第7話 挑戦

あれ以来、樹は大ちゃんと会うことも、連絡を取ることもしなくなった。

そして、半年が過ぎると、世界は変わってしまった。世界を未知のウィルスが震撼させていた。毎日のニュースの八割は未知のウィルスに関するものになった。それまで身近な問題と捉えず、対岸の火事的に楽観視していた人も、誰もが知る有名人が亡くなると、空気はガラッと変わった。

緊急事態宣言、マスク生活、学校の臨時休校、三密、第◯波。人の受け付けることのできる喜怒哀楽、様々な情報量の許容を超えた月日が更に流れた。気づけば樹は中学生になっていた。

その頃には未知のウィルスは、もう既知のウィルスとなり、徐々に、忘れかけた過去の日々を手探りで取り戻しつつあった。

そんなときだった、生活指導の山下先生に呼び出されたのは。

「おい、金井。実はお前んちの事情、俺はよく知ってるんだ。俺は、実は、お前の、その〜、父親の大樹とは飲み友達でなぁ。で、大樹からはお前が中学入学するとき、「うちのいっちゃんが西中に入学するからヨロシクな」って頼まれてな。誤解するなよ。会ってたのは緊急事態宣言とか出てないときだぞ。

で、だ、今日呼んだのはだな、、

大樹が入院したんだ。それを伝えようと思ってな。」


大ちゃんが入院した。聞いた瞬間、脳の中の図書室が大混乱を起こし、この三年間のあらゆる記憶が順番も種類もごちゃごちゃに蘇ってきた。あの封印した大ちゃんとの三ヶ月の思い出も。

冷静ではいられなかった。入院している病院を聞いて急いでメモを取った。



放課後、三年前の子供用自転車とは違う二十六インチの自転車に乗り、メモした病院に向かった。

病院の入口では検温と消毒を済ませ、受付けで「吉村大樹の息子です」と伝えた。一時期の面会禁止ほど厳しくはないが、それでも「一家族十五歳以上一名のみ、十五分以内」と制限されていた。樹は十三歳。無理だった。あと、細かい病状に関しても、「受付では個別にお答えできません」との回答だった。山下先生に聞いてくればよかった。焦ると冷静さを失う欠点はどうしても治らない。

ただ、泣き顔で訴え、部屋番号だけは聞くことができた。二〇六号室。病院入口を正面から見て右側の、高い木が目の前にある二階の部屋であることを、三件の聞き込みによって突き止めた。

中学に入学し、キッズ携帯は卒業した。安価ではあるがスマホを持たせてくれた。アプリのダウンロードなどは親の同意が必要で、制限がかけられていた。また、母親の目を気にして、大ちゃんの電話番号をスマホの電話帳に移すことを躊躇ためらった。紙のメモにも残しておらず、流石に覚えていなかった。皮肉なもので末尾二桁だけは覚えていたが。

だから外から連絡することもできなかった。山下先生に聞く手もあるが、もしも母親に知れたらと思うとそれもできなかった。山下先生を疑うわけではないが情報漏洩の可能性は極力減らしたい。そもそもスマホに変わって電話番号も変わっている。知らない番号から掛かってきた電話に大ちゃんが出てくれるだろうか。そもそも病院内は携帯を使えるのか。

七月の太陽がその光色を短時間で変化させ西の空の彼方に沈もうとしている。頭の中を整理するためにも、今日は帰ることにした。



まだ母親は仕事から帰っていないようだった。自分で玄関の鍵を開け、荷物だけ置いたら、先に風呂に入ることにした。

穴の開いたTHE風呂の椅子に座り、熱めのシャワーを頭から浴び続けた。顔を下に向けると、小学生の頃より少し長めになった黒髪は、流れるお湯に従ってカーテンのように垂れた。この不安な気持ちも一緒に流してしまいたかった。


風呂から上がっても、まだ母親は帰っていなかった。食卓には母親からの「おかえり。晩ごはん冷蔵庫の中にあります。温めて食べてね。」のメモがあったが、その前に、これからどうするかを考えた。

