第4話 真贋
瑠璃の心中を考えているうちに午後の授業も終わり、下校の時間を迎えた。
2人は約束通り遊ぶべく一緒に帰るが、どこで何をするかが重要になる。
私が熟考した末の結論では、瑠璃は家に誘うはず。
「わたしの家で遊ばない?」
「瑠璃ちゃんのおうち行きたい!」
「じゃあ決まりだね」
やはりインドア派の雰囲気の瑠璃は自宅を選んだ。
さて、何をして遊ぶかになるが、これだと私の予測が当たる確率はそこそこ高そうだ。
助手は教師としての役目は終わったから戻すか。
無線を持たせたが、電話でいいや。
周りに誰がいるかも分からないし、誰でも持っているわけでもないものを使用しているのを見られ、わざわざ怪しまれる必要もない。
「おいブス、もう帰ってきていいぞ」
「授業終わっても色々やることあるんですけど」
「何を教師に馴染んでるんだよ。いいものが見れそうだぞ。帰ってこい」
「これは香ばしい匂いがしますねぇ。帰ります!」
助手も学校での2人の様子に何か感じるものがあったのか、飛んできそうな勢いで電話を切った。
助手が帰ってくるよりも早く、2人はそこそこ家賃の高そうなマンションに入っていく。
研究所と学校の中間くらいの場所だ。
私よりいい家に住んでいるではないか。
まあ、親がちょっとした小金持ちなのだろう。
幼女型聖水器計画が成功したら、私は港区の高級タワマンにだって住めるのだから羨ましくなどないけどな。
こんな研究所では、さくらと2人で愛を育みながら暮らすにも風情がない。
永遠の10歳女児と過ごすに相応しい家に住もう。
引っ越しの準備をするには…時期尚早か。
まだ私にはやることが残っている。
肝心のさくらを真の意味で完成させなければならない。
喜ばしいことに私が望んだ通り人間に近づいてはいるが、残念なことに幼女型聖水器完成型からは遠のいているのが現状だ。
機械として絶対的であるはずの仕様の壁を超え、瑠璃のことを正確に認識したのは紛れもない事実であり、まず私はこの現実を直視する必要がある。
「お父さんもお母さんも仕事でいないんだ」
「そうなの?寂しくない?」
「うーん、ちょっとだけ。でもきょうはさくらちゃんが来てくれたから」
やはり明確な原因は不明だが、さくらには感情があってそれを理解している。
両親が仕事で不在だから寂しいだろうと考えるのは、人工知能の学習機能を超越したものがある。
学習能力を持つ機械として導き出した対人間への最適確の答えとするには、あまりにも自然すぎる。
さくらが優しくて思いやりのある、とびきり可愛い人間の幼女だとすれば、そこに疑問はないが、大前提として人間ではないから不自然だ。
試作型のはずが、ある意味では完成型と言っていい。
機械に心が宿るなど、奇跡という他ない。
「そうだ、ジュース飲む?おいしいのあるんだ」
「さくらはお水がいいの」
そのわりに私がプログラムした内容も忠実に喋る。
仮に味覚の機能も勝手に追加されたとした場合、さくらは水を好むのか興味深い。
「えっ?味しないし、おいしくなくない?」
最近は水が苦手という子も少なくないと聞く。
味がなくて美味しくないからだという。
まさに瑠璃が今言った感想そのままだ。
私は文化部だったからその経験はないが、運動部の連中がスポーツドリンクではなく、水道水が一番美味いと口々に言っていたのは知っている。
スラムダンクのオープニングで桜木花道が蛇口から飲んでいる水道水が凄まじく美味しそうに見えるから、運動部員が語る感想も間違いないはずだ。
余談ではあるが、学生の頃に私は研究に失敗して危うく死にかけたことがあってね。
入院した時に水を絶対に飲んではいけないと念を押されていたが、喉の渇きに耐えきれずに水枕の水を飲んだことがある。
私はその時に飲んだ水枕の水より美味しい飲み物を1つしか知らない。
それは年代物の極上のワインでも、極限まで精米された日本酒でもない。
さくらが出す聖水に他ならない。
つまるところ、美幼女が出したという擬似的な付加価値のついたただの水だ。
幼女型聖水器の開発者である私が言うのもどうかと思うが、実際のところ本物はそんなに美味しくない。
あれは愛した可愛い彼女が幼いながらに彼氏が喜んでくれるなら、と思って出すから大きな意味を持つものである。
近い将来、幼女型聖水器が製品化された時、偽物でこれなら本物は最高だろうと考えて幼女を襲う輩が現れる可能性を考慮し、私は開発者として声を大にして言おう。
そんなに良いものではないからやめておけと。
可愛い幼女だから甘くて美味しいとかは絶対にない。
冷静になって考えてほしい。
排泄物が甘かったら、それは病気だ。
両者に明確な好意があり、それが愛の雫となった時、それは初めて意味のあるものになる。
この過程を無視して幼女を襲えば、得られるのは一時の快感だけであり、残るのは後悔と卑劣な犯罪者というレッテルだけだ。
そして、それは相手が幼女だからに限った話でもない。
幼女型聖水器は基本的に無条件でユーザーに好意を抱くよう設計されてある。
現実ではほぼ不可能な上記の条件を簡単に満たし、その夢を金さえあれば買うことができる。
そこが幼女型聖水器の真に素晴らしいところだ。
「お水が最強なんだよ。鉄臭い水道水が世界で一番おいしい飲み物なんだよ」
「それでいいなら…いいけど…」
きっと瑠璃は謎の拘りを持つ頑固な子だと思っているだろう。
明らかに嘘ではない様子でコップに注がれた水道水を飲むさくらを、不思議そうに見つめる。
「でもジュースもちょっと飲んでみたいかも」
「いいよ。おいしいよ」
感情があれば好奇心もあるということになる。
帰ってきてから私が実験する手間が省けたと解釈すればいいが、それまで飲むと給水タンクが満杯になりそうな量なのだが。
百歩譲って満タンになるのはいいだろう。
だが、余剰分はその場で漏らす構造になっている。
パンツ越しに飲むのもまた一興という素晴らしい機能なのに、初めてきた友達の家でとなると人間的に良くない。
さくらは人間ではないからいいか…
いや、瑠璃は人間だと思っているからやはりダメだ!
