第9話 燻香

樹の勉強部屋は「大ちゃんに花火を見せるぞ大作戦」の作戦本部兼司令室となった。作戦本部長である樹はノートに現状問題となっているポイントを箇条書きで表記するよう、書記の樹に伝えた。


①病室内から見る場合は木が邪魔で見られない。

②他の病室に移って見ることは密を回避するため禁止。

③屋上で見るためには開放時間の十九時までを延長するか、花火の打ち上げ時刻十九時半を早めなければならない。

④外で見るには入院患者の外出許可時間十九時までを延長しなければならない。


無理だ、と思った。中学生にこの数々の壁を乗り越える、しくは、ぶっ壊すことができる夢のような魔法なんてあるはずもない。あの佐々木瑚虎のように親が権力者ならば、どうにかなるかもしれないが、樹にそんなコネはない。

作戦会議の参加者から出てくるアイデアは犯罪めいた作戦ばかり。作戦本部長の樹は全てのアイデアを却下した。


生活指導の山下先生はあれ以来、何かと相談に乗ってくれる。怖い顔をしているが、話してみると案外優しい先生だ。流石に犯罪めいたアイデアの話は出来ないが、色々と聞いてくれた。もちろん、母には内緒にしてもらっていた。


結局、花火当日まで何の作戦も司令室から下されることはなかった。



水曜日の放課後、家に戻ってスマホを確認するとLINEが一件届いていた。


「いっちゃん、十九時十五分、病院入口に来て」


今日も母親は仕事で、帰りは夜遅くになるようだった。虫除けスプレーを手足にふりかけ、自転車に跨る。太陽が沈むのを拒み空を紅く染める中、樹はペダルを漕ぎ出した。



病院の入口前に到着すると、面会時間も一般診察時間も終了したため、中は薄暗くなっていた。「夜間救急外来はこちらにお回りください」と簡易的な病院の地図と共にメッセージボードが入口自動扉に掲示されていた。


その奥に、薄暗い中に人影が見える。その人影が手招きをしている。


大ちゃんだ。自動扉はもう開かないと思い込んでいたが、扉の前に立つと意外にも開いた。

「いっちゃん、こっち。」

大ちゃんは何も言わず、樹の手を取り、開放時間を終了したはずの屋上に上がった。

「えっ、屋上、駄目なんじゃ。」

「いいの。いいの。はい、そこのベンチ座って。」


そのときだった。


「ヒュ〜〜〜、ドォーン!!」

三年ぶりの花火大会が始まった。大ちゃんも樹の右側に座り、やっと諦めて沈んだ太陽がもたらした暗闇に、明るく彩る光の花弁を二人並んで眺めた。


少ししてから樹が聞いた。

「どうやったの?」

「えっ?聞こえない。」

二人ともマスクをしているためか、花火の音に声が打ち消された。樹はさっきより大きい声で聞いた。

「だから、どうやったの?」

大ちゃんが答えた。

「それは、ヒ・ミ・ツ。」


ヒュ〜ドォーン、ドォーン、ドォーン、バババババ、ドォーン、ヒュ〜ドォーン、パラパラパラ、ドォーンドォーン!!


「いっちゃん、きれいだね。」

「そうだね。」


やがて、辺りに暗闇と沈黙が戻り、花火大会が終わった。夏特有の燻香を残して。

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