ネンマウタネ(前)

第1怪 お一ついかがですか?

 桜の花が満開から散り始めた頃、妹の笑花えみかが行方不明になった。


 警察の懸命な捜索は功を成さず、未だ行方は分からない。行方不明になって、今日でもう三日目になる。


 事あるごとに家出を繰り返している気難しい妹なので、その内何食わぬ顔してひょっこり帰ってくるんじゃないかと思っていたけど、さすがに三日目にもなると些か心配になってくる。


 笑花の笑顔が頭に思い浮かぶ。兄のぼくを毛嫌いしていたけど、時たま見せる小生意気な笑顔がとても可愛かった。


 ぼくは俗に言うシスコンなのかも知れない。しかし、笑花の書き残したノートを見たら、一抹の不安を覚えてしまう。


 笑花は『何かに憑かれていた』かもしれないのだから。


 ギリッと奥歯を噛み締めたと同時に、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。


「きりーつ! 礼! ありがとうございました!」


 学級委員長が号令を掛けると、教師は教室から退室して行き、教室の至る所から、気の緩んだクラスメイト達の声が聞こえ出した。


 これから昼休みになる。


「おい、浅斗。みんなで学食に行こうぜ」


 いつもつるんでいる友人たちが学食への誘いに来た。


「悪い……。今日も一人で食べることにするわ……」


 苦笑いしながら、断りの返答をする。


「……笑花ちゃん、まだ見付かってないのか?」

「ああ……」

「そんなに心配しなくてもきっと見付かるさ……。元気出せよ。じゃあ、オレら行くわ……」


 友人たちはぼくに手を振りながら学食へと向かった。それを見届けると、机の脇のフックに掛けられているスクールバッグを手に取る。ファスナーを開けると中から一つのビニール袋を取り出した。


「よし、行こう」


 埼玉県八雲市にある私立八雲学園高等学校。ぼくが在籍している高校だ。八雲学園は県内有数のマンモス校で、生徒数は一五〇〇人にも上る。やや年季の入った校舎は、普通教室棟と職員室棟の二つに分かれる。第一校舎となる普通教室棟は一〇階建ての巨大な建物だ。第一校舎の豪壮さは八雲学園の大きな特徴の一つになっている。もう一つの特徴は、奇抜で珍しいデザインの制服だ。爽やかな青色をアクセントとしたお洒落なブレザーは、男女共に高い人気を誇っている。


 廊下を歩きながら、中庭を見下ろす。ぼくが今向かっている先は中庭の池だ。とある恐話の真偽を確かめようとしている。


 八雲学園に纏わる怪談は恐話と呼ぶ。これは恐らく、八雲学園だけに存在する独自のものだ。怪談がいつからそう転じたのかは誰にも分からない。けれど分かることがある。恐話は『決して関わってはいけない類の話』だ。八雲学園には、数多くの何かがいて、蠢いている――。


 これは、生徒はもちろんのこと、教職員すらも認知している。笑花の行方が分からなくなったのは、きっと恐話が関係している。そうじゃなければ、あんなことは書き残さない。


 何かに対する怒りの為か、ぼくの鼻息が荒くなる。


 中庭の池に着くと、手に持っていたビニール袋から、うまん棒を取り出した。うまん棒とは棒状のスナック菓子だ。様々な味がある安価な駄菓子で、老若男女を問わず人気がある。


 それを少しずつ千切っては池の鯉に与える。鯉は池から顔を出し、飛沫を上げて、うまん棒の欠片に食らい付く。それからしばらくして、ぼくの背後に人影が出来た。

後ろを振り向くと、そこには一人の女子生徒がいた。


 女子生徒は不思議な雰囲気を醸し出していた。


 雨が降っている訳でも、日差しが強い訳でもないのに、鮮やかで美しい真紅の傘を差しているのだ。


 しかも、傘は傘でも鉄傘である。ぼくは音を立てて唾を飲み込んだ。


 十中八九間違いない。女子生徒は恐話の一つである『ネンマウタネ』だ!


 ここで言うネンマウタネとは、八雲学園でもおよそポピュラーな妖怪のことだ。

昼休みに中庭の池で、鯉にうまん棒を与えていると、匂いを嗅ぎ付けて現れると言われている。


 どうやら噂は本当だったようだ。それなら、あの噂も本当のはずだ。恐る恐るネンマウタネに話し掛ける。



「……お一ついかがですか?」



 ビニール袋の中から、うまん棒を一つ取り出すと、ズイッと差し出す。ネンマウタネは差していた傘をゆっくりと閉じる。すると、傘で隠れていた顔が露わとなった。


 ――ぼくの体に電流が走る。


 まるで歯車が壊れてしまったかのようにピタりと止まる時間――。


 ぼくはネンマウタネを凝視する。


 高圧的なツリ目に特徴的な柳眉。その秀麗な顔立ちはとても艶美だ。


 長髪の黒髪は、ゆるめなカールが掛かっていて、前髪は流れるように、綺麗に分けられている。


 スラリとした体付きはそのまま胸にも通じる。女性として主張する部分がない。つまりは真っ平らだ。


 新雪のように透明感のある白い肌が日差しによって照らされる。


 ネンマウタネの外見は、言葉を失うほど輝いて見えた。



「いひっ! ありがとさん。一本もらうぜ」



 外見からは想像が出来ない、おかしな笑い声を発すると、ネンマウタネはうまん棒を手に取った。


「おっ、こいつは期間限定の納豆餃子味じゃないか!」


 ネンマウタネは欣喜する。そしてビニール袋を破くとあっという間に食べてしまった。


「……それで、お前の名前は?」

「ぼくは大名浅斗おおなあさとと言います」

「学年は?」

「二年生です」

「二年の大名か。わたしは――」


 目の前の女子生徒は、三年の『年真歌音』と言った。

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