第3話 捜索

6月の最初の土曜日は「大ちゃん捜索の日」となった。週末に向けて担任の西村先生は大量の宿題を出し、クラスはアウェーのようなブーイングの嵐だった。樹はその大量の宿題を金曜日の夜に全て終わらせた。もちろん、土日をフルで「大ちゃん捜索」に充てるためだ。

母親には清水くんの家に遊びに行くと言っている。清水くんの母親は土日も仕事だということで、清水くんだけには口裏合わせを依頼した。タイムリミットは清水くんの母親が帰ってくる十七時ごろ。その時間には清水くんの家に戻り、あたかも一日中そこにいたというアリバイを作らなければならない。


土曜日、朝十時。

もっと早く始めたかったが「あんまり朝早いと清水さんとこにも悪いわぁ」という母親の意見からこの時間になってしまった。

作戦は昨日のうちに考えていた。

まずは情報だ。大ちゃんの名前は「大き」。は「大きい小さいの大」と言っていたから間違いない。は漢字がわからない。

あと、大ちゃんはコンビニ周辺の情報に異様なほど詳しかった。特に猫のおばちゃんとアパートの奥さんには聞き込みが必要だ。

あと、刑事ドラマで「デカは足で捜査する」と言っていたのを覚えていたので今日は自転車で移動していた。この前のコンビニくじで残った三百円を持ち、あのコンビニであんぱんと小さいパック牛乳を買い、自転車の前のカゴに入れた。


根気の必要な聞き込み捜査、何時間もの張り込みが必要だと覚悟していたが、呆気無く一人目の猫のおばちゃんから大ちゃんの住所が分かった。猫のおばちゃんには「この前助けてもらって、お礼がしたいので探しています」というあながち間違ってもない話をした。

猫のおばちゃんによれば、大ちゃんの家は隣町らしい。自転車に乗ってきて正解だった。自転車でも片道三十分はかかる。テレビドラマも役に立つことがあるものだ。


隣町には母親と自転車で何度も行ったことのあるショッピングモールがあったので、ある程度の土地勘があった。それに猫のおばちゃんが書いてくれた地図がわかり易く、案外すぐ大ちゃんの家が判明した。一級河川の土手沿いの一軒家だった。


自転車は土手の下に停め、あんぱんと牛乳を持って土手を登り、周りの見渡せる位置で腰を下ろした。土手の上は遊歩道となっており、白いスポーツタオルを首からかけた男性がジョギングしてるのが見えた。視線を土手の下、大ちゃんの家の方へ向けた。一息つき、あんぱんの封を開け、牛乳のストローを挿した。今日は快晴で、「六月初旬としては記録的な暑さとなるでしょう」と今朝のテレビでやっていた。あんぱんを頬張り、それを牛乳で流し込もうとした時、後ろから声がした。

「いっちゃん、なにしてるの?」

思わず牛乳を吹き出しそうになる。声の主は大ちゃんだった。

「なんで大ちゃんは、いつも予想外のとこから現れるの?」

「いやいや、驚いてるのはこっちだよ。こんなとこまで、どうしたの?」

樹は大ちゃんを探していたこと、今朝からの捜索の経緯を話した。



大ちゃん家はクーラーをつけてくれたのですぐに涼しくなった。大ちゃんは「今日暑いよね、今年初クーラー」と言いながら、グラスに入れたサイダーをテーブルに二つ置いた。樹はサイダーには口をつけず、聞かなければならないことを聞いた。

「どうして、最後とか言ったの?あれ、本音?」

大ちゃんはしばらく黙ったまま、サイダーを一気に飲み干した。

「色々あるんだよ。」

大ちゃんはそれしか答えなかった。


お互いに何も言えず沈黙が続き、クーラーの音がはっきり聞こえた。話題を変えようと樹が質問した。

「人間ループなんたらって何?」

「人間ルーブ・ゴールドバーグ・マシン。元々、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンって連鎖するカラクリのことを指す言葉があるんだけど、それの人間版。俺の作った造語。風が吹けば桶屋が儲かるって聞いたことない?あれみたいなやつ。」

ちょっと待って、と言って大ちゃんはスマホの画面を見ながら話しだした。

「大風が吹くと砂埃が立ち、その砂で目を痛める人が増える、目の不自由な人は三味線を弾くから三味線に張る猫の皮が不足する、猫が減ると鼠が増えるから、鼠にあちこちの桶をかじられて、結果桶屋が儲かるってやつ。」

