水たまりの職人

浅野エミイ

水たまりの職人

 「水道管が破裂した」――。

 今日この通報が来たのは何回だろうか。考えるよりも先に、俺たちは現場へ急行する。困り果てている家主さん。庭の地面は泥だらけ、というよりも大きな池になっている。

 こんな寒い日に、俺たちはこの池の中をじゃぶじゃぶと軽装備で入っていく。防水仕様になっているはずの長靴だが、中はもうぐちゃぐちゃ。靴下も湿っているどころではない。寒い中、腕を冷たい水に浸けて数時間。水道管の修繕を終えると、車の中で後輩が文句を垂れた。

「この寒い中、水道管を修理する仕事なんて、好き好んでやってないですよね。家主はいいご身分だ。オレたちに任せておけば直ると思ってるんだから」

「実際直るだろ?」

「『直してやってる』んです」

「まぁまぁ」

 後輩がイラつくのもわかる。この寒さだし、何と言っても昼飯の時間を過ぎている。この後も、もう一件行かなくてはならないが、腹がへってはなんとやら。

 俺は車をコンビニに止めると、後輩に「寒いだろうから待ってろ」と残し、店内へ向かう。長靴からスニーカーに履き替えた俺は、緑のたぬきを2つカゴの中に入れ、おでんをいくつか店員さんに頼む。おでんは袋に入れてもらい、お湯を入れさせてもらった緑のたぬきを両手で持って車へ戻ると、後輩にドアを開けてもらった。

「ほら、今日は俺のおごりだ。寒かっただろ? あったかいもん、食え」

「あざす!」

 後輩は緑のたぬきを1つ受け取り、おでんの容器をシートの間に置いた。卵、ちくわぶ、あと大根2つずつ入っている。

 後輩はカップの紙フタを取り、さっそく緑のたぬきのつゆをまず飲む。

「かぁ……染みる。あったけぇ」

「だろ?」

 俺も柔らかくなった天ぷらを箸でほぐすと、つゆを口にしてからそばをすする。冷えた体につゆの温かさが染み、鰹だしの甘さが舌を満足させる。はぁ、うまい。何度食っても、この寒い冬に食べる天そばの良さは変わらない。そばは忙しい人間の味方だ。サラリーマン時代はよく立ち食いそばの世話になっていたからな。今は立ち食いそばから緑のたぬきに変わったが。

「あの、先輩はどうしてこの仕事してるんですか? そこそこ給料はもらえますけど」

「そうだなぁ……この一杯のためだろうな」

「は?」

 後輩が意味不明と言った表情を浮かべる。俺は続けた。

「例えば、今俺たちは緑のたぬきとおでんを『温かい』と思い、感謝しながら食べているわけだが……もしこれが普段から温かいものを食べられる環境にあったら、そのありがたみがわからないと思うんだ」

「……はぁ、わかるようなわからないような」

 後輩の答えに、俺は笑った。

「いいよ、無理にわからんでも。これは俺の気持ちの問題かもしれねぇからな。まぁ、ただ言いたいのは、『小さな幸せを忘れず噛みしめて生きてゆきたい』ってことだな」

「小さな幸せっすか」

 そう後輩はつぶやいて、またそばをすする。

「これに酒が付いたら、オレも幸せを感じられそうっす」

「ははっ、お前は素直だな」

 確かに、熱燗があったら最高に幸せだろう。だけど俺は、昼の冷える仕事の間に食べる『これ』に、生きている幸せを感じるのだ。


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水たまりの職人 浅野エミイ @e31_asano

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