第4話 本編開始・西暦3005年の未来で目覚める
『バイタル正常……あなたの解凍は問題なく行われました。
これはAIの電子音声だ。
そう思った。
ゆっくりと瞼を開く。
そこに広がるのは真っ白い空間だった。
「………ここは?」
真白伊澄はカプセルの中にいた。
人が一人入れるようなベッドに円形のガラスカバーを付けたような見かけをしていて、伊澄が目覚めた時にはそれは床に設置しておらず、アームで少し持ち上げられていて、中の人間が起き上がりやすいように60度程度の傾きを持たせられていた。
『おはようございます。真白伊澄様。お体にどこか痛む場所はありませんか?』
伊澄の目の前は透明なガラスカバーで覆われているが、それはモニターになっておりアナウンサーのような丁寧な物腰の女性が映っている。
「いや、どこも……痛いところはないけれども……」
『それはよろしいことです。それでは本コールドスリ―プカプセルの機能はこれで停止させていただきます。長い間の御眠りご苦労様でございました』
そしてウィーンという機械音と共にガラスカバーが開いていく。
何がなんだかよくわからない。
伊澄がいたのは円形の部屋だった。
だが、その伊澄が寝かされていたカプセル以外は何もない。どこか未来的でも医学的でもあるような部屋で、ただひたすら不気味さだけが感じられた。
戸惑いながらもその白い床に足をつけると、タイミングを見計らっていたかのようにプシューッと壁の一角が開いた。
そしてぞろぞろと金髪や赤毛の日本人ではない人々が入って来て伊澄は身を強張らせた。
「Hello! Our ancestor! The oldest man!」
金髪の背の高いアメリカ人っぽい男が両手を広げて嬉しそうに伊澄へと向かってくる。
「Are you all right? Do you have something pain?」
英語だ。
「Hey! Jack, He seems like very confused. You have to be more gentle」
赤毛の女の人が金髪のアメリカ人らしい男の肩をはたく。彼女は印象的にヨーロッパの田舎の人間、フランスやイタリアの農村の人っぽい……というのが伊澄の印象だ。
「uh……? Waite. Is’nt he understanding our language? Maybe he's Japanese? Right? therefor He can't understand English naturally」
何を言っているのかさっぱり理解できない。
英語の授業はあったが周りに誰も英語を話せる人間がいなかったので小学校から勉強しているが全く喋れなかった。
簡単な英語ならわからなくもないものの、これだけネイティブでペラペラと喋られると全く聞き取れない。お手上げだ。
「Oh gosh……! It's a pain. But we have no choice. Put on your translation device」
赤毛の女の人が呆れたように肩を落として周囲の人間に何か指示をすると全員が胸ポケットやズボンのポケットに手を突っ込み、小さなマイク付きの無線式イヤホン(ドラマや映画とかで黒服エージェントが耳に手を当てて交信をしているようなシーンに出てくる奴そっくりだ)、それを片耳にはめ込む。
「ah~ah~、Can you hear me?(聞き取れる?) and can you———私が何言ってるかわかりますか? 真白伊澄」
赤毛の女の人の耳にはめ込まれたイヤホンから日本語が、彼女の口からは英語が発せられる。最初は二つの言語の音声が二重に聞こえていたものの、段々と伊澄の耳が日本語を聞き取るように優先順位をつけるようになり、どちらの音声も聞こえているはずなのだが完全に頭が日本語だけを聞き取るようになる。