「意味がわかんない。特に目の不自由な人は・・・、からのところ。てか、そんな上手くいかないでしょ。」

「まあ、現代いまの人間には理解できないよね。」

「この前のやつも、これってこと?」

そうだよ、と大ちゃんは答えた。

「この前、本当に上手くいくと思ってたの?」

「失敗すると思ってた。でも失敗したっていいんだよ。だって誰にも迷惑かけてないでしょ?」

確かにそうだ。猫のおばちゃんだって、アパートの奥さんだって迷惑がかかってない。むしろ洗濯物が雨に濡れる前に気付けた。鬼の山下は休みを邪魔されたが、生活指導として責務を全うしただけだ。迷惑とは感じていないだろう。

「ねっ、だから目的を達成するまで何度だって挑戦すればいいんだよ。」

「もっと近道あると思うけど。」

「そうかもしれないけど、それじゃつまんないじゃん。」

樹はすでに炭酸の抜けたサイダーを一気に飲み干した。そのとき部屋のデジタル時計が視界の端に入り込んだ。

「やばっ、もう十六時だ。」

帰り支度を整えながら樹は聞いた。

「また来てもいい?」

大ちゃんは少し考えてから「だって家バレちゃたから」と答えた。




清水くんの家には十六時半過ぎに戻ることができた。汗だくでバレたらいけないので、清水くん家の冷蔵庫に頭を突っ込ませてもらって急速冷却した。シャツの湿りのことまで考えていなかった。今日はこれで通すしかない。次は替えのシャツをこっそり持ってこよう。

十七時過ぎに清水くんのお母さんが帰ってきたときには、僕らは二人で「桃太郎電鉄」の十年目をプレイしていた。当然、樹社長は出張していたので九年目まではCOMだった。清水くんは樹社長COMのレベルをまめ鬼にしていたので、交代したときにはマイナス三十億円を超え、キングボンビーと共にゴールの九州から遠く離れた北海道を旅していた。


「おじゃましました。清水くん、ありがとう。」

玄関で樹は外面の良さを充分に発揮して、清水くんの家を後にした。清水くんのお母さんはシャツの湿りに気づかなかったようだ。


家に帰った樹を恵が不審がる様子は全く無かった。「清水さんにちゃんとお礼言ったの?」と聞くだけだった。

風呂に入る前、脱衣所で今日の出来事を頭の中で振り返った。

今日はかなり収穫があった。大ちゃんの家の場所がわかり、帰り際、電話番号を聞くこともできた。猫のおばちゃんが書いてくれた地図の紙の裏に、大ちゃんに借りたボールペンでメモった。えっと、ズボンのポケットのなか、なか、なか。ポケットに入れた右手がかなりの湿りを感じた。折りたたまれた紙の一部が大量の汗を吸い、インクが滲んでいた。電話番号の最後の二桁が滲んで解らなかった。



日曜日、朝八時。

自宅、勉強するためだけに特化した極狭子供部屋。

昨夜のうちに電話番号をメモした紙は、破らないよう広げて乾かしておいた。どうにか一晩のうちに湿りは完全に取れているようだ。しかし、それでも電話番号の最後の二桁は判別できなかった。思い出せ、思い出せ。何か手がかりはないのか?00〜99まで全てを試して掛けてみることも考えたが現実的ではないし、と判断した。

あのとき、樹は焦っていた。十七時までに戻らなければという時間的焦り。思い出そうとしても断片的にしか思い出せない。目を閉じ、大ちゃんが電話番号をそらんじるに集中し記憶を辿った。・・・「◯ち◯ち」。そうだ、最後の二桁は両方とも「ち」で終わる数字だった。

樹は新しい紙に1〜9の数字をひらがなで書き出した。いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう。「ち」で終わる数字はいち、しち、はち、の三つ。あと更に絞り込む方法はないか。ふと、インクの滲んだ紙を見直した。最後の一桁は明らかにインクの滲む範囲が広い。1や7ではこうはならない。最後の一桁は「8」だ。

では最後から二桁目はどうか。最後の一桁に比べインクの滲む範囲が狭い。1か7であるのは確かだが、樹は急いでいる時、7の左側の縦線を書かずに一筆で逆Lのように書く癖があった。よって、インクの滲みから推理するのは困難であった。

これまでの推理を頭の中でまとめてみた。音とインクの滲みから導き出した最後の二桁の候補は「18」か「78」。樹はペンのノック部分をカチカチさせながら天井を見上げ、声に出して「いちはち」と「しちはち」を繰り返し呟いた。

「んっ?」

樹は何か違和感を感じた。重要な違和感。電話番号、「18」、「78」。そうだ、これは電話番号だ。根本的な誤解を最初からしていた。電話番号を人に伝える時、「7」は「」とは発音しない。「」と発音するはずだ。なぜ、こんなことに気付けなかったのか。樹は一人、悔しさと嬉しさの間で笑っていた。

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