十、【小六】やまなし
五月。
蟹の兄弟が谷川の底で「クラムボン」について喋っています。
日光の差し込む中、水面近くでは一匹の魚が行ったり来たりしていましたが、何かに襲われていなくなってしまいます。
父親から「魚はかわせみに怖い所へ連れていかれた」と教えられ、兄弟は震えます。
十二月。
成長した蟹の兄弟は泡の大きさ比べでケンカをして、父親から
そんな折、水の天井にやまなしが落ちてきます。月明かりの中、三匹はやまなしのいい匂いを追います。
「何日かすればやまなしは下へ沈んで、独りでに酒ができる」と父親が言い、三匹は帰っていきます。
■
この作品を語る際に必ずと言っていいほど話題に上るのが、「クラムボンとは何なのか」ということです。
授業では「クラムボンが何かは誰にも分からない」と説明があり、小六の私はえらく驚きました。
教科書に載っている話なのに、正解がないなんて、と。
当時の私は、何でも正解を選びたい子供でした。間違えることが怖かったし、テストで満点さえ取れば大丈夫だと思っていたのです。
だからこそ「クラムボン」の存在は衝撃的でした。分からなくてもいいものがあるという戸惑いを、今でもはっきり覚えているほど。
大人になって読み返しても、クラムボンはおろか、何が主題となっている話なのかということすら、いまいち掴みどころが分かりません。
これは幻想小説というジャンルの文学作品で、ストーリーから何かを得るタイプのものではないのでしょう。
全体を通して、色彩表現が豊かです。谷川の底から見上げる水の中の様子が目に浮かぶよう。冒頭の一行に記された通り、「青い幻灯」という表現がぴったりです。
また擬音が独特です。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」
「三びきはぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました」
「その上には月光のにじがもかもか集まりました」
こうした不思議な響きが、特有の雰囲気を作っているようにも感じます。
五月と十二月、二つの情景はどことなく対照的です。日光と月光。恐ろしいものと美しいもの。そして死と生。
共通して描かれているのは、命の理であるように思えました。
笑ったり殺されたりするクラムボン。行ったり来たり忙しい魚と、それを食うかわせみ。
熟したやまなし。数日後にそれを食うであろう蟹の親子。
全てがこの世界に内包され、共存し、生態系を築いている。
蟹の兄弟の目から見た「悪いこと」や「怖いもの」、それはただの一視点から判断されるものでしかなく、生きとし生けるもの全てにそれぞれの正や誤や是や非がある。
私がクラムボンの正体を知らないのは、それが私自身の道理の中にはない概念だからなのかもしれません。
それにしても、なぜ『やまなし』というタイトルなんでしょうね。
作中、やまなしに関する描写はひたすらきらきらして、たまらなく美味しそうです。
それは、蟹の親子にとって明日を生きる希望なのでしょう。とりわけ、親から子供らへと示された希望でもあります。
誰の生きる道にも、『やまなし』のようなものは必要ですね。
上記は私個人の感想です。この年まで生きて、ようやく自分の腑に落ちる読み方ができました。
読む人の数だけ解釈があると思います。
もしかすると、読むタイミングによっても、心にフックするものが違うかもしれませんね。
作・宮沢賢治、絵・黒井健『やまなし』 光村図書『国語六 創造』2024年発行版 p.112〜122
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