「あ、あぁ、わかります。あのあなたたちは……?」
「我々は移民船団〈エンデヴァー〉の乗組員です。地球からの大型移民船〈エンデヴァー〉は新天地———EDENに無事到着したので入植のためにコールドスリープで眠りについていた祖先たちを解凍しているのです。と、一気にいろいろ言われてもわからないわよね。イズミ」
赤毛の女の人はウィンクし、手を伸ばす。
「私は〈エンデヴァー〉の艦長兼医師局局長ミランダ・メープル。この軽そうな男が神経外科医のジャック・キース。他にも冷凍保存から目覚めた人間をサポートする分野の医者たちが今ここにそろっている」
親指で金髪のアメリカ人を指さした後、手をぐるりと回して周囲の人間を仰ぐ。
確かに全員———白衣を着ていた。
だが同時にその下は鎧のようなプロテクター付きのぴっちりと体のラインが出る未来的なスーツを着ており、どこかそれはパイロットス―ツを思わせた。彼女らは恐らくただの医者ではない。いや、というか———、
「艦長? あなたが……?」
ミランダと名乗った女性は若く、まだ二十代中ごろに見えた。肌にはハリがあり、赤い長髪はクセがあってウェーブがかっているがかなり綺麗だ。
艦長とはイメージとして髭の生えたおじいさんがやっているような感じがあるが、それとは目の前のミランダははるかに遠い。
「ええ、この移民船団の最高責任者をやらせてもらっています。全ての人間をEDENの土に無事定住できるように努力をしている者です」
凛とした眼差しと淀みのないはっきりとした声から、彼女は自身に満ち溢れていて様々な困難にもこのような態度でぶつかってきたんだろうとわかる。
修羅場をくぐってきたんだ……。
「そうですか。でも、俺はそもそも……」
ここでコールドスリープのカプセルに入っている意味が分からない。
「死んだはずじゃ?」
おそらく長期間眠っていた人間のケースとしてこういうのは珍しいのかもしれないが、伊澄は意識を失うまでの記憶をはっきりと覚えている。
幼馴染の小春清十郎にヤクザキックでホームから蹴り落とされたこと。その後電車が目の前に迫り全身がぶつかった感覚。それと同時に全身がバラバラに引き裂かれるような感覚が襲い———「あ、これ死んだ」と思った時にはもう意識がなく、その後、その後……長い長い夢を見ていた。夢の内容は平凡だ。どこか日常の延長線のようでどこか混沌じみていて……やはりその中でも鈴と清十郎と遊んでいた。夢の中でも三人一緒で、ロボット対戦ゲーム「テックギアVS!」というゲームをひたすら遊んでいたというどうでもいい夢だ。
ただひたすら三人で対戦していた———あの秘密基地で。
清十郎と、鈴と……。
「———ッ! あの! 今って何年経ちました⁉」
「何年?」
「ああ、この聞き方じゃわからないか。今って西暦何年ですか⁉」
急に伊澄の脳細胞が活性化する。
鈴の、秋姫鈴の顔を思い出したからだ。
伊澄は、彼女に会えないまま電車に轢かれた。その後、死んだと思っていたが幸運にも冷凍保存カプセルの中でコールドスリープについていた。
それはいい。今はどうでも。
前日に冷凍保存の同意書にサインしたし、何らかの奇跡が起きて自分は実際一命をとりとめて姉の真白雨芽の手によって冷凍保存カプセルにぶち込まれてゆっくりと治療させられていったのだろう。少年漫画によく出て来る回復カプセルみたいな役割が冷凍保存カプセルにあるのかは知らないが。
とりあえず大体そんな感じの予想はつく。
そんなことよりも———、
「すいませんミランダさん。俺にとっては重要なことなんです。今は西暦何年で、西暦2124年から何年経、」
「———西暦3105年です」
三千……五………?
