1993年のビーンボール……みたいな?

ちみあくた

1993年のビーンボール……みたいな?

 十月も半ばを過ぎ、秋から冬へ移ろう頃合いの夕日は良く鶴瓶落としに例えられます。

 西日が翳ったかと思えば、やや暗い色合いの赤があっという間に深い闇へ転じていく。

 人を置き去りにする歳月の速さとか、無為な日々の中で迫る年の瀬とか、埒も無い事をつい考えてしまいますよね。

 そして、そんな時、いつも目に浮かぶ光景が私にはあります。

 退色したネットを夕陽で染め、聳え立つオンボロ・バッティングセンターの姿です。


 もう二十年近く私が住んでいるのは千葉県北部の住宅地で、昔は広い幹線道路の他、取り柄の無い片田舎でした。

 空き地のみ豊富な為、大型娯楽施設が幾つか在りまして、件のバッティングセンターもその一つ。

 ゲームセンター、ビリヤード場の他、釣堀まで併設する節操の無さが「ウリ」でね。

 五つの打席へ繋がる廊下に高台があり、小柄なオヤジが藪睨みで番をしていたんです。


 確か、1993年10月の夕刻だったと思うんですけど、気紛れで足を踏み入れた私は、廊下の一番奥、ドア手前に妙な看板を見つけました。

「勝負するなら自己責任!」

 ん~、機械が不調の場合、ここだけ使用中止で済むだろうし……素人には危険な調整って感じ?

 野球経験ゼロながら、野次馬根性は人一倍の私、到底スルーできません。

 高台オヤジの冷たい視線を浴びつつ、打席へのドアを潜りました。すると前方にも陰険な眼差しがある。

 ピッチングマシーンに、怖~い顔した投手のイラストが付いているんですよ。

 流行っていたドラマの悪役「冬彦さん」にチョイ似で、振舞いの方も悪役そのもの。

 最初に飛んできたのは胸元ギリギリ、ビーンボールさながらの剛速球です。

 私、派手な尻餅をつきました。それでも気を取り直して再挑戦したら、次球が思いっきり外へ逸れていく。

 今度は前へつんのめり……これじゃ、いつ怪我するか分かりません。

 自己責任ってこういう意味?

 後はビビって全く手が出ない有様です。嫌味な程、全球ド真ん中へ来たのにね。


 ガックリ肩を落とし、私は廊下へ戻って玄関へ歩き出したのですが、途中で体格の良い男性とすれ違いました。

 精悍な短髪で細い目は鋭く輝き、分厚い胸を張ったまま、真っすぐあの「自己責任」のドアを目指します。

 こりゃ只者じゃない!

 私の好奇心が一気に膨れ上がりました。

 迎え撃つ「冬彦さん」の第一球は、私の時と同じ内角高め。男は見送り、微動だにしません。

 鋭い眼差しを向ける高台のオヤジは、感嘆したように「ほうっ」と呟きます。

 二球目も私同様、外角の低目。ストライクゾーンを掠めたボールは、カットされ、ファール方向へ……

 その後、「冬彦さん」は際どいコースへボールを散らせました。

 その絶妙な高低差は、野球オンチの私にもセオリー重視の見事な投球術と映ります。

 シンギュラリティ間近い令和の御代なら、間違いなくAI搭載疑惑が沸き起こる所でしょうね。

 そして男の方も負けていない。

 ボールと分れば見送り、際どければファールで粘る堅実なバッティング。

 ゲーセンの客がざわめき、私も息を呑んだ時、「冬彦さん」は最後の一球を放ちました。

 ド真ん中です。

 初めての失投と思われたのに、男が繰り出すスイングは盛大に空を切る。

 落ちたンですよ。

 フォークとしか思えない軌道で、ボールがストンと。


 変化球仕様のピッチングマシンもあるけれど、「冬彦さん」は違う筈です。

 やや暗い色合いの夕陽を背に、陰険なイラストの口元が笑っている様に見えました。

 あ~、何よ、このオカルト展開!?

 もしや、この世に未練を残した往年の名投手が、死後に憑りついたとか?

 立ち向かった男は因縁のライバル?


 アレコレ私が妄想を逞しくしていると、男は「冬彦さん」へ軽く一礼、満足げな面持ちで廊下を去って行きます。

 夕焼けで染まるその背中に、70年代のスポコン・アニメさながらの敗者の美学が漂っておりまして、

「おぉ、マーベラスっ……」

 胸の奥で「七人の刑事」の渋いテーマソングをリピート再生しつつ、私、素直にそう思いました。

 で、オヤジに事情を訊く事も無く、そのまんま施設を出た。変に胸が熱くてね。余計な詮索をしたくなかったんです。

 その内、キチンとオヤジに尋ねるつもりだったけれど……

 年が明けてすぐ、勇んで立ち寄る私の前には、切断されたネットと鉄柱へ雪の降り積もる光景がありました。

 潰れたんです、バッティングセンター。

 鶴瓶落としなのは秋の夕日だけじゃ無いと、良く判っていた筈なんですがね。

 忘れ難い記憶の欠片も、微かに疼き続ける疑惑の棘も、置き去りにして突き進む時の速さ……「次」なんて期待しちゃいけなかった。


 けど、私、あの「冬彦さん」に何時かまた会えそうな気もするんですよ。

 例えば、です。日本の何処か、酷く寂れた地に貧相なバッティングセンターが生き残っていてね。

 一番奥の薄暗い打席を覗くと、陰険な眼差しの「彼」が、今も凶悪、且つ絶妙な球を投げている気がしてならない。

 もし運良く……いや、不運にもあのピッチングマシーンと遭遇してしまったら、是非、挑戦してみて下さい。

 例え君、もしくは君の仲間が尻餅をつこうと、何処かにタンコブこさえようとも、当局は一切関知しない。

 そう、結果は勿論「自己責任」でね!

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