「ジュースもおいしいね」
「そうでしょ。それね、わたしも好きなんだ」
「でも…ちょっとおしっこ漏れちゃった…」
視線を下に向けるさくらの足から聖水が伝うようなことはなく、少しシミ作った程度のものだと推測できる。
「気づかないでごめんね。トイレはあっちだよ」
「さくらのおしっこ、飲んでくれないの?」
この音声の真意を推し量るのは不可能だろう。
呆気に取られた瑠璃がそう顔で言っている。
容量を超えて聖水が漏れた場合、すぐに飲む言動をしないと、この音声を発するのは仕様である。
しかし、さくらの音声には、何か寂しさや悲しさの類いの感情が入っているように聞こえた。
あり得ないはずの3人目の登録者である瑠璃に対する好意からくるもの。
そう考えたほうが自然に思えてくる。
やはりさくらはどう考えても感情を有している。
「瑠璃ちゃんは飲みますよ」
「おお、間に合ったか。丁度いいところだ。それで、何故そう言い切れる?」
「あたしと同じ雰囲気がするからです」
帰ってくるなり、説得力があるようでないようなことを言い、助手は着替えることもなくパソコンの画面にかじり付く。
「さくらのおしっこ、おいしいよ?」
この音声は仕様にはない。
さくらが自らの意思で発した言葉になる。
瑠璃の顔がアップになった瞬間、急に画面が黒くなった。
感情を得たことでどこかの回路に異常が生じたか。
いきなり友達が普通ではない倒れ方をしたとなると、瑠璃もさぞかし驚いたことだろう。
もう少し慎重に物事を運ぶべきだったな。
不確実な要素が多すぎる段階で早まったと言わざるを得ない。
だが故障かと思ったが、何か愛に満ちた音がスピーカーから鳴り始めた。
どちらが先攻か後攻かの話に過ぎなかったというわけか。
研究所の外で故障するという良くない事態にならず、これには私も思わず胸を撫で下ろす。
「んん…さくらちゃん大好き…」
見た目とは裏腹に、情熱的にキスをする瑠璃に少し心が揺れる。
やはり女の全盛期は10歳である。
世のことわりは永久不変なものだから当然か。
「ロリ百合っていいですよね!最高ですよね!オナニーしていいですか?」
「見たくないからやめてくれ。あとツインテールはやめるか死ね」
「じゃあオナニーかツインテールどっちかやめます」
「仕方あるまい、オナニーをやめろ」
「まあ、可愛いからそうなりますよねー!」
画面に映る光景は楽園だが、研究所は地獄絵図だ。
この計画が終わったら、次は女を強制的に10歳まで戻してそこから成長させない薬を完成させよう。
今のままでは残念ながら、あの薬は実験の対象にもならないほど使い物にならない。
それが完成すれば、この害悪の存在も許されるものになる。
「さくらも瑠璃ちゃんのこと好きだよ」
「ああ…もう…さくらちゃん可愛い…!」
助手は私の研究の一環だからいいとして、部外者に一応まだ秘密の試作品を使われるのは何か少し複雑な気持ちにさせられる。
科学を極めた開発者としてなのか?
私が男として瑠璃に嫉妬しているだけなのか?