まずは大ちゃんの病状を知ることだ。これは、明日、学校で山下先生に聞くのが早そうだと結論付けた。結局、情報漏洩の危険性よりも、病状を知らず、やきもきする方が耐えられなかった。



翌日、山下先生との時間が合わず、漸く、話が聞けたのは放課後だった。

そして、大ちゃんの病状がわかった。病名は「夏型過敏性肺炎」。クーラーのカビなどが原因で、咳など風邪によく似た症状が現れる。大ちゃんの場合、ただの風邪だと放っておいたらしい。世間が敏感になっているこのご時世に、なんとも大ちゃんっぽい。病院に行ったときには、即入院となり、回復具合にもよるが二週間ほど入院する予定だという。今日が三日目。

それにしても、クーラーのカビが原因とは、、。そういえば少し前にも「特集!エアコン清掃業者 密着二十四時」というのが夕方のテレビの情報番組でやっていた。今は清掃業者に頼む人が多いらしい。でも、警察じゃないんだからエアコン清掃業者は流石に二十四時はないだろとツッコんだ覚えがある。まぁ、「警察密着二十四時」のパロディーだったのだろう。

退院したら大ちゃんの家にも絶対、清掃業者を入れさせようと心に誓った。不思議なもので病状がわかると少し安心した。



山下先生には「僕が大ちゃんのことを聞いたってこと、母には言わないで下さい」とお願いした。先生は「大樹の連絡先って知ってるのか?教えようか?」とも言ってくれたが、があったので「上手くいかなかったときは」と答え、先生は「はぁ?」と不思議そうな顔をしていた。


樹のスマホには母との連絡用にLINEが入っている。あの大ちゃんだ、当然、大ちゃんのスマホにもLINEは入っているだろう。

樹は土曜日の朝、近くにある「本日グランドオープン!!」の家電量販店の前にいた。目的はチラシにあった「一円パソコン」でも「千円お掃除ロボット」でもない。店頭で無料で配られているヘリウムガス入り風船だ。「一応、二個ください」と言うとアルバイトだと思われるお姉さんは意味が解らないという顔をした。


樹は家に戻ると、その風船に、自分のLINE登録用QRコードを印刷した紙を貼り付けた。今日は仕事で母親は家にいない。予備の風船にも同じことを施し、必要な備品をリュックに詰め込み、樹は自転車に跨った。風船の紐を両ハンドルに括りつけ、その上からハンドルを握った。頭の中で「良い子はまねしないでね。」を画面下に表示した。


晴れているのは良かったが、今日は風が強く、自転車の後方で二つの風船が喧嘩してるかの如く暴れていた。そのおかげで樹のLINE情報が流出することはなさそうだ。


病院に着いた樹は、一つの風船の紐に、用意してきた別の紐を括りつけ紐を延長した。駐輪場に自転車と予備の風船を残し、あの二〇六号室の前、高い木の横に移動した。

樹はそこから風船を二〇六号室の窓の高さまで上げた。風船は風に吹かれ、イヤイヤ期の二歳児の如く暴れていた。

「頼む、一瞬でいい。風よ、んでくれ。」

大ちゃんが風船を見れば気づくはずだ。こんなことを考え実行するのはと。

そのとき、さっきまで暴れていた風船が落ち着いてきた。そして風が完全に止んだ。


暫くすると、また風が吹き出した。やはり駄目だった。大ちゃんのあの時みたいには上手くいかなかった。あの時の大ちゃんが成功させた「人間ルーブ・ゴールドバーグ・マシン」。あれは、ぷよぷよで言えば四連鎖。今、樹がやろうとしたことは、たかだか一連鎖。でも駄目だった。やはり、山下先生に聞くほうが確実で早い。自分は変わってしまった。、そう思っていたはずなのに。

そのとき、ズボンのポケットに入れていたスマホが♪ピロリン♪と鳴った。

「こちら大ちゃん」

「いっちゃんのLINE登録しました」

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