 施設にいるやつらは、みんな俺のことを信じてくれたから。


 だから、アイツに殴られることにも耐えた。

 俺が抵抗して、ほかのやつらが殴られる方がよっぽど耐えられない。


 ただ、その結果がこれだ……。

 俺は奥歯を噛みしめた。

 警察官を連れていくことを諦め、俺は施設に向かって走り出した。


 華がアイツを殺そうとするなんて……。

 俺の責任だ……俺がこんなだから……!


 遠くに施設の入り口が見えた。

 ドアは壊され、薄暗い部屋の様子がかすかに見えている。

 クソッ……!

 二人は無事なのか? いや、大丈夫だ、絶対!


「……やめろ!」

 入り口に辿り着くと、日向の泣き叫ぶ声が聞こえた。

 急いで声のした奥の部屋に駆け込み、見えた光景に思わず足が止まった。

「なッ……」


 アイツが華に馬乗りになり、マフラーで華の首を絞めていた。


「やめろって!」

 日向は泣きながら、アイツを華から引き離そうとしていた。

「邪魔だ!!」

 纏わりつく日向の服を掴み、アイツは日向を床に叩きつけた。


「ひ、日向!」

 ようやく我に返り、日向に駆け寄ると、日向は初めて俺に気づいたようだった。

「お兄ちゃん!! アイツがお姉ちゃんを……!」

 日向の目には涙が溢れていた。


 華はバタバタと足を動かし、必死にアイツに抵抗していた。


「おお、達也かぁ」

 アイツは華の首を絞めたまま、かすかに振り返り笑った。

「こいつ、俺のことを殺そうとしやがったんだよ。こういうヤツには教育が必要だ。そうだろ? 達也ぁ」


 顔から血の気が引いていく。

「や、やりすぎです! 死んだらどうするんですか!?」

 慌ててアイツの腕を掴む。

「あぁ? これぐらいで死にゃしねぇよ。おまえにもいつもやってることだろ?」

 アイツの言葉を聞き流し、華を見ると顔は赤く染まり、見開いた目はひどく充血していた。

 ダメだ! 今すぐやめさせないと……!

「こんなことして……」

 急いでアイツに視線を戻すと、何かが視界の片隅で鈍く光った。


「動くな!」

 その瞬間、アイツの首元に包丁の刃があてられた。

「お姉ちゃんを離せ! 動いたら……こ、殺すからな!」


「日向!?」

 日向はどこから持ってきたのか、包丁を握りアイツの首元にあてていた。

「あぁ!? そんな脅しが通用するか!」

「お、脅しじゃない! 僕は……本気だ!」

 次の瞬間、日向はアイツの頭にのしかかるように、アイツの首を刃に押しつけた。

「ひな……!?」

 止める間もなく、日向が勢いよく包丁を引いた。


 ピシャッと生ぬるいものが、顔に飛んだと思った瞬間、絶叫が響き渡る。

「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 アイツは華の首を絞めていたマフラーから手を離し、立ち上がって傷口を抑えた。


 傷が深いのか血は勢いよく溢れ出し、華の顔やマフラーまで血で染めた。

 あまりの出来事に言葉が出なかった。


「てめぇ! 殺してやる!!」

 アイツは日向の服を掴むと、振りかぶって日向の顔を殴りつけた。

 あまりの力に、日向はクローゼットに叩きつけられる。

 力なく崩れ落ちる日向の腹を、アイツが全力で蹴り上げた。


「お、落ち着いてください!! そんなことしたら……!」

「死ね! 死ねや!!」


 まるで言葉が届いていない様子のアイツに、俺は頭を搔きむしる。

 何か、止める方法は!


 そのとき、アイツがいつも俺を殴るときに使っていた杖が目に入った。

 これで気絶させれば……。

 大丈夫、俺もいつもこれで殴られてるし、気絶させるだけだから……!

 急いで杖を掴むと、俺はとっさにアイツの後頭部めがけて振り下ろした。


 鈍い音が響き、アイツが力なくその場に崩れた。

 やった……!

 俺はようやく息ができた気がした。


 アイツはピクリとも動かない。

 気絶……しただけだよな?

 急いで呼吸を確認する。

 え……? 息……してない?


 体中から血の気が引き、指先が震え出す。

 俺は手に持った杖を見た。

 杖の先は意外なほど鋭利で、そこにはべっとりと血がついていた。

 全身の力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。


 ああ、どうして……。

 どうして、こんなことに……。

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