「え……え……」
その数字の予想外の大きさに、伊澄の脳は理解を拒む。
「本当……ですか……?」
「本当です」
「だって! これは宇宙船なんですよね⁉ 長距離間航行を可能にした重力制御ワープ技術———アルクビエレ・ドライブが搭載されている一瞬で何光年もの距離を旅できる!」
「ええ。その技術がようやく安全に恒常的に使用できるようになったのが五年前、丁度西暦3100年。技術特異点突破の奇跡の都市と言われています」
「西暦3100年……? どうしてそんなに時間がかかっているんですか⁉ 西暦2124年の時点で実現可能な技術として開発されていて、それが実用化されるまで少なくとも100年の時がかかるって……!」
「〝少なくとも〟。そう、あなたはお姉さんのアメ・マシロに言われたのではないですか?」
「あ。それは、そうですけど……」
彼女の言葉で自分がどれだけ楽観的に物を考えていたのか理解した。
そもそもあの時点でようやくワープ航法が開発されたという段階だ。人が大量に入植できるようになるまで技術の洗練化に時間がかかって当然だ。大航海時代、イギリス人の一部がアメリカ大陸に入植するようになるのも、ヨーロッパ世界に羅針盤が入って航海技術が向上してから400年近くの年月が経っている。
新世界への移民というのはそこに辿り着く技術が開発されてから何年も経って技術が確立しなければならないのだ。
「地球環境が限界を迎えてからこの千年間。人類は厳しい局面に立たされ続けていました———」
伊澄に状況を理解させようとミランダが語り始める。
「温室効果ガスにより地球の温度は上昇し続け、気候変動も人間が生きていくのには適さない、灼熱の海とひび割れた荒野が広がる星になりました。そのような中では何億人と言う人類を人類自体が抱え込むことができず、一部の医療技術者や科学技術者だけを選別し、その他の人間は冷凍睡眠に入れて新天地への移住の時を待たせることになったり、単純に
間引きという言葉が出た後のミランダの説明はあまり考えたくない内容だった。
「十九世紀から二十一世紀にかけて。人類の爆発的な文明技術の進歩には一部の天才たちの力がありましたが、単純に人口の多さも重要な要素でありました。何億人という人間が大量に物を作り、試行錯誤をし、その情報を共有することでそれまでの理論の誤りを正し、理論の応用による技術の活用などが急速に行われたのです。技術の加速度的な向上には一部の天才の脳みそだけでは足らず、何億もの普通の人間がその技術について考え、アイディアを共有してくことが大事だったのです。ですが、それがこの千年間つかえなかった。地球環境がそれを抱え込めるほど余裕がなかった。だから、この千年間は一部の天才だけが頭を使い、惑星間ワープ航法技術の洗練に心血を注ぎ続けた。ですが、それは昔と比べてはるかに鈍重な歩みだった。結果、千年前に開発された技術が実用化に至るまで千年の時が経ってしまった」
「そん、な……じゃ、じゃあ! 眠っている人は⁉ 眠っている人は何人いるんです⁉」
「西暦2124年からコールドスリープに入り、現在も生存している人間は20億三千万人。そのうちの5億人が既に目覚め、この地EDENで活動しています」
「20億三千万……!」
そんなに、と伊澄の胸の中に希望の光が沸き上がる。
「あの……その中に……いえ、その……」
「はい?」
秋姫鈴という女の子はいませんか? と尋ねようとしてやめた。
移民船団の艦長で医局長という偉い立場なのだから、一々覚えているわけがない。
恐らくこうして伊澄の元にわざわざやって来ているのも、最高責任者として冷凍睡眠についた人間が正常に目覚めて活動できるかチェックを行っているのだろう。
「その……冷凍睡眠についている人間のデータベースってありませんか? 自分と同じ年代の……女の子の名前があるか調べたいんです」
「……それは」
ミランダが言いづらそうに口ごもるが、その隣に立つジャックと先ほど紹介された男がズイと前に出て、
「どうぞ」
と、非常に薄い、板型情報処理端末を渡す。
「あなたたちの時代で言うスマートパッドの進化系です。アイパッドとか」
ジャックが丁寧にその板の説明をしてくれる。
「使ったことないです。僕たちの時代では情報処理はスマートグラスという眼鏡型の機械で行っていました」