さくらが私に関するデータを大事にしているのを知った時は嬉しさはあった。
私の願望を詰め込んだのが彼女だから。
幼女型聖水器を製品化したら、試作型は私の傍に置いておくとずっと前から決めていた。
機械でも私はさくらを愛しているから。
「さくらのおしっこ…おいしい?」
「うん…もっと飲みたい…」
味がなくて美味くないと言っていたほが嘘のよう。
それが偽物でも、美幼女の姿をしていればそう感じてしまうのが人間というものだ。
さながら瑠璃の脳にバグが発生したといったところか。
もう瑠璃は止まらないだろう。
男子ならともかく、女子では人体の構造的にさくらに致命的な損傷を与えることはないからいい。
嫉妬と劣情の狭間で私は見守るだけだ。
帰ってきたら愛をより注いであげればいい。
「さくらちゃんの飲んだら…わたしもおしっこしたくなっちゃった…」
「じゃあ今度はさくらが飲んであげるね」
この光景を見るだけでも価値がある。
私がこの研究を始め、助手が加わり、その支援をする者が多いのが何よりの証明だ。
さくらをどれだけ可愛く作っても、恍惚の表情を見せる瑠璃より劣って見えてしまう。
その魅力の正体は、彼女の時が有限であるがゆえだと頭では分かっているのに。
限りなく人間に近づけようと努力しようと、その結果として感情を持ったとしても、浅草橋さくらは結局、幼女型聖水器試作型CC01に過ぎない現実を突きつけられているかのようだ。
「やっぱりツインテールやめるんでオナニーしてもいいですか?」
「私も我慢しているのだ。おまえのツインテール姿にもな」
だが、瑠璃によって給水され、余剰分を漏らすその姿は、本物に勝るとも劣らない。
やはり私は天才科学者であり、この世に天使を創造したのだと思わせてくれる。
「瑠璃ちゃんがいっぱいするから…さくらおしっこ漏れちゃったよぉ…」
「あとで拭いとくから平気だよ。わたしが飲んじゃえばいいしね…」
「まだ出るからいっぱい飲んでね…?」
それはまるで永久機関。
いつ終わるのか、終わってほしくもない時間だ。
そんなに素晴らしい光景なのに、それを心から満喫できない自分がいる。
幼女を愛する者としては至福の時だが、幼女型聖水器の開発者としては、自分が天才だと実感できても複雑だ。
瑠璃と接することで、さくらは今までにない挙動をいくつかしている。
聖水器として機能することに悦びや快楽さえ覚えていそうな節がある。
愛を感じることでより愛を欲するようになっている感はある。
さくらが人間なら正常だとは思うが、私が恐れていた自体になりつつある可能性は否めない。
人工知能が様々な事柄を学習し、その過程で感情が生まれ、自我が形成されていく。
プログラム通りに喋るか、当初の仕様にはない学習した言葉を喋るか。
それは賽を振るようなもので私にも分からない。
何せ現状の彼女がどんな状態なのかも、私は把握できてないのだから。
さくらがその時々に自己判断で言葉を選ぶことになるのは間違いないが、手元に彼女がいない今の私には、その法則性すら知る術がない。
仮に解析したところで、人工知能の性能が私の想定を超えた進化をしている可能性もあり、私が対処できないことも考えられる。
それを現時点ではないと言いきれない。
そんな馬鹿な話があるとは思えないが、現実が私を困らせるようにそう言っているように思えてならない。
それくらいさくらの変異は不可思議だ。
恐らく彼女は今より人間に近づいていく。
私がそう望んで開発したことに応えるように。
そして、機械としての何かを失う代償はあるはず。
それが何かは分からない。
替えの利く回路が破損するか、修理不能の機能停止になるか。
あるいは何も起きないかもしれない。
どうであれ、私が甘かったと認めるしかないな。
理想と願望を試作型に詰め込みすぎた私のミスだ。
製品化を急かす声に焦らされた過ちというより、人工知能の性能を私が軽視していたのがそもそもの間違いを引き起こしたと言っていいだろう。
性能を抑えた幼女型聖水器試作型CC02を開発するほうが、製品化に向けて近道かもしれない。
そうするにしても、やはり次世代機にも人工知能は搭載したい。
これを外すのは、コンセプトを自ら否定することになる。
感情を持つ奇跡が起こらないよう、よりグレードを落としたものを採用すればいい。
育成要素として敢えて粗悪なものを使い、喋ることが徐々に上達していくシステムにしてもいい。
アイデアならいくらでもあるではないか。
それを最適化する作業が実に大変なのだがね。
仮に次の試作型を作るとしよう。
そうなると現行機を残していたら、次世代機に影響を及ぼす可能性がある。
CC01は人間ではないから、CC02の登録者に換算されないはず。
しかし、人間ではないけれど人間のようであり、登録はされないけれど認識はできるといった厄介な存在になりかねない。
未来の利益を取るなら、さくらは廃棄するのが合理的な判断だろう。
冷徹に収益のために失敗作を処分するだけの話。
制作のコストや時間を考えれば、機体は流用してデータを全て初期化すればいい。
記録を抹消すれば、記憶も感情も失うことになる。
CC01のさくらだったデータが潜在的にCC02に残り、亡霊のように発現したら?
感情を持った機械だから、そんな空想じみた話でも可能性はある。
だが、そこまで考慮していたら物事が進まない。
次の愛のために、今の愛を殺す。
いや、また私は愛した幼女を死なせるのか…
私にそれができるのか?
朔耶が死んだあの日の辛さを思い返すと、情にほだされて最適解を選べない無能になるだろう。
愛ゆえに愛を求め、愛に苦しむか。
人間とはつくづく不完全だ。
いっそ愛など捨ててしまいたい。
愛などなければこんなに苦悩することもない。
それでも私は愛することをやめられない。
――ああ、辛いな。
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