虚実模型

第12怪 まだ終わっちゃいない

 朝。


 目覚めると、激しい倦怠感に苛まれた。


 笑花を失ったショックから立ち直れず、何もする気が起きない。学校は欠席した。


 今はベッドの上で布団に包まっている。


 自分の無力さが憎い。笑花はぼくに救いを求めていた。それなのに気付いてやることが出来なかった。


 気付いたのは全てが終わった後……。


 ぼくみたいな馬鹿がどこにいる!


 大切な妹を救うことが出来ず、ただただ悔やむだけ。自分を呪い殺せたらどんなに素敵だろう。


 死にたい。笑花と変わってやりたい。


 兄として、妹を守るという義務も果たせなかったぼくは、最低の人間だ。


 笑花を失った事実が悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。気付くと、涙で枕がびっしょりだった。


 頭が痛い。鈍器で叩かれているかのようだ。


 でも頭は休まることを知らず、笑花との思い出を走馬灯のように浮かび上がらせる。


 涙が止まらない。笑花はまだこの世にいて、すぐ近くにいるようだ。


「お前と会いたいよ、話したいよ……」


 泣き疲れたのか、瞼が重くなる。


 ぼくは何かを抱くようにゆっくりと眠りについた。


「笑花……」



 眠りについてからどのぐらいの時間が経ったのだろう。


 窓から外を見ると、陽は落ち掛けていた。


 どうやら結構な時間、眠ってしまったようだ。


 それでも気は晴れず、それどころかむしろ酷くなる一方だった。


 頭から布団を被って、親指をかじる。どうにもならない絶望感に対するストレスの表れだった。


 笑花のいない世界がどうしても受け入れられず、深い深層世界に沈み込む。


 もうこのままどうなったっていい。笑花が救えなかったぼくに価値などありはしない。


「ぼくは……何もない人間だ……」


 失ったものは、ぼくを構成する必要不可欠なパーツだった。


 そのパーツがなくなったから、ぼくは分解してしまい、壊れてしまった。


 壊れたものを相手にする者などいない。ぼくはここでもう終わったのだ。



 ――コンコン。



 突然自室のドアが叩かれた。相手にする気はなく、無視を決め込む。どうせ母さんだからだ。学校を欠席して寝込んでいるぼくを心配して、様子を見に来たのだろう。


「……入るぞ」


 馴染み深い声がして跳ね起きる。


「年真先輩!」

「よお」


 ぼくの家に、自室に、何故か年真先輩がいる。


 どうしてぼくの家を知ってるんだ!?


「あの……、ぼく、年真先輩に家を教えてましたっけ?」

「いや、教えてもらってないぞ」


 年真先輩が首を横に振った。


「それならどうして!?」

「お前のクラスに行って、お前の友人から家の場所を訊いた」


 吃驚したが、あっさりと謎は解けた。再び布団に包まる。


「……それで何しに来たんですか?」


 そっぽを向いて、ツレない態度を取る。


「お前が学校を欠席したから心配になってな。体の調子は大丈夫か?」

「……大丈夫な訳ないでしょ。心が死にましたよ。ぼくはもう学校には行きません。このまま一人静かに死ぬんです」

「子供みたいなことを言うなよ……。お前の妹があんなことになったのはショックだと思うよ。だが、妹だってそんなお前は見たくないはずだぜ」

「テンプレートな励ましですね。そんなありきたりな言葉を並べられたって元気になんかなりませんよ。むしろイラつくだけです」


 喧嘩腰で年真先輩に食って掛かる。悪いとは思わない。


 今のぼくは人を思いやる気持ちなどないのだ。年真先輩はショックを受けたのかうな垂れた。


 しかしすぐさま顔を上げた。そして部屋を見回す。


「お前の部屋ってこんな感じだったのか。男の癖して小綺麗にしてるな。いひっ!」

「……綺麗好きなんです」


 素っ気なく返答する。


「ちょっとあれを見せてもらうぞ」


 年真先輩が机を指差し、机の上にある物を手に取った。


 それは古びた写真立てだ。写真立てにはぼくと笑花が写っている。


「二人とも良く撮れてるな」


 年真先輩が写真を見て微笑む。


「妹が不機嫌そうなのは何でだ?」

「……笑花はぼくが嫌いだったんですよ。今では良い思い出ですが、事あるごとに煙たがられました」

「へぇー、でもそれって、好きの裏返しなんじゃないか?」


 ありえないツッコミに思わず吹き出してしまう。


「まさか! あいつがぼくを好きなんて天地がひっくり返ってもないですよ」

「嫌よ嫌よも好きのうちって言うしな。女は分からないぞ。それにこの写真を見ても、わたしには恥ずかしがってるようにしか見えない」


 そう言って真面目な面持ちでぼくを見る。


「……だからどうしたって言うんですか。もしそれが本当だとしても笑花はいない。どうにもならないんですよ!」


 癪に障って怒声を上げる。年真先輩がびくりと肩を震わせた。


「もう帰ってください。年真先輩と話しても腹が立つだけです。ぼくは誰とも話したくないんです」

「……両手を出せ」

「両手? どうしてですか?」

「いいから早く!」


 今度は年真先輩が怒声を上げた。渋々と両手を出す。すると、年真先輩がぼくの両手を手に取り、胸へと押し付けた。



 ぷにゅり。



「な、なななななな――!」


 動揺してしまって、言葉にならない。


「わたしにだって少しは柔らかさがあるだろ?」


 にやりと小悪魔的な笑みを浮かべる年真先輩。両手は柔らかな弾力に包まれる。


 ……完全なまったいらじゃなかったのか。



 ぷにゅりぷにゅり。



 心地好い弾力に心が躍る。


「今のお前には何を言っても無駄そうだから、体を使って励ましてみた。男は単純と聞いたんだが、元気は出たか?」

「げ、元気が出たかって……。年真先輩、それセクハラ発言ですよ」


 ぼくは溜め息を吐く。


「あほっ! そういう意味じゃないっ!」


 年真先輩がぼくの両手を胸から離す。


「……お前がテンプレートな励ましとか言うから、思い切ったことをしてみた」

「思い切りすぎですよ……」


 ぼくは再び溜め息を吐く。そして自分が笑っていることに気付く。


「いつもの大名らしくなったな」


 年真先輩が安堵の表情を見せた。ここにきてようやく年真先輩の励ましに感謝の気持ちを抱いた。


「ありがとうございます。年真先輩のおかげで元気になってきました」

「それなら良かった。わたしも体を張った甲斐があったってものだ。いひひっ!」


 二人で久方振りに笑い合う。


「大名、お前の依頼は失敗に終わった。わたしは妹を救うことが出来なかったし、お前の心を守ることも出来なかった」


 うな垂れながら両拳を震わせる年真先輩。歯はギリギリと噛み締められている。


「……お前の依頼はまだ終わっちゃいない」


 ぼくを決意の表情で見据える。


「それじゃあ、わたしは帰るわ」


 年真先輩は踵を返して背を向けた。


「さようなら」

「明日は登校しろよ」


 振り向き様に年真先輩が笑う。片手を上げてひらひらさせると、部屋から退室して行った。


「ふう……」


 ベッドの上で両手を上げる。


「……胸、柔らかかったな」


 一人呟くと、両手を下ろし、目を瞑った。

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