「本当に? それは時代考証を再定義しないといけないなぁ……でも感覚でわかるよ。ただタップしたりスライドしたりすればいいだけの単純な端末だから」
確かにジャックの言う通り、板型のその機械は触れると白い検索エンジンの画面表示がなされ、下にタップ入力キーボードが表示される。
「それはスマートパッド。名前も変えていない。古いものでも完成されたものはいつまでも使われ続けるものさ」
「そうですね。シンプルで簡単なものほどそれ以上の機能が要らず、技術の進化が止まるものですから……ありがとうございます」
「どういたしまして。でも、2124年に既にスマートグラスで情報処理を行っていたとは……脳波を直接検知する脳波コントロールの機能は当然搭載されているんだよね?」
「はぁ……まぁ……」
ジャックはどうやらおしゃべりが好きなようだ。
その言葉に適当に返事をしながらもそのスマートパッドに「秋姫鈴」と入力し、決定ボタンを押す。
「……ノーマッチングディスネームって出ていますけど。これってどういうことです?」
その検索エンジンは英語で書かれているタイプのものだった。それでも日本人の名前を検索するのだから、漢字を使っても大丈夫だろうと思った。
そして結果は簡単な英語が表示された。簡単な英語なので読める。
その隣に太字で「0」と表示されている意味もわかる。
「伊澄。それはね……」
「ローマ字じゃないと、アルファベット入力じゃないとダメなんですかね?」
「伊澄。秋姫鈴という女性は冷凍保存はされていない。確実に」
ミランダが言いづらそうにしていたことを、ジャックがずばりと言い放つ。
「ちょっと!」
「誤解をされて変な風に話がこじれるよりも早めに伝えて事実を受け入れる方がよっぽどいい。少なくとも僕はそうだ。伊澄。はっきり言うが君は独りだ。孤独だ。今この世界、この時代に君と同じ時間を共有した人間は存在していない」
目をそらさずにジャックは言う。
「どういうことです……? だって俺が冷凍保存カプセルに入ったんなら、俺に続いて何人も冷凍保存カプセルに入るはずでしょう? 人間の魂をプロキシマ・ケンタウリ星に送り人類をそこで転生させる計画———姉の
「
「長い名前ですね。その
そこまで言って、ひとつの可能性に伊澄は思い当たった。
姉の言葉を思い出したからだ。
「……伊澄。あなたが眠りに入る前。その時代はコールドスリープの技術は世間でどのように受けとめられていたか、覚えている?」
「……二度と目覚めるか、わからない。未熟な技術」
それでも、眠りにつく必要があった。
多くの人間を冷凍睡眠につかせる必要があった。
だから、実験台として技術力向上の人身御供として真白伊澄はその身を犠牲にしたのだ。
「電車事故で頭を強く打ち、脳死状態が確認された君は事故の後すぐに冷凍睡眠措置が施された。同意書に基づいてね」
ジャックはさも当然とういうように伊澄の手からスマートパッドを奪い取ると、その画面を操作し「冷凍睡眠保存同意書」という電紙媒体の書類を表示して伊澄に見せる。その下部には「真白伊澄」と確かに伊澄自身の筆跡で名前が刻まれている。
「確かに君の言う通り、君に続いて何万人も人間がコールドスリープに入った。だが初期にコールドスリープに入った人間は悉く失敗した。冷凍中にそのまま肉体活動が完全に停止し腐った人間もいれば、不幸にも事故で
「そんな……嘘だ……この世界に誰も、生きていないだなんて。鈴がいないだなんて……」
嘘ではない。
それはもう、伊澄の本能がわかっている。
ここは全く違う世界だ。
自分の父も母も、姉の雨芽も、秋姫鈴も、小春清十郎もいない世界だ。
全く知らない世界に一人取り残されてしまったのだ。
「すいません……外を、できれば外を見たいんですけど……いいですか?」
「………当たり前です」
本当は駆け出したかった。
嘘だと叫びながら誰もいない場所に行って一人になりたかった。だが、その行為がどれだけ目の前にいる人たちの迷惑になるか、それがどれだけ自分にとってリスクになるか伊澄はわかってしまう男の子だったのでミランダに許可を貰って立ち上がった。
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