老執事ときつねのお嬢様

浅野エミイ

老執事ときつねのお嬢様

 黒くて長い髪のお嬢様はいつも元気だ。もう70を過ぎた私がお世話するには、手がかかりすぎる。しかし、長年この家に仕えて来た者でなくては、お嬢様のお世話をすることができない。それはなぜか——。


「それじゃあおやすみなさい!」

「はい、お嬢様。よい夢を」


いつまでもはしゃいでいてなかなか眠らずにいたお嬢様に布団をかけると、やっと寝る気になってくれたようだ。

 私が立ち上がると、お嬢様は変身を解く。どろん。

 ベッドの上には子ぎつねが一匹。これがお嬢様の本当の姿。私の仕えるこの家は、きつねの一族なのだ。もちろん他の人間に知られてはならない。


静かに部屋を出ると、トントンと腰を軽くたたいた。はぁ、ようやく長かった一日が終わる。


 お嬢様の召し上がったホットミルクを片付けるために、キッチンへ向かう。そこにあったのは、段ボールに入った赤いきつね。はて、こんなもの誰が用意したのだろう。


『いつも頑張ってくださる皆様へ。夜食用に買っておいてくれたものです。よかったらどうぞ』


 旦那様からだ。いつも旦那様は私たちを気にかけてくださる。きつねだからとか、人間だからとかは関係ない。私たち使用人とこの一家にあるのは太い絆だ。

 ありがたく思いながらひとつ手に取ると、さっそくやかんで湯を沸かす。その間にフタを開け、粉末スープと七味を取り出す。そのとき顔を出すのが、お揚げ。旦那様の大好物。うどんの上に粉末スープをかけて湯が沸くのを待つ、22時。こんな時間に夜食など、久しぶりかもしれないな。旦那様に感謝しているうちに、やかんがシュッシュッと沸騰を知らせる。

 赤いきつねに湯をとぽとぽと注ぎ、フタをすると。一日の出来事に思いを馳せる。今日のお嬢様も元気いっぱいだった。私を引っ張って庭を駆けまわり、そのあとはお屋敷で鬼ごっこ、使用人にいたずらときたもんだ。でも仕方がない。お嬢様には友達がいない。まだ人間の姿でいる時間に慣れていないから、外へ出ることができないのだ。

お嬢様は立派なレディに成長してくださるだろうか。いや、立派なレディになる前に、まずは人間にきちんと変身できるかどうかだ。まだたまにしっぽを出してしまっているときがある。そういうときは私が注意するのだが……いつまでこの家にお仕えできるかな。お嬢様の成長を見守ることができるだろうか。私もいい歳だ。いつ働けなくなるかわからないから、今できることを精一杯やりとげたい。

 さて、もう5分経っただろうか。フタを開けると鰹だしの香りがふわん。箸でお揚げを半分に折り、うどんとまだ溶け切っていなかった粉末スープを混ぜる。そしてようやく私はカップに口をつける。うまみの効いたおつゆが、老体にしみわたる。

 『老体』など、まだ言ってはいけないな。お嬢様はきっと、明日も駆け回る。たくさん遊んで、いたずらをして。そうやって立派な大人になっていく。

 うどんをおつゆに絡ませ口に運ぶと、麺についた小ねぎの味が口の中でアクセントになる。ああ、美味しい。

夜食をいただいていると、不思議なことに元気が出てくる。私もまだまだお嬢様に負けてはいられない。旦那様の元で働かせてもらっているうちは、きちんと使命を果たしたい。

 これを食べきったら今日の業務日誌を書いて、また明日に備えよう。明日もまたきっと、お嬢様に引っ張りまわされるのだから。

 明日の私を想像すると、なんだか微笑んでしまう。

——私もまだまだ頑張れそうだ。

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老執事ときつねのお嬢様 浅野エミイ @e31_